突然障害をもったことによって、

自分は世の中のお荷物になってしまった。

自分はもう何もできないから生きている意味がない。

 

そう感じたことはありませんか?

 

私は長い間そのように感じて生きていました。

 

今回はそのように感じて悩んでいる方に私の体験をお話しさせていただこうと思います。

 

 

私の場合は先天性の障害なので、物心ついた時から他者との違いを感じていました。

 

子供のころ、自宅の窓から眺める景色の中の子供たちはみんな元気に走り回っているのに、なんで僕は走ることはおろか立つことさえできないんだろう。

みんな友達と一緒に遊んでいるのに、なんで僕はいつも一人きりなんだろう。

 

これが自分が他者との違いを強く感じた最初の記憶です。

 

そんな私に自分の存在が他者とは違うだけではなく不要な存在なんだと強く感じさせる出来事がありました。

 

それは私が幼いころに家族で祖父母の家に遊びに行った時でした。

 

家でたまたま祖父と二人きりになった時、突然祖父が「ところでオマエ、なんで自ら手を挙げて施設にいかないんだ?オマエが施設に入るのが家族の為なんだぞ。」とまっすぐに私の目を見て言ってきました。

 

それまでやさしく大好きだったはずの祖父に突然言われたのでとても強いショックを受けました。

 

父親や母親には「その通り、実は貴方は我が家のお荷物なのよ」と言われたらという恐怖心からこのことは言えませんでした。

 

その後、私はかたくなに祖父母の家に行くことを拒み、なぜ泣くほど嫌がるのか理由がわからない両親はとても困惑していましたが、私は決してその理由を言いませんでした。

 

それから長い間、その記憶は明に暗に私を苦しめ続けました。

 

そういった自分の存在意義を見失う辛い体験を乗り越えることができたのは今思えば幼い頃に両親から常々言われていた「誰かが困っていたら助けてあげるんですよ」「あなたに出来ることがあったら進んでやるんですよ」という言葉だと思います。

 

当時はこんな私が一体誰を助けてあげられるんだろうかとピンときていませんでしたが、

その後特別支援学校に入り自分よりも症状の重い友達と出会いその友達の手伝いをするようになったときにその意味がわかりました。

 

「こんな自分でもだれかの役に立つことはできるんだ」そう感じることができたのです。

 

「他者貢献」

 

この出来事が私に勇気を与え、過去のつらい記憶を乗り越えることが出来たのだと思います。

 

私の場合は10数年の年月がかかりましたが、誰でもが誰かの役に立てたり、そこに自分がいる意味を感じる瞬間が必ず訪れる思います。なので焦らずにゆっくりと日々自分に出来ることをしながら過ごしていただきたいと思っています。

 

 

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私のこと

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