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藍原来実子です![]()
会社員のころ、朝は息子と一緒に家を出ていました。
ある時、あと5分しかない、と慌ててストッキングを履いていると、
「学校に行きたくない…」と言ってきたんです。
えっ!?
いきなりそんなこと言われても困る!
「休むなんて無理だよ。さっさと準備して!」
ソファからなかなか立ち上がらない息子の代わりに、ランドセルを持ち、
電車を1本遅らせられないか慌ててスマホで調べながら、
バタバタと玄関を出る…
そんなことが、よく起こるようになりました。
***
学校行きたくない、は子どものSOSだと今ならわかるのですが、
行きたくない、が甘えに聞こえて許せない。
休むなんて、私の育て方が悪いみたい。
一度休めば、ずっと休むことになるかもしれない。
と、怒りや恐れから、
今日は何時に出るの!?ときつくあたっていました。
息子のしょんぼりした顔を思い出すと、今でも胸が痛いです。
***
今の私は、休ませることが必要なときもある、
と思えるようになりました。
不登校という出来事が、
私の生きづらさの元になっている価値観に
気づかせてくれたからだと感じます。
例えば、
学校に行けない子を育てた私は、能力がない。
会社を急に休むのは「できない」人みたいだ。
仕事と子育ての両立ができていないようで格好悪い。
などなど。
おかげで、
甘えだ!という怒りから、
息子の気持ちを考える割合が増えていきました。
***
みんなと同じように学校に行ってほしい、
と思うのは、親なら当然かと思います。
ただ、もし親側にもっと違う捉え方ができていたら、
不登校初期であっても、
親子でもう少し楽になれたのかな、と感じます。
不登校を通して、軽やかに過ごせるようになったのですが、
(不登校にならずとも、そうなりたかったですが💦)
苦しさ、違和感、などの裏に潜む自分の当たり前(思い込み)には、
これからもどんどん気が付いていきたいです!
本日もお読み頂き、ありがとうございました。

