ご訪問ありがとうございます。

藍原来実子ですニコニコ

 

 

今日は、我が家の兄弟の鉛筆事情を書きたいと思います。

思い出話になりますが、よろしければお付き合いくださいウインク

 

 

長男が小学1年~4年までは、不登校とは無縁の生活だったので、

学校生活も特に意識はせず、

 

「宿題やったの?」「忘れ物ない?」

 

と問いかけるくらいで、鉛筆がどうなっているか、あまり気にしたことがありませんでした。

 

ところが、長男が小学5年から不登校になったことで、

次男が小学1年生(長男中1)になったときには、

長男の時以上に、色々なことを気にかけようと思っていました。

 

そんな最中、宿題を一緒にやっていたある日、

赤鉛筆を取り出そうと次男の筆箱を開けてみたら、

書けそうにない鉛筆ばかりが入っていたんですガーン

 

芯が取れて、鉛筆の木の部分が空洞になっていたりします💦

 

 

男子あるあるなのかもしれませんが、鉛筆を何日も削っていなくても平気な状況に、

怒るよりもびっくりの方が大きかったです。

 

 

これまでのこともあったので、

 

「鉛筆削ろうね!」と言ってみたり、

「ママがお助けマンになるね!」と時には削ってあげることにしました。

 

正直、長男のときには考えられないような、対応をしています💦

 

***

 

そんなある日。

退職して時間もあったのでサイドボードの引き出しを片づけていた時のことです。

 

長男が小学生のころ、私に書いてくれていた手紙が何枚か出てきました。

 

「まま、いつもおいしいごはんをつくってくれてありがとう。大すきだよ。」

 

手紙の他に、長男が作った私との間で使う「券」もたくさん出てきました。

 

「ままと〇〇(息子)でぎゅー3回けん」

「〇〇(息子)ががんばってあまりしっぱいしないようにうまくやるよけん」

「ままがえんぴつけずってくれるけん」

 

こんな「券」があったことさえも忘れていて、

この内容に長男の色々な気持ちが込められているような気がして

涙が止まりませんでしたえーん

 

 

ぎゅーしたかったんだ…。

私、失敗したらよく怒っていたんだ。

鉛筆削ってほしかったんだ…。

 

 

何にも気が付いていなかったんです…

一生懸命やっているつもりで、何も寄り添えていなかったんです…

 

 

もう時間は戻らないし、彼は不登校になってしまった。

もっと私にできたことが、あったのではないか…。

 

 

不登校は問題ではない、と思えている今でも、

彼自身が辛い状況になってしまったことに変わりはなく、不甲斐なさを感じました。

 

 

長男にはもうやってあげられないけど、

次男の鉛筆を削っている自分に、はなまるをあげよう、と思いました。

 

長男には今からでもできることを、やってあげたいと改めて思いました照れ

 

 

最後までお付き合い頂き、ありがとうございました!