アトリエてらたより -7ページ目

アトリエてらたより

福岡は六本松閑静な住宅地にあるART CAFE & BER<アトリエてらた>からの便り。福岡市中央区六本松3-5-28 TEL 092-771-4445
営業時間15:00~翌1:00 日・月定休ですが開けてる時もあります!お問い合わせ下さい!!

音楽を聞く(主にROCK)ようになったのは以前に書いたように
叔父が置いていったTHE BEATLES。私には4つ離れた兄がいたの
で基本的には兄が聞いていたのを一緒に聞く。これが始まり。

そんな兄のおかげで人より音楽的には早熟だったと思う。
その兄が中学生の頃夢中になった音楽がある。

「FOR LIFE」

井上陽水、吉田拓郎、泉谷しげる、小室等のフォークシンガー4人
が1975年に設立したレコード会社。

この4人を中心にフォーク1色にレコードコレクションが広がった。
特にすきだったのが泉谷しげる。

当時私は小学生。
中学生と小学生が泉谷のコンサートに行く。

アコーステックギターを力一杯かき鳴らしながら、最後には涙を
流し「またくるからよ~~~~~~!!」と怒鳴る泉谷に手が腫れる
程手拍子をし拍手を贈る小学生。私も初めて見る本気のパフォーマン
スに度肝を抜かれ涙した記憶がある。

コンサートを見てからは泉谷好きはエスカレート。
泉谷しげるの1stアルバム「泉谷しげる登場」というライブアルバム
の中で「早くファンクラブをつくりなさい~」という歌詞の歌がある。
そんな歌に感化されたファン達が作ったファンクラブが出来たと雑誌
に小さく載っていた。

「こりゃー入りゃにゃー」という事でなけなしのお金を現金書留で発送
。数日後ガリ版印刷のぺらぺらの紙にびっしりと泉谷に関する記事と会
員証。九州地区1番(兄)2番(私)と書いてある。
で手紙が1通。「入会ありがとう!九州では君たち兄弟だけが入会でした!」
みたいな事が書いてあった。

小学校の音楽の授業。
一人1曲、自分の好きな歌を皆の前で歌うという授業。
伴奏などない。アカペラで。
とても恥ずかしい授業で皆嫌がった。

同級生はその頃はやってたアリスとか歌謡曲や童謡を歌った。
私は迷う事無く「泉谷しげる」。
一番好きなアルバム「家族」の中から「少年A」を選曲。
$アトリエてらたより

泉谷しげる「少年A」歌詞↓
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あんちゃんのもってくる白い粉で
妹がママゴトしたもんで
サツのだんなの目にとまり
あんちゃんあっさりつかまった。

妹はわけがわからんと白い粉をふんずけた
家じゅうひっかきまわされ
オレもついでにつかまった。

サツのだんなのいうことにゃ
あんちゃんこのままにしておけば
2度と家には帰れないと
それがよけりゃそうしろと

これから学校には行きにくい
あんちゃんの顔ははっきりと
新聞にのってしまったし
おれも「少年A」でのっていた。

====================

歌い終わった後の静寂は今でも忘れない。
(普通はお約束の拍手)

一息ついて音楽の先生が言った。
「寺田君、この曲オリジナル?」

そんなわけないだろう。



エッセイみたいなのが続きましたが、ここで「アトリエてらた」というのはいったい
何屋なのか?みたいに思っている方も多いかと思いますので店の様子とメニューなんか
をご紹介。

私たちはここ「アトリエてらた」を始める前4年前から吉野ヶ里で
AMP GALLERY & CAFE
を運営しています。そこの看板メニューが「ヤッホーカレー」。
スパイスバキバキの上げ上げ系カリー。
最近ではAMPに問い合わせで「ヤッホーカレーさんですか?」
と屋号と思ってくれている方々もいらっしゃるほど。(うれしいです)
$アトリエてらたより
これが噂のヤッホーカレー

そのカレーを看板メニューにして昼はカフェ夜はぐっと照明を落としたBERになります

その様子とだいたいのメニューを1枚のページにまとめましたのでドーゾ↓
$アトリエてらたより

で日によってインドの義兄弟ハリさん仕込みの
$アトリエてらたより
ジャガイモとピーマンのデリーカリー
$アトリエてらたより
卵のカリーまたの名を「UOVOカリー」

も出しています!
「ジャガイモとピーマンのデリーカリー」「UOVOカリー」とも辛くなく肉も一切使用していないので
ベジタリアンでもお子様でもOKです!

是非お食事に、深夜の〆のカリーに酒のつまみにど~ぞ。
お待ちしとります!
小学生1年の頃チャボのつがいをもらった。
どういう経路でもらったかは覚えていないが、とにかく私はチャボにハマってしまった。

ネコ可愛がり以上にチャボ可愛がり。
学校から帰ると遊びに行かずにチャボと過す。
そんなチャボ達は私の思いが伝わったのかもの凄く懐いて言う事をきいた。
アトリエ入り口の階段を一段一段とまって降りる技や、どんな場所でも眠らせる技。
遊びに出かける時も服の中に抱えてチャボと一緒。決して私のそばから離れない可愛い奴。

その頃はよく由布院に家族で遊びに行く事が多くまだまだ長閑な「亀の井別荘」の
空いてる部屋に泊めさせてもらってた。
勿論チャボ、と愛犬のダックスフンドも連れての大移動。
チャボだから当然朝早くから「コケコッコー」と鳴く。
これにはあの優しい「中谷健太郎」さんも困り果てた。
そこで中谷さんは別荘から少し離れた山小屋みたいな所を借りるように提案。
両親が友人知人を集め会員制で別荘を借りるようになった。
(これは現在でも場所を変えながらまだ続いているからスゴイ。今は私が管理人)

六本松の家では鳥小屋はなく現在の「アトリエてらた」の部分つまり父親の
アトリエで放し飼いされていた。ここでも困った事が。
どうしてか分からないがチャボ達は絵が好き?らしくカンバスの上にしかフンをしない。

それを見た上野英信さんが鳥小屋を作る事になった。

$アトリエてらたより
上野英信

ここ「アトリエてらた」の家は上野さんのご実家だった。
縁あって寺田家がその家に住むようになった。46年前の事。

寺田健一郎著書「絵描きの小休止」より抜粋。

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~建材店から、軽トラックで材料が運ばれて来た。アトリエいっぱいに広げられた材木に
どぎもを抜かれて、私はただ、うろうろするだけ(父は驚く程に不器用だった)だった
が、上野さんは張りきって、ハチマキをしめ直した。

工事は1日では終わらず、2日目の夕方になって、ようやく完成した。アトリエのまん中に
堂々と建てられたものは、とても鳥小屋には見えず、どちらかといえばトラをいれた方がふ
さわしく見えるのだ。

「できましたね」、上野さんは満足そうだったが、私は何か不安を感じて落ち着かなかった
。その不安が何であるか、すぐに分かった。上野さんの傑作は大きすぎて、アトリエのどこ
からも外に持ち出せなかったのである。
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エッセイはここまで、話を続けます。

窓を外しても出なかった巨大な鳥小屋は一部を解体し、なんとか外にでて組み立て直された。
当時のアトリエの下にはなにも無く(今は家がある)ガレージになっていた。(車はない)
そこの端に取り付けられた。小屋が広いのでチャボをはじめ、うさぎ、鶏、うずら等種類も
増えにぎやかになったが、昔の事なんで野犬が多く金網を食いちぎって中に入り食べられて
しまったりしてだんだんと少なくなってしまい、いつか自然消滅してしまった。
そして我が家のペットはダックスフンドの「マルクス」(正式名称寺田マルクス。父が名前
をつけた)だけになった。いまでも私はチャボを見ると可愛いと思うのである。

前のブログでも書いたように高校2年の時にTHECLASHを見に行った。
コンサートを見るのが勿論一番の目的。
私にはもう一つ目的があった。

「PUNK ファッション」

東京行きが決まってから友人の伝で博多駅全日空ホテルでの皿洗いの
バイトを始めた。
旅費はなんとかなったので東京で買い物をするための小遣い稼ぎ。
当時の福岡でPUNKの服を売っている専門店は無く、見よう見まねで
黒のジーンズにジッパーを縫い込んだり、T-シャツを破ってみたり
全て手作り。今考えればそっちのほうが面白いのだが、当時はロン
ドンのあの店のあの服が着たい!と思ってた。

無事にTEH CLASHを見終えた後は数日買い物三昧。
PUNK雑誌「DOLL」の広告を頼りに博多から出て来た田舎者が歩き回
る。高円寺「BOY」渋谷「ラ・モスカ」原宿は沢山。
その中でも一番は東京に出来たばっかりの「BLACK」
そこには私が欲しかったセディショナリーズの「ガーゼシャツ」があ
るのだ。

いまじゃー英国を代表するファッションデザイナーになった
ビビアンウエストウッドとマルコムマクラーレンのPUNKブランド
「セディショナリーズ」当時の「BLACK」にはそれがあった。

$アトリエてらたより
マルコムとビビアン(ビビアンが着ているのがガーゼシャツ)

当時の高校生には清水の舞台級の思いで買った、ガーゼシャツと
タータンチェック柄のボンテージパンツ。
嬉しくてよく着ていたが、なにせ当時の博多にはこんな格好している
奴は居なく天神を歩いてても気違い扱い、友人も一緒にあるいてくれないし
ヤンキーに絡まれる等、良い事が一つもない。

この頃にはPUNKバンドを始めていたのでライブの時だけヒーロー。
「カッコヨカね~」「どこで買ったと?」等質問の嵐。
分かる仲間には好評。あとは必ず眉をひそめる。

$アトリエてらたより
高校生の頃のライブ時、ガーゼ&ボンテージを着ている私


でもそんなの良かった。関係なかった。だってあの人達(ロンドンパンク)
と同じ格好ができたのだから。(子供だね~)

父親?

父はこんな格好してても文句一ついわないどころか笑ってからかってた。

父「お、それがパンツルックか?」
私「パ・ン・ク!!」
父「けっけっけ!(笑い)」

父の友人が遊びに来た時

父「おい、黄太、例のパンツルック」見せてんやい!」
私「やけん、パ・ン・ク!!」
父「みてんやい、これが8800円もするっちぇ、この雑巾みたいなのが」

こんな感じ。
そりゃそうだ九州派のパレードなんかこんなもんじゃない格好してたの
だから。

そんなに好きだったガーゼシャツも1年も過ぎれば私もpunkから
new waveに興味が移り格好も全然違うようになって。このシャツも
押し入れにしまい込んで着る機会は無くなって眠っていた。

さらに数年後、私は親不孝通りでPUNK専門レコード屋「UK EDISON」
で働だした。
お客さんでよく来るスタイリストさんから質問を受けた。

客「だれかガーゼシャツもってる人いないですかね~、作りたいんで
  パターンをとりたいんですよ。」
私「あ、オレ持ってますよ!」
客「本当ですか!是非売って下さい!」
私「着てないですから良いですよ~オレのは<セディショナリーズ>
  ですしね!」
客「本当ですか!!!うわ~」
  といって考え込む。

客 おそるおそる「10万で良いですか?」
私 客に見えないように拳でガッツポーズ決めながら
  「ま~いいですよ~」と平然を装いながら返事。

そうこの頃にビビアンは「ワールズエンド」で全世界に大旋風を巻き
起こすデザイナーになっていて「セディショナリーズ」はもはや伝説
になっていたのである。

早速家に帰って押し入れを探す。
無い!無い!どこにも無い!

母に聞く
私「あのガーゼシャツ知らん?」
母「あれ、何年も着てないし、汚いし、雑巾にしたよ!」

私 怒る気力も無くしてつぶやいた
  
「10万円。。。」
ジョーストラマー(THE CLASH)が亡くなって今月の22日で9年になる。
ピストルズ亡き後パンク初期からず~とリアルタイムで聞いていた私達の
世代にとってジョンレノンが死んだ時よりリアルに悲しかった。
(ジョンも勿論悲しかったが、私たちの世代より随分上の世代のリアルな
悲しさでは無かったと思う)

実は私は今となっては再結成も絶対あり得ないTHE CLASHのライブを見た
事がある。高校2年生の時。

ある日いつものように学校から帰ると真っ先に見ていた5分間だけMUSIC VIDEO
を流す「MOVE ON MUSIC」という番組を見ていたらテロップで「THE CLASH
来日決定!!東京、大阪公演」と流れた。福岡公演が無いのを家中走り回って悔し
がったと思う。高校生には当時東京に行く旅費なんかあるわけもないから。
両親も「残念やね~」って感じ。「交通費出そうか?」なんていう環境じゃない。

しかし奇跡が起きた。私ではなく兄に。
商店街の福引きで「福岡~東京」往復の航空券を兄が当てたのである。
私はここぞとばかりに兄に頭を下げ、いかに自分がTHE CLASHが好きかを(勿論
そんな事分かっていた)説明し毎日毎日券を譲ってくれるようお願いした。
根負けをした兄は「いつか返せよ」と言いながら譲ってくれた。

で前回で書いた東京の叔父に連絡しすぐチケットを押さえてもらいぎりぎり追加
公演の席を手に入れた。

ライブが良かったのは言うまでもない。

その時東京には当時叔父、叔母、祖母の家があり数日滞在させてもらった。

叔母の家に滞在中の出来事。

叔母「黄太(私の名前)あなたが見に来たバンドって何?」
私 「知らないと思うけどイギリスから来たTHE CLASHってバンド」
叔母「そのバンドのヴォーカルの人達と昔皆で共同生活してた事がある!」
私 「絶句。。。した後え~~~~~~~~~~~~~~~~~~~」

私、鉄板の自慢話である。


$アトリエてらたより
鶴田静

日本におけるベジタリアン料理草分けの人でありエッセイや自然生活、環境
、食文化、庭園と草花につい ての執筆、英語翻訳等その筋では「カリスマ」な人だ。
スローライフという言葉が出るず~~~~~と前からそれを実践している。
(両親が海外に長期旅行に行くと東京から叔母が私たち兄弟を世話しにやってきたりと
大変お世話になった。)

叔母はウィリアム・モリス研究のためのイギリスにわたりPUNK 爆発寸前1975年に
LONDONに居着いてしまう。仲間とスクオッチング(空き家乗っ取り運動)しながら。
そのスクオッチングの仲間がTHE CLASH以前のバンド「The 101'ers」のヴォーカル
「ジョーストラマー」だった。The 101'ersのバンドのポスターをシルクスクリーン
で作ったりしてたという。その滞在中にベジタリアン文化にふれ帰国後はベジタリアン
レストラン運営ののち執筆活動1979年に『ロンドンの美しい町』という本を出す。
その本に中で上に書いてあるスクオッチングの事が書いてあった。

で、THE CLASHの来日が1981年。叔母のファンが『ロンドンの美しい町』に出て来る
「The 101'ersのヴォーカルの新しいバンドが今来日していますよ」と教えてくれたという。

それを甥っ子が博多からわざわざ見に来ている。
という事件。

2002年ジョーストラマーが死んだとのニュースが流れたとき叔母から
電話があった。

叔母「ジョーが死んだね~」
私「うん。残念。」
叔母「原因はやっぱりドラッグ?」
私「いや違う。」

こんな発言する叔母はそうそう居ない。






写真はThe 101'ers時代のジョーさん
$アトリエてらたより
「忍おじさん」が来る!
と連絡があると嬉しくてしょうがないのは美味いものをおごってくれるから。
ではない。(無いと言えば嘘になるが)

鶴田忍$アトリエてらたより

母の10才離れた弟で俳優。
前回のブログでも書いたように劇団俳優座養成所第16期生。
同期には古谷一行、峰岸徹。1971年、中村敦夫、原田芳雄、市原悦子らと共に俳優座を退団し
新しいプロダクションを作る。

母が東京から博多に嫁いでからは忍叔父(当時小学生)は夏休みになると博多に遊びに来てたらしい。
70年代、逃走中の赤軍派メンバーに「鶴田忍」の名前を使われてスキャンダルになり、1年間位
ここ六本松に住み東京から身を隠さなければならなかった。
ふらふらしているのもなんだから寺田の家業の靴屋で働いていた時期もある。
無事に俳優業に戻ってからはTVや映画で見る事の方が多くなった。
本当に多くの作品に出演している。(wikiで見てみて)

「靴屋で働いてた時代このままそこに就職してしまおうかと思った」
らしい。戻って良かったのは一目瞭然。

叔父がここ「アトリエてらた」に持ち込んだもので私が(兄弟が)もっとも影響うけたのは
「ビートルズ」と「ギター」だった。
大げさに言うと私が音楽を聞く、ギターを弾くようになったのも叔父のおかげである。
(おかげでなく駄目にしたのかも?)

私が大人になってからは博多の飲み屋によく一緒に行く。
屋台なんかに飲みに行くと屋台の大将や隣のお客等から、
「あの~、失礼ですけど俳優さんですよね?」

「鶴田忍さんですよね?」とはまず来ない。

「そうそう!顔は売れてるから。皆ね~名前迄覚えないから、オレ有名人じゃなくて
有顔人ね。」

と言ってサインをする。

で隣に居る私を見て(格好が派手なもんで)
「あの~そちらは?」
「あ、私は一般人です」と私。

これがだいたいのパターン。

1回だけ警固にある「ハイサイ」という行きつけのお店に一緒に行ったとき
「鶴田忍さんですよね?」という事があった。
店の主人K野さんは俳優の脇役好きなので知ってたらしい。さすがです!

飲むと出演したドラマや映画の裏話を聞くのが楽しみ!

随分前だがズ~と気になってた出演したドラマ「北の国から」
(北の国から 87初恋)
の時の事を聞いてみた。

役は純(吉岡秀隆)の中学生時代の先生役。
私は北の国からの大ファン(父親も)だったので当時出演するって聞いて
一生懸命TVにかじりついて見た。

黒板五郎(田中邦衛)と学校の外で2人が立ち話のシーン。
叔父は自転車を持ったまま立っていたと思う。

ん。喋ってるのは良いが台詞がない。
まるでイメージカット。

でそれっきり出て来なかった。

見終わったあと「あれだけ~?」と言ったのを思い出す。

この時の事を聞いてみたのだ。

本当は他にも色んなシーンを撮ったらしく富良野に1週間居たらしい。
音声のトラブルで台詞が入っておらず、全部CUTになり結局あの短い
シーンしか使われなった。という事。

父親が生きていてこのドラマを一緒に見ていたら
(最初から欠かさず見ていたので)
「あれだけ~?」と一緒に言ってた事だろう。

$アトリエてらたより

上の写真は居候時代の忍叔父(右端)と家族写真。(叔父の下にいる猿みたいなが私)
当時の「アトリエたらた」叔父の右に写っているガットギターは東京に戻るときに六本松に預けたもの。そのギターで私たち兄弟はギターを弾き始めた。35年立った今もまだ預かったままここにある。
先週末、私達が運営する吉野ヶ里のAMP GALLERY & CAFEにおいてある
父親の絵や資料を持ち帰ったところずっと探していたものが出て来た。

故 原田芳雄さんのサイン色紙。

$アトリエてらたより

原田さんは40年以上も前「アトリエてらた」に居候してた事がある。

亡くなった日の私のmixi日記に書いた文が説明してくれているのでそのまま
ここに載せます。

以下2011年7月19日のmixi日記から

=============================================
原田芳雄さんが亡くなったと夕方知った。

なんとも言えず体の力が抜けていくのが分かった。身内とか友人とかの悲報を聞いた感じと同じだ。

寺田家(私は元の姓は寺田)は原田さんとは交流があった。
(詳しくは兄・太郎が書いた文章を読んでもらえれば分かります)

http://mixi.jp/view_bbs.pl?id=3922629&comm_id=254564

簡単に言うと私の母の弟である役者の鶴田忍の友人(先輩)である原田さんは、今私が住んでいる福岡は六本松の家に半月程居候した事がある。40年以上前の出来事である。

舞台の仕事が終わった2人(鶴田&原田)は特に次の仕事も決まって無かったのでせっかく九州に来たのだからと六本松に寝泊まりを決めた。根っからの遊び人の父親達と共に毎日宴会。昼は私たち兄弟を引き連れ柳川や志賀島などに出かけた。らしい。

らしい?

そう私は幼な過ぎて記憶が無い。悔しいけど。

4つ離れた私の兄・太郎はこの時がよっぽど楽しかったらしく何度も何度もこの事を話してくれた記憶がある。それゃそうだろう原田芳雄はその当時から大スター(まだヒマだったが)だったのだから。

その居候してたのが太郎が夏休みの出来事。

夏休みも開け学校が始まった太郎は「原田さんが家にず~と居て一緒に遊んだ」
という事を友人達に自慢した。
しかし友人達は太郎の言う事を信じず「嘘つき」と呼ぶようになった。
太郎は親に愚痴る。母がそれを叔父に愚痴る。叔父がそれを原田さんになにげに言う。それから数日して1通の手紙が原田さんから来た!宛名は寺田太郎、黄太(私ね)。

手紙には福岡での楽しい思いでが書いてあった。
文章には書いて無かったが「この手紙を嘘つき呼ばわりする皆に見せて嘘じゃないと証明しろ」という事。

そして最後に
「君たちが大きくなったら一緒に飲もう!その時を楽しみにしている」

と書いてあった。


それから両親は由布院映画祭の最初のゲストに原田さんを呼ぶ口利きをしたり、決まったら由布院に行ったりとかの交流は続いた。
さすがに日本でもトップクラスの俳優になってからは六本松でゆっくりするなんて事は無かったが父が死んだときに真っ先に大きな花輪を送ってくれた。


そして「一緒に飲もう!」という事も今日とうとう不可能となった。


原田さんが歌ったアトリエの屋根の上はまだ同じ状態である。
昔は見渡しがよかったが今ではマンションだらけ。
その屋根の上は愛猫「ポー」が毎日、原田さんのように月を見ながら歌っている。実際には鳴いているのだが。そして私は泣いています。ベットの上で。

$アトリエてらたより
$アトリエてらたより

私の父寺田健一郎は絵描きだった。
(「アトリエてらた」は父のアトリエ跡を改装している。)

職業が絵描きなので常に家に居る。
他のお父さんのように朝早く出かけ夜帰ってくる、という事は無い。

宴会好きでアトリエでいつも呑んではいたが、スタートも早く終わるのも
早かった。12時には寝てたと思う。集った人は勝ってに遅く迄いたりしたが。
なので起きるのが早く家族を起こすのも父の役目。
子供部屋が父の部屋の上だったので起きないと下から棒で「どんどん」とつつかれる。

朝、階段を降りると食卓に新聞を広げ(新聞は3社?位とる程新聞好き)

『モーニングビール』

を呑みながらゆっくり食事する父。父親だけ別メニュー。
パンは絶対食べない。母と私たち兄弟だけパンとコーヒーこれは母の好み。
父が他に食べないものは「さつまいも」これは戦時中の食難時代に「一生分を食べたから」
だそうだ。

「大人は朝から必ずビールを呑むものだと思ってた」

と兄が文章で書いてたように私もそう思ってた。
(寺田の兄弟(父が一番上で下に7人男ばっかり)の中、一番下の叔父がこの”しきたり”を
未だ実践している。)

私が高校生になるころ子供部屋にもステレオが装着された。
中学生でSEX PISTOLSにノックアウトされた私はこの頃見事なPUNKSになっていた。
ステレオが部屋にあるので時間があればレコードを大音量でかけては父に下からつつかれる。
もしくは階段の下から怒鳴る。友人がいてもおかまい無し。何人友人が父に怒鳴られた事か。

しかしどんなにうるさくても子供部屋まで上がって「うるさい!」と来る事はなかった。
ただ1回を除いて。

それがPILの[METAL BOX]をかけた時

$アトリエてらたより

(当時はこのCAN入りはとても高価で普通のアナログ2枚組を聞いていた。)

ジョンライドンのこのアルバムが出た頃のインタビュー記事を読んだ。

「是非日本製(彼はオーディオマニア)の良いステレオで大音量で聞いてくれ!
日本の木造住宅ならぐらぐら揺れるはずだから」

これを真面目なPUNK&NEW WAVE少年は実行したのである。

地震が起きたようなうねるベースライン、超低音、スーパーウーハーなんて無い時代である。
この時こそ父が血相を変え部屋に上がってきた時。
いつもの「うるさい!」ではなく

「なんばしょっとかーーーーーーー!!」

父が棒でつついても、下からどなっても気づかなかったのだ。

METALBOXは大人になって高校生の頃よりはお金があったときにあらためて買った。
それは12インチ3枚組でさらに低音の響く(45回転の方が音が良い)暴力盤!最高。

「アトリエてらた」は久しぶりにアナログプレイヤーを(カセットも!)設置したので
アナログ盤も聞けるようになった。昨晩お客さんの居ない深夜にこの暴れん坊盤をかけた。

「揺れる」

相変わらず凄い音!!!!!
しかしすぐにボリュームを下げた。
今は下に母の部屋があるから。

私も大人になりました。

そしてこのアルバムでベースを弾いていたジャーウーブルとギターのキースレビンの
バンド「METAL BOX IN DUB」の2月の来日公演を東京まで見に行くのを楽しみに
働いているのである。





「アトリエてらた」オープン少し前、広島にオノヨーコ「希望の路」を見に行った。
前もって美術手帳で内容や写真を見てはいたけど、生の作品の中にいると(部屋全体が作品なので)あまりの迫力に立ちすくんだし、怖くなった。とにかく凄いものを見た。(体験した)

で、その時に買ってきた「IMAGINE PEACE」の缶バッチセット。
色んな国の言語でIMAGINE PEACEの意味が書いてある。全24個入り。

日本語は「平和な世界を想像してごらんなさい」

店ができたらディスプレイしようとず~と思ってて今日やっと制作。

まずリメイク用にとってあったレザーの端切にIMAGINE PEACEと書かれたカードの四隅を
ミシンで縫う。
$アトリエてらたより

その下にバッチをランダムにつけていく。

$アトリエてらたより

しかしこのつける作業、レザーなので針が負けてしまいもの凄く時間がかかった。
やっとこさ全部取り付け。


$アトリエてらたより

上に引っ掛けられるように鳩目を開けて完成!!
$アトリエてらたより

(場所はトイレ入り口の前、勝手口のほうに飾ってます)
横に白い折鶴もつけました。
これはオノヨーコ展の会場に「ご自由にお持ち下さい」とあったので一つ持ち帰った物。
(かってに持ってきたのではないよ!)

$アトリエてらたより

「アトリエてらた」のオープンクローズをお知らせする看板。
ホワイトに黒でシンプルに表に「OPEN」裏に「CLOSE」とだけ書いてある。

$アトリエてらたより

ん?似てる。ん~~~。

そうオノさんのまねっこです!

今日(月曜)は定休日。

久々に世界一美味しいベーコン<KING ベーコン>でおなじみ浮羽のリバーワイルド杉君のところに相談&遊びに行ってまいりました!
定休日とは知らずに。。。(杉君すまん!)

朝☎して在宅かを確認。
杉君「いますよ~。瀬下さん昼飯食いました~?美味いうどん屋がありますよ~」
って事で高速朝倉インターで待ち合わせ。

さっそくそのうどん屋「あさくら」で

$アトリエてらたより

ゴボウ天

$アトリエてらたより

かしわおにぎり

$アトリエてらたより


店の雰囲気は讃岐チック(私は讃岐うどんマニア)でなんともゆる~くいい感じ!
麺ももちもちで博多うどんと讃岐うどんの中間のような腰。太麺。
ワイルド系の麺だと思う。スメも美味いし、かしわおにぎりも凄くうまい!
いやいいねこの店は。お勧めです!

$アトリエてらたより

美味しいうどんを頂いた後、杉君のリバーワイルドへ移動。

筑後川の広大な景色を抜け、

$アトリエてらたより

つきましたリバーワイルド!


$アトリエてらたより

中にはカフェもあります!(月曜は休みですぞ!!)

$アトリエてらたより

カフェ内には兄、寺田太郎の作品の豚スケルトンが飾ってあります。
$アトリエてらたより



杉君と知り合ったのは5年前位。
私が以前働いていたMARS galleryで椅子展という展示会を見に来てくれたのがきっかけ。
お互いROCK好きなので話が合い、仲良くなりました。

(彼のカフェには色んなROCKスターの写真が飾ってます。)

a href="http://stat.ameba.jp/user_images/20111114/21/secibon/cd/57/j/o0480064011611678855.jpg">$アトリエてらたより
<$アトリエてらたより
$アトリエてらたより

そんな彼は国際ハム・ソーセージ品評会で金賞を受賞した「キングベーコン」の制作者。
つまり世界一の男!

今回「アトリエてらた」の店が出来た事の報告と店で彼ののソーセージや肉を使ったメニュー
の相談が今日の目的。

的確な商品提案やこれからイベントの話等、良い1日となりました!
これからリバーワイルド制の豚肉やソーセージがメニューに加わる予定です!
乞うご期待!!