叔父が置いていったTHE BEATLES。私には4つ離れた兄がいたの
で基本的には兄が聞いていたのを一緒に聞く。これが始まり。
そんな兄のおかげで人より音楽的には早熟だったと思う。
その兄が中学生の頃夢中になった音楽がある。
「FOR LIFE」
井上陽水、吉田拓郎、泉谷しげる、小室等のフォークシンガー4人
が1975年に設立したレコード会社。
この4人を中心にフォーク1色にレコードコレクションが広がった。
特にすきだったのが泉谷しげる。
当時私は小学生。
中学生と小学生が泉谷のコンサートに行く。
アコーステックギターを力一杯かき鳴らしながら、最後には涙を
流し「またくるからよ~~~~~~!!」と怒鳴る泉谷に手が腫れる
程手拍子をし拍手を贈る小学生。私も初めて見る本気のパフォーマン
スに度肝を抜かれ涙した記憶がある。
コンサートを見てからは泉谷好きはエスカレート。
泉谷しげるの1stアルバム「泉谷しげる登場」というライブアルバム
の中で「早くファンクラブをつくりなさい~」という歌詞の歌がある。
そんな歌に感化されたファン達が作ったファンクラブが出来たと雑誌
に小さく載っていた。
「こりゃー入りゃにゃー」という事でなけなしのお金を現金書留で発送
。数日後ガリ版印刷のぺらぺらの紙にびっしりと泉谷に関する記事と会
員証。九州地区1番(兄)2番(私)と書いてある。
で手紙が1通。「入会ありがとう!九州では君たち兄弟だけが入会でした!」
みたいな事が書いてあった。
小学校の音楽の授業。
一人1曲、自分の好きな歌を皆の前で歌うという授業。
伴奏などない。アカペラで。
とても恥ずかしい授業で皆嫌がった。
同級生はその頃はやってたアリスとか歌謡曲や童謡を歌った。
私は迷う事無く「泉谷しげる」。
一番好きなアルバム「家族」の中から「少年A」を選曲。

泉谷しげる「少年A」歌詞↓
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あんちゃんのもってくる白い粉で
妹がママゴトしたもんで
サツのだんなの目にとまり
あんちゃんあっさりつかまった。
妹はわけがわからんと白い粉をふんずけた
家じゅうひっかきまわされ
オレもついでにつかまった。
サツのだんなのいうことにゃ
あんちゃんこのままにしておけば
2度と家には帰れないと
それがよけりゃそうしろと
これから学校には行きにくい
あんちゃんの顔ははっきりと
新聞にのってしまったし
おれも「少年A」でのっていた。
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歌い終わった後の静寂は今でも忘れない。
(普通はお約束の拍手)
一息ついて音楽の先生が言った。
「寺田君、この曲オリジナル?」
そんなわけないだろう。































