こんにちはカネシゲです。

今回は年末にむけて、私の41年間の人生で感じてきた過去の苦悩を改めて見つめ直してみようと思います。

いままで何となく蓋をしていたそれらの滓と今冷静に向き合うことで、自分が本当に求めているものを再び見失わないようにしたいと考えました。



・普通と普通じゃない自分


振り返ってみれば、自分が障碍を持っているということを強く自覚したのは、小学校3年生のときの学校交流会だったとおもいます。

それまでの院内学級や養護学校の同級生達は寝たきりの子が多く、彼らと比べると私はかなり上手く動けるほうだと自覚していて、そんな環境でずっと来たもんですから、テレビで見る元気な子供たちは何となくフィクションのように思えていたのです。


その学校交流会では近隣の普通の学校に通う健常児たちが沢山来るのですが、彼らのキビキビと動き回る姿を目の当たりにした私は、「体というのはあんなにも自由自在に動ごかせるものなのか・・」ととても驚きました。

と同時に、母親が常々「しっかり歩きなさい」と言っていたのはこういうことなのかと、妙に腑に落ちたのです。


その時以来「普通の人」と「普通じゃない自分」を強く意識するようになると、すれ違った子が私を指さして笑った姿や、「お母さんさっきの人なに?」という声が、それまでにもまして頭に残るようになっていきました。


母親も同じように感じていたのか、今になって思い返すと歩行練習として私と一緒に出かける時には、なるべく人がいないところを選んでいたよう思います。


そうなると悪循環といいますか、ますます自分に自信が持てなくなっていきます。


ある日外出した時にすれ違ったお年寄りから

「あなたなにやってるの、施設から逃げてきちゃだめでしょ、はやく施設に帰りなさい」

と突然言われたことがありました。

最初はなぜそんなことを言われたのかよくわかりませんでしたが、その当時の私は服装に無頓着で、いつもスウェットやジャージの上下で過ごしていたのですが、改めて町行く人を見ると、そういった姿の健常者は見当たらなかったので、私は自分のこの服装が「町をうろつく脱走犯」だと決めつけられた原因だと思い、それからはいつものようにジャージを着せようとする母親に「スウェットとジャージは着たくない」と拒むようになりました。


そんなただでさえ気の抜けない外の世界ですが、さらに辛い現実を思い知らされます。

当時は駅にエレベーターがなく、ホームへの上り下りにはその都度駅員さんに担いでもらう必要があったのですが、駅員さんもそんなにいないので、そういう時には歩いている人に「お願いします、ホームまで運んでください」と頼んでいたのです。

しかし、せわしなく行きかう通行人には無視されることが多く、何十分も階段の手前で頼み続けることもよくありました。

別の日には、バスの乗り降りで時間がかかれば、どこから聞こえる舌打ちの音。

また別の日には、同行のヘルパーさんが他の障碍者の動作の遅さに文句を言う始末。

こんな調子で外に出れば気に障ることばかりで、私にとって外の世界は針のムシロのような場所でした。


そういった自信を失う出来事に常にさらされていると、さらに強く他人の目が気になるようになっていき、しだいにそれが幻聴レベルにまで酷くなっていきました。

どこかの笑い声が自分のことのように思えたり、チラッと眼があっただけで馬鹿にされたと感じたり。

いまでは自分の思い込みだと考えることが出来ますが、当時の私はその一つ一つが自分に対する攻撃と感じていて、「こんな世界でこれから先一人でやっていけるのか」と、ますます不安になっていったのです。



・理想と現実


高校卒業が近付き進路選びが始まると、学校が用意する正規の進路ではないけど、近くに障碍者が運営している訪問介護のNPOがあると聞き、是非ともそこに行きたいと思いました。

健常者と同じように自分たちで組織を運営している障碍者の先輩達が、とても頼もしく誇らしく感じたからです。


その後念願叶いいざNPOに入ってみると、先輩たちは常に健常者と戦っていました。


それまで良く言えば平和的、悪く言えば臆病だった私ですが、NPOの先輩たちに感化されてだんだんと戦う障碍者へと変わっていきました。


ヘルパーを手足として考え、高圧的に指示を出す。

お店では無理で道理を通し、ちょっと待たされただけでも延々とクレームを付ける。

仲間の私から見ても明らかに困った人たちに見えましたが、そうやって強く主張すれば思い通りに動いてくれるのを目の当たりにするにつけ、次第に先輩達がやっていることは正しい方法だと思うようになりました。


しかし、当然そう上手くいくことばかりではなく、言い合いの末追い返されたり、店主に塩をまかれたりすることもあり、まるで毎日が喧嘩をしているような精神状態でしたので、元来自分に自信がなく平和主義の私は徐々に付いていけなくなっていきました。

それと同時に、そのような独りよがりな行動は結局、自らの手で敵を作り出しているのではないかと心配になったのです。


その事を思い切って障碍者の先輩に話しても

「なんでお前は障碍者じゃなくて、健常者の意見にあわせるんだ」

「障碍者の権利を勝ち取るためにもっと頑張って戦え」

と返されるのです。


私はだれの味方という話しをしているのではなく、自分たちの行動が障碍者が住みにくい社会を作り出している危険性について一緒に考えたいだけなのに、健常者を仮想敵に見立て、勝った負けただばかりを言う先輩達に次第に疑問を持ち始めたのです。


そのこと以来、私は積極的にNPOに所属しているヘルパーさん達に話を聞いてみました。
すると、彼らもそんな強硬的な先輩たちの態度に、色々と不満を持っていることが分かりました。

そんな中、ある女性ヘルパーさんが泣きながら同僚と話しているのが目に入りました。

理由を聞くと

「実は子供を妊娠していたのに、休むとだれが穴を埋めるんだといわれ、無理して仕事をしていたら流産してしまった。この仕事は好きだけれど、こんな所ではもうやっていられない」

とのことでした。

その出来事で私もスイッチが入り、それまで聞いたいろいろなヘルパーさんからの不満も含めて幹部の先輩たちに伝えました。すると


「なんでお前はいつも健常者の味方をするんだ。なんでヘルパーは障碍者の為に手足になって働くように言いくるめられないんだ」

とにべもなく返されました。


先輩がやっていることは、障碍者の権利獲得に限っていえば、一定の効果があるように見える。

しかし、人手不足の障害福祉業界に来てくれた我々の協力者が現に泣きながら苦しんでいる。


私たちの権利獲得は大切だけれども、それは誰かの犠牲の上にしか成しえないものなのだろうか。

私は障碍者と健常者のはざまで悩み苦しみました。


そうしているうちに、やっぱり協力者を害してでも自分たちの利益を追求しようとする先輩たちのやり方に我慢できなくなり、それなら思い切って自分達で理想的な職場を創ろうとNPOを出て、従兄弟たちと共に訪問介護事業所を設立することにしたのです。

この時点で30歳になっていました。


しかし訪問介護事業所を立ち上げても自分のやりたい気持ちとやれることの溝があり、その乖離感が孤立を深めていきました。

結局、その後失意のうちに引き込もりながらもなんとか生きていましたが、次第に心と体の限界がきて、設立から10年で自ら立ち上げた介護事業所を立ち去ることになりました。

 



・自分の求めているもの


こうやって改めて思い返してみると、私の苦悩はただ普通に受け入れられたいだけなのに、自分がどういう態度でいればそうなるのかが分らなくなっている事からきているのかなと感じました。

ただ町を移動するだけで迷惑がられる。

理不尽さを訴えれば孤独になり、寛容にすれば簡単に図に乗られる。


こういう経験を幾度も繰り返して刷り込まれた他者に対する不信感は、すぐに強い恐怖心となってさらに自分を臆病にさせ、やがて強い劣等感に変わりました。

しかしそんな状態でも気にせず外出し、会う人会う人を信用していかなければならない。

この心に刷り込まれた恐怖心や劣等感と、ふるまうべき態度の乖離が苦悩の元なんだと感じます。


しかしやがてその強い恐怖心や劣等感に耐えきれなくなり、それらを打ち消して余りある大きなものが欲しくなる。


先輩達の強い攻撃性や支配欲も、長年積み重なった強い恐怖心や劣等感の表れなのだと思うのです。


しかし我々の恐怖心や劣等感は、日々の小さな積み重ねで出来ている。
であるなら、その克服も日々の小さな積み重ねでしか成しえないと思うのです。

なのに大きなことで一発逆転しようとする。

だから上手くいかないんじゃないかと思うのです。

私も、正規の進路でないNPOに進んだのも、自分にできることを考えずに会社を設立したことも、今にして思えば、それまでの恐怖心や劣等感を安易に一発逆転しようとした結果だと感じます。

しかし長年苦しめられた恐怖心や劣等感から逃れるために打った一世一代の勝負手こそが、それまでで一番自分を苦しめる悪手となってしまいました。


では心穏やかに暮らすためにはどうすればよいのか。

今の私が言えるのは、

自分の理想に向かって日々小さい努力を積み重ねていくしかないと思います。


一発逆転を狙うと実力以上のことをやろうとします。

逆に言うと、実力以上の事じゃないと一発逆転できないと考えてしまう。

しかし小さいことがうまくいかないのに、大きなことがうまくいくわけない。

当然の事なのに、そんなことすら分らなくなってしまう。


必要なのは、恐怖心や劣等感に惑わされず、自分が本当に欲しているものを見抜く冷静さ。

今ならはっきりといえる、

私が本当に必要としているもの、

それは「信頼・安心・自信」です。

それを二度と見失わないように、これからも会社の仲間と理想に向かって小さい対話を積み重ねていく。

そうした小さい対話から小さい信頼が生まれ、それを地道に積み上げていくとこで、やがて大きな安心感に包まれた私が、自然体のまま社会に溶け込んでいき自信を深める。

そんな良い循環の実現が私の心からの望みなのです。