憲法第5問 | LAW

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憲法第5問

一、小問(1)について[一体説:判例と、信条説(判例の結論不明)]

19条の保障する、思想および良心の自由における「思想及び良心」とは、どのような意義を持つか。

この点については、まず、思想・良心を一体と捉えるのか、それとも、別個のものと捉えた上で、良心を信仰の意味に捉えるのかが問題となる。

 私は、両者を一体と捉えるべきであると考える。なぜなら、密接なつながりを持ち、重なり合っているのであるから、両者を区別する積極的理由に乏しいし、また、201項が、信教の自由を保障している以上、「良心」を信仰の意味に捉える必要はないからである。 

 このように思想と良心を一体と捉えるとして、次に、「思想及び良心」を広く「事物に関する是非弁別の判断」等と捉えるのか(内心説)、限定を加えて「宗教上の信仰に準ずべき世界観、人生観等の人格形成の核心をなすもの」等と捉えるのか(信条説)が問題となる。

 思うに、内心説によるとあまりに広範すぎて、思想及び良心に対する保障が法的に無意味になりかねない。また、思想・良心の自由と信教の自由、学問の自由等が、内的関連性を有すると考えられることからして、思想・良心にも一定の限界があるというべきであるし、「思想」「良心」という文言からしても、単なる内心というよりも、「信仰」に準ずるような人格の核心等を意味すると考えるのが自然である。

 したがって、私は、信条説が妥当であると考える。

二、小問(2)について[判例なし・絶対説で]

 19条は、憲法に敵対する思想についてもその自由を保障しているのか。

 この点については、憲法に敵対する思想を憲法が保障するというのは背理であり、自己矛盾であるとして、かかる思想については、本条により保障されないとする見解もある。

 しかしながら、一定の思想をその「危険性」故に禁じるということを認めたのでは、権力にとって都合の悪いすべて思想を抑圧する口実を与えることになりかねないし、そもそも、思想・良心は個人の内心の問題に留まり、他者との関わり合いを持つものではないから、思想・良心について内在的制約を観念する余地はないというべきである。

 したがって、私は、19条の保障は、絶対的なものであり、思想・良心が内心に留まる限り一切の制約は許されないから、憲法に敵対する思想であっても、同条により保障されるものと考える。

三、小問(3)について[合憲説:判例]

 判決によって新聞紙上に謝罪広告を掲載することを強制することが、思想・良心の自由ないし沈黙の自由を侵害し、違憲となるのではないか。

 上記一のように、信条説を前提とすると、ある信仰またはそれに準ずる思想・主義を抱いていたことを非とし、そのことについて謝罪するものであるならともかく、通常の謝罪広告では、心情またはそれに準ずる世界観、主義、思想等の表明の強制等が問題となっているわけではない。単に当事者が、自体の真相を告白し、陳謝の意を表明するにすぎない。よって、19条とは無関係というべきである。

 したがって、判決によって深部市場に謝罪広告の掲載を強制することは、19条に反しないと考える。

                                   以上

19条 思想及び良心の自由は、これを侵してはならない。 

20条 信教の自由は、何人に対してもこれを保障する。いかなる宗教団体も、国から特権を受け、又は政治上の権力を行使してはならない。

2 何人も、宗教上の行為、祝典、儀式又は行事に参加することを強制されない。

3 国及びその機関は、宗教教育その他いかなる宗教的活動もしてはならない。

思想及び良心の自由の内容

ある思想及び良心を持つことを強制することは許されない(強制の禁止)

ある思想及び良心を有すること、または有しないことを理由として、不利益を受けることはない(不利益扱いの禁止)

自己の思想及び良心を告白することを強制されない(沈黙の自由)