こんにちはカネシゲです。

着々と進めてきました絵本のほうは、方向性と第一回のストーリーが粗方決まったので、お願いしているキャラクターデザインと絵コンテが仕上がるまでお休みとなります。

ということで、今回からしばらくはまたみんなで、時事問題を考えていきたいと思います。



「無敵の人」問題


ここ数年、コロナ禍もあって社会情勢が不安定になってきているせいか、殺人や放火など物騒なニュースばかりが目につくような気がします。

とくにここ最近では、通り魔的な刃傷沙汰が続いていますよね。


そこでちょっと引っかかったのが、逮捕された通り魔が一様に「死刑になりたかった」と言うこと。

最近ではこういう人を「無敵の人」と言うらしいです。


そもそも死にたいなら自殺という手もあるのに、なぜ赤の他人を巻き込む必要があったのか。

このことについて考えてみました。



なぜ死にたいとおもったのか


想像するに、「自分が嫌になった」という事でしょうか。

もう自分が自分に対して存在意義を見出せない。

「世の中に絶望した」という言い方もできるかもしれませんが、世の中が絶望するほど酷い状態でも、自分自身に存在意義を見出していれば死ぬ必要はないと思うのです。

捕まった犯人から聞こえてくる犯行理由は、どれも死を選ぶものとしてはあまりに軽く聞こえ、どうしても身勝手さを感じてしまいます。



なぜ自殺ではなく人を殺して死刑という面倒な計画をたてるのか


そこには、自分は他人を巻き添えにしても良いという、ある意味「被害者的目線」があるのではないでしょうか。

つまり、自分は社会というシステムの被害者だから、そのシステムを混乱させる権利があると。

そして「社会によって虐げられた俺」を、さらに最後には社会という圧倒的強者の手により自分を殺させることで、社会がいかに冷酷で酷い奴なのかを示そうとしている。

そうすることで、「最初から最後まで被害者だった可哀そうな俺」を完成させようとしている気がするのです。



本当は死ぬ気はない


子供のころの夢が「人を殺して死刑」なんて人は一人もいないはずです。

しかし大人になるとそういう人がちょいちょい出てくる。

結局はそういう人達の家庭環境を探っていくと、幼少期に過酷な環境で過ごしてきたという事例がよく出てくる。

社会や家庭の環境は人格を大きく左右します。

社会や親があまりにも成功者を望み過ぎて、子供に対して世の中には成功者と失敗者の二者しかない印象を与えると、その子にとってこの世の中はプレッシャーだらけの恐ろしい場所になってしまいます。

死刑になりたい容疑者達も、そういったプレッシャーに負けて心がねじ曲がってしまい、事件を起こすに至っているのではないでしょうか。

二者択一のプレッシャーの強い社会にならないようにするには、本来凸凹な人間の多様性を今よりももっと積極的に認めていくということが重要なのではと思います。

そうすることで、どんな能力でも社会を恐れず人生に対する期待を失わずにすむ社会が形成されれば、皆が「あるべき姿」に振り回されることなく、活き活きと生きていくことができるのではないでしょうか。

そのために教育や社会もAIなどの最新技術を積極的に使い、十把一絡げではない一人ひとり丁寧な適性の見極めと、適時適切なアドバイスや手助けが出来れば、人材が有効活用され、社会から零れ落ちる人も少なくなり、結果的に殺人や自殺のない持続可能な世の中に近付くのではないかと思うのです。



処方箋


その理想郷を実現する具体的な提案として、最低収入に満たない人には自動的にベーシックインカムのような手当が出るようにするのはどうでしょうか。

 

”これは条件付きですので厳密にはベーシックインカムとは言わないかもしれませんが、現在のベーシックインカム論は「全員」が独り歩きしているだけで、本質的には困っている人を助ける、または出さない為に生まれた考えだと思うのです。”

 

現在国はしきりにマイナンバーカードの普及を目指しており、そこには銀行口座の登録もあるようです。

となれば、会社からの振込金額があらかじめ定められた金額に満たない場合は、面倒な手続きを経ることなく自動的にベーシックインカムが適用され、お金が振り込まれるようにするのはどうでしょうか。


このようにすれば、手続きや交渉の煩わしさから申請を躊躇う必要もなく、どんな状況になっても少なくとも金銭的には困窮しないという安心感を持ち続けられるので、不安から身近な弱者に八つ当たりしたり、怒りから自暴自棄になって社会に仕返しをする必要もなくなるのではないかと思うのです。

今は国のメリットしかないようなマイナンバーカードも、このような国民のための大きなメリットを提供すれば、あっという間に100%普及すると思うのです。

いざ不正が起こった場合には、罰金は勿論、一定期間受給資格停止や、今後は対面による煩雑な申請手続きを必要とすればよいと思います。



そこに暮らす人にとって社会は親


その親である社会が信頼できるかどうかは、人々の安心感を大きく左右します。

それは人間の親も同じで、昨日は機嫌が良くて優しかったけど、今日は機嫌が悪くてご飯を作ってくれないとなると、子供は常に不安を抱えて生活しなければならず、心の健康を大きく害して、親のみならず人そのものに対して信用を持てなくなると思うのです。

ですから、国民の親である国が、国民がどんな状態になろうとも、一々面倒な申請書類を作らなくても、親類の財布の中身を探ることもせず、黙って援助してくれる。

そうなれば国民は明日の生活に一喜一憂する必要がなく安心して生活でき、社会に対して無敵の人となって仕返しという考えにならないので、結果、すべての人が安心して暮らしていける安全な街になると思うのです。