障碍のあるお子さんとの接し方に悩まれていませんか?

 

今回は障害を持つ子供が親にどう接してほしいか、というお話をさせていただこうと思います。

 

 

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私はアメリカで産まれて2歳半で帰国しましたが、その時には首も座らずハイハイもできない状態でした。


帰国後すぐに診断をうけ医者から私が脳性麻痺であると告げられると、母は頭の中が真っ白になってしまったそうです。


両親は私の障害はリハビリや努力によって良くなると期待し、日々様々な努力を私に求め、私は必死に言われたことを頑張っていきました。


しかし父も兄もきわめて優秀な人だったため必然的に私に対してもその高いレベルを求められ、リハビリにしろ勉強にしろ、非常に苦しかった思い出しかありません。


一般的にはなんでも目標設定をしてそれをクリアすることを喜び、また次の目標設定をしてチャレンジするというものなのかもしれませんが、私の場合には目標を達成したとしてもそれは出来て当たり前、なにもねぎらいもなく次々と新しい目標が出される状態で、心も体も休まる時はありませんでした。


身体を動かすのも精一杯の私は、様々な補助器具を使っても10mを歩くのに汗だくで1時間かかり、そのためそのあとの授業中は疲れて寝てしまいさらに勉強が分からなくなるという悪循環に陥っていました。


家族しか心のよりどころがなく、そして常に人の手を借りないと生きていけない私にとって逃げ場のないこの時期は非常に辛い思い出として心に刻まれ、私の人格形成の上で深い影を落とした気がしています。


とはいっても両親は私のことを考えて精一杯やってくれたのだと頭ではわかっているのです。


でも「頑張れば出来る、やれば出来る」というのは、出来ない人にとっては残酷な言葉だと今でも感じています。


では当時私はどうしてほしかったのか今になって考えてみると、私はただ自分の出来ること・出来たことについて褒めてほしかったのだと思います。


40点取れたならば100点を目指せと発破をかけるのでなく、40点分の頑張りを褒めてほしかったのです。


私だって頑張りたかった、頑張って100点を目指したかった。

家族の期待に応えたかった。


でもそれにはその時その時の通過点を認めてもらうこと、褒めてもらうことが私には必要だったのです。

しかしいくら頑張っても遠ざかるゴールに結局私はサジをなげてしまいました。

「頑張っても頑張っても苦しい思いをするだけじゃないか」と。


それによってリハビリや勉強に前向きでなくなり、ますます自分自身が「なにもできない人間なんだ」と強く思うようになりさらに強い劣等感を持つようになりました。

そして日々の「出来ない自分」は、「両親の期待に応えられない自分」となり、自分は生きる価値のない人間なんだ。そう思うようになりました。


そういう経験を経てきた私からご家族にお願いしたいのは、ただでさえ自分と「普通」との違いに混乱しているお子さんにゴールを設定して発破をかけるだけではなく、頑張っていること自体を褒めていただきたいのです。


「普通」との比較は社会生活の中で避けられない人間の本能なのかもしれませんが、それでもその子なりの些細な頑張りを肯定してほしいと思います。


親が変わらぬ味方であり協力者だという事を日々伝えてあげてほしいのです。


そうすればその子のこれからの人生に挫折があったとしても、強く乗り越えていけると思います。


もし障害をお持ちのご本人がこれを読まれていて、現在親との関係に悩んでいらっしゃるなら、親を含め家族は自分の味方なんだと理解しようとしてみてください。

たとえ自分は認められていない、必要とされていないと感じているとしてもあなたがそう思い込んでるだけかもしれませんよ。あなたが理解しようとすることも必要です。


私がお伝えしたいことは、

 

振り返った時、あれでよかったんだと思えるように生きてほしい、

ということです。


自分が親になる前と親になった後では、自分の親に対する考え方も変わるということを聞きました。

私は結婚しておらず子供もおりませんので本当の親の気持ちにはなれませんが、あくまで障碍児としての両親に対する思いなので、ご家庭によっては千差万別あることは承知していますが、すこしでも参考になれば幸いです。

 


 

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