2023.1.19
後に備忘録
と、なるであろう
日付と残す
前日
日曜日の夕方
息子の野球の時間帯に
体育館で保護者会
代表をしている私は
そのままそこで
他の保護者の方と
色々な意見を交換しながら
結局3時間びっちり
缶詰になっていた
すると‥
母からの
着信があったことに
帰り際に気づき
以前なら
なにかあったのでは
と焦るところ‥
最近はもうすっかり
慣れたもので
何度目かの着信で
入っていた留守電に耳を傾ける
また同じ話だ
何度説明したかわからない
その内容が残っていた
急ぎではないことがわかると
一安心して⚾に戻り
帰宅後
夕飯・片付け・子の就寝までの
一連のことを済ませ
前のブログの
夫との第二夜を迎えたのだった
⇩参照
息子の予知夢 と ビリミリオン | UCHUMAJO SeECO のブログ ツインレイ 夫婦 (ameblo.jp)
さてさて
そんなことがあって
朝一から
母に電話をしても
長くなるだけだと
(旦那様が早く、母と兄に言わないとと急かすのもあったので背中をおされ)
私は直接話をしに行くことに決めていたので
スキー⛷学習の
息子のお弁当をこしらえて
送り出したあと
早速、でかけることにした。
21度詣りの
この日は20日目だった
丁度
高速のインターの手前に
氏神様があるので
はやる気持ちを抑え
先にご挨拶をしてから向かう
左脳ちゃんと右脳ちゃんが
90kmの距離を走行中
大変なやりとりを繰り広げるだろうと
予測できたので
私がよくやる
タブレットを持参し
ずっと
今後最高の将来を迎えるために
今の私に必要な動画を
流して耳を傾けていた
思考の内容が多かったように思うが
とにかく
自分の実感として
宇宙は完全に応援大好きで
いつでも望めば叶えてくれるし
自分が望んだことしか
むしろあらわれていない
今回の
この大きな出来事も
全て自分が引き寄せたと
自覚している私としては
旦那様さえついていれば
無敵状態の
スーパーマリオでなら
スター取ってる時
戦場へ行くのに
波動ダダ下げでいっても
負けは決まる
じゃあ
アゲアゲで
行くっしょ!!と
始終
高速をニヤニヤしながら運転
動画を視聴し向かっていった
୨୧ ⑅ ୨୧ ⑅ ୨୧ ⑅ ୨୧ ⑅ ୨୧ ⑅ ୨୧ ⑅ ୨୧ ⑅ ୨୧ ⑅ ୨୧
母と対峙
ついにきました
が、その前に…
実は
若い頃
私がまだ20代で
保育士をやっていて
市の臨時職員という
時給の仕事をしていた頃
当然
保証されない
❖不安定な立ち位置
❖安い給与
❖働いたら働いた分
1年、または6ヵ月以上の勤務はできないという
各市のルールにのっとり
退職・再就職を繰り返していた
はたから見たら
『同じ保育園の先生』なんだけど
中身は公務員と臨時は
天と地ほど違う
それでも
私は好きでこの仕事をやっていたし
天職でしかない
この幸せを手放せずに
現場から
「2か月休んだら、また戻ってきてね♡」と
※ちゃんと担任ももってるしね
いいようにといっちゃアレだけど
うまく使われていた
手取り12万程度で
一人暮らし
車を所持
北海道の片田舎でも
暮らすのは一苦労
休みの2か月間に
キャバクラでバイトし
その時たまったを
また保育士生活で削っていく…
そんな生活をしていたり
当時10歳も上の
同じく臨時職員で
独身の先輩方をみて
なんとなく
そんな自分の未来って
ナイ
気がして
飛び込んだOLの世界
おかげ様で
何をやっても
そつなくこなし
元からいる方には
ひがまれる(あるある)が
上司やひがまない同僚には頼りにされる
何の仕事をしても
そこにやりがいを見い出し
楽しんで取り組みことができる
お金の心配はなくなっても
有休を取って
保育園に
パワーチャージをしに行く
そんな日々が始まった
その前の段階の
保育士で
の底が続いていた時
カードローンが膨れ上がり
100万近くになっていたんだったか
返すのが大変になり
母へ相談したことがあった…
その時
利息ばかりになった返済に
なんとかしたい思いで
母に借りて母に返すという相談だったが
とにかく
死ぬほど嫌味を言われた
大人になって
(子どもの頃もだが)
あんなに親に泣かされたことは
ないという
二度とそんな事を言ったら
生きていけないという呪縛をかけられたように
うちの母は
元々物言いがキツイ
といっても
感情が入ってしまうとか
テメーとか
そういうんじゃなく
冷たいのだ
『そんなんで生きてる価値がない』
とは言っていないが
それと同様の意味のことを
サラッと言う
そして
ぐさぐさ
ぐさぐさ
ぐさぐさ
ぐさぐさ
ぐさぐさ
ぐさぐさ
ぐさぐさ
ぐさぐさ
もういいだろ
ってなっても
まだ言う
そんなことがあって
私は
母には特にお金の話ができない
大きなブロックを抱えていた
更には
小さい頃から
母は『お金がない』が
口癖のような人
世間からは…
社長(会長)婦人で
大きな家🏡に暮らして
お手伝いさんもいたり
父と結婚してからは
仕事をしたこともない
だけれども
🏡では
『がない』と言って
いつも山菜を取ってきては
食べていた
幼いながらに
私は
『それはきっと違う』と
今思えば直観なのか
曾祖母が上で教えてくれていたのかは
わからないが
わかっていた。
さて
また話が長くなってしまっているので
ココで話を戻しますね
そんな母の
お金を預かり流用していたという
今回の大事件
👆ドキドキするから
太字にしないでサラッと書いた💦
もしかしたら
今、読んでくださっている方々は
お気づきの方も多いかと思いますが
お金はエネルギーで
貯めておいても
全く良いことがない
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【背景】
私は母が倒れた
2022年4月から
毎日片道90kmを
高速で往復し
まだ留守番ができない
(息子を生んだ母のネグレクトでの影響もあるのか)
小学4年生になりたての息子
可愛い息子を一人にさせたり
不安にさせたくないので
毎日、夕方には戻って
また翌朝走る
ワンオペしながらの
区役所勤めだった当時
休職したり復帰したりを繰り返し
ひとりで疲弊し
体調メンタル共にボロボロになっていった
収録時
間違えて「2023年」と言っていますが
「2022年」の話です⇩
うちの兄が
非協力的過ぎて
※兄は実家の稼業を継ぎ母の近くに住んでいるが
私ひとりで抱えて
ウチの家計から
高速代もガソリン代も出しても言えず
兄が旦那を
大手企業からひっぱって
旦那も仕事も辞めることになり
旦那は辞める前から
休みの度に兄に呼ばれて
そちらも高速でガソリンがかかって
行っていたり
更には
ウチの旦那様も
常に鼻くそ食った顔をしていて
一切家事育児協力や感謝というものがない
むしろ
文句ならなんぼでも出てくる
そんな人だったので
家庭内でも
お金のことは
全部私の責任
ない
なんて言えない
言っても逆切れされる
そんな環境だったこともあり
全部全部抱えていた私
2022の冬までこうでした