アトリエてらたより -6ページ目

アトリエてらたより

福岡は六本松閑静な住宅地にあるART CAFE & BER<アトリエてらた>からの便り。福岡市中央区六本松3-5-28 TEL 092-771-4445
営業時間15:00~翌1:00 日・月定休ですが開けてる時もあります!お問い合わせ下さい!!

$アトリエてらたより

本日17時より「アトリエてらた」内ギャラリーにて

スクラップビルド エキシビジョン

「6月6日6番目の展覧会」


が始まります!

現在「AMP GALLERY & CAFE」
で開催中の「宇宙プロジェクト」

$アトリエてらたより
「現在AMP GALLERY & CAFE展示中<宇宙プロジェクト>の作品」

の中心メンバー造形作家、

西山正晃の個展を
アトリエてらたの秘かに出来た小部屋のギャラリー(秘かに改装してました!)
初の展示を開催します!

以下の写真は過去の作品で、今回は新作になるそうです!


$アトリエてらたより
$アトリエてらたより
$アトリエてらたより

「アトリエてらた」ご来場の方は自由にご覧になれます!

おそらく福岡でももっとも深い時間迄開いているギャラリーとなることでしょう!
是非御気軽にご覧下さい!!!


西山 正晃 Masaaki Nishiyama プロフィール

造形作家 佐賀県多久市在住 1984年生まれ

略歴
2007年
佐賀大学美術・工芸科卒業 
佐賀県多久市にアトリエSCRAP BUILDを創設

2008年
●個展「スクラップビルドエキシビジョン 廃棄物の逆襲」を開催 (佐賀市唐人町 ギャラリー憩ひ)
●個展「SPW-10」を開催 (佐賀市呉服元町 アートコンプレックス シゲナガビル)

2009年
●個展「ANBOROID珠玉の駄作ロボット展」を開催 (佐賀市白山 トネリコ・カフェ)
●アートプロジェクト「呉福万博」に「宇宙プロジェクト」を立ち上げ「サイハナゲラレタ」を開催 (佐賀市呉服元町呉福万博 アリオカスポーツ店奥のバスケットコート)
●個展「スクラップビルドエキシビジョン2 ”荒野に咲く花”作戦」を開催 (福岡市中央区薬院 IAF*ショップ)

2010年
●アートプロジェクト「ARITA-mobile」宇宙プロジェクトメンバーとして参加 (佐賀県有田町 川沿いの空き地)
●「佐賀城下雛祭り」夜間イベントに宇宙プロジェクトとして参加。インスタレーション「BON-BORI」を展示 (佐賀市柳町 旧古賀家)
●アートプロジェクト「呉福万博2010」に「宇宙プロジェクト」として参加 (佐賀市呉服元町、他)」
●フリーペーパー「モテモテ佐賀」旅館吉田屋広告用の作品制作

2011年
●映像作品「河童五代目」の制作に撮影用セット制作で参加
●「第20回記念英展」に出品佳作賞受賞
●アートプロジェクト「呉福万博2011」に「宇宙プロジェクト」として参加 (佐賀市呉服元町、他)」

2012年
●個展「西山正晃展 スクラップビルドエキシビジョン3」を開催 (佐賀市天神 画廊憩ひ)
●グループ展「ランブローブ」を「宇宙プロジェクト」として開催予定 (吉野ヶ里町 AMPギャラリー)
●個展「スクラップビルドエキシビション4 6月6日6回目の展覧会」を開催予定 (福岡市中央区六本松 アトリエてらた)
●アートプロジェクト「呉福万博2012」に宇宙プロジェクトとして参加予定

宇宙プロジェクト
2009年に佐賀市の呉服元町で開催された「呉福万博」に出品するため、西山正晃を中心に結成されたアーティスト集団。

2009年
●アートプロジェクト「呉福万博」に「サイハナゲラレタ」を開催 (佐賀市呉服元町呉福万博 アリオカスポーツ店奥のバスケットコート)

2010年
●アートプロジェクト「ARITA-mobile」に参加 (佐賀県有田町 川沿いの空き地)
●「佐賀城下雛祭り」夜間イベントに参加。インスタレーション「BON-BORI」を展示 (佐賀市柳町 旧古賀家)
●アートプロジェクト「呉福万博2010」に参加 (佐賀市呉服元町、他)」

2011年
●アートプロジェクト「呉福万博2011」に参加 (佐賀市呉服元町、他)」

2012年
●グループ展「ランブローブ」を開催予定 (吉野ヶ里町 AMPギャラリー)
●アートプロジェクト「呉福万博2012」に参加予定

計画編からだいぶ時間がたってしまった!
ぼちぼち続きを。。。

朝11:00くらいの飛行機で13:30に羽田着。
着いてすぐ叔父からメール「有楽町14:30」というミッションめいた
簡単なCメール。その叔父とは以前このブログでも書いた有顔人
鶴田忍
タイミング良く着いた日に空いていたので(次の日はロケとか言ってた)
飲む事に。有楽町に着いて待ち合わせ場所に行き無事叔父と落ち合う。

1店目
銀座まで歩いて行き最初の店「銀座ライオン」でビールでスタート!
この店は昭和9年創業!以来変わらぬ内装が圧巻のビヤホール。
私の両親もよく行ってたらしい。いつ来てもあらゆるものが歴史を感じ
る素晴しい場所。

$アトリエてらたより
「ほろ酔い加減の叔父と」いい感じです。

いい感じで腹もふくれて店を出る。

2店目
は1990年兄の寺田太郎とストーンズの初来日を見に行った時
叔父も一緒に行ったなんちゃない昼から空いている居酒屋。
いい感じなのだが不味い。なので太郎を忍んで1パイだけ。
叔父「この店来るといつも店員とけんかになるんだよー」
じゃ行かなきゃいいじゃん。という会話等しつつ次。

3店目
すぐ側にあるホルモン屋はさっきの店とは違いちゃんとしている。
これは味も店員も。芝居の稽古帰りにいつもよるらしい。
おなかパンパンになったところで
$アトリエてらたより
「かなり飲んどります」

4店目
「ニッカバー びいとどろ」
$アトリエてらたより


銀座で43年続くバー。現在は2代目ママさんがやっているのですが
このママさんが故「松田優作」さんのマネージャーだった方。
開店前だったけど叔父が常連なので開けてもらって名物「ハイボール」
叔父と原田芳雄さんの話等。面白い話ばかり!楽しかった~。
ここは内装も昭和のままだし、金額も安いし東京に行ったときはまた
行きたいな~。「叔父につけといても良いから、また来てね~」
とママ。ありがたい。なるべくは自分で払おうとは思う。

叔父と別れ渋谷に移動。

5店目
私が10代の終わりからつき合っている友人チームと昔のバンド仲間
チーム4人で渋谷飲み。全員あまり渋谷で飲まないらしく店選びにと
まどう。なんとか何故か宮崎料理屋系の居酒屋に入店。意外に食べ物
もうまく値段も高くない。最近の近況を大急ぎで話す話す。皆元気で
なにより。
一人はここで分かれて3人は下北沢に移動。

6店目
我が青春の下北!ここには色んな思出が詰まっている。
$アトリエてらたより

で、ル・グラン・テカール

東京時代私の行きつけのバー。久々に行けた!
今回一番寄った店!

もうこの頃には記憶もあやふや。
勤め人の2人とはここでお別れ。

高校の後輩に呼び出され次の店

7店目
「ぷあかう」
$アトリエてらたより

「元スペースインベーダーズのPACMAN(写真まん中)が高校の後輩。
ちなみに右は福岡赤坂のバー「バランス」の内山ですな。

こいつが高校生のころ私はパンクレコード屋で働いているところに入りびた
っていた。やつの行きつけのパンク系バー行った。
PUNK一色の店内。うん嫌いジャーないよ!高校の時の自分の部屋みたい。
偶然一緒になった常連のバンドマンとも意気投合彼のアナログレコード
をもらったり~。楽しかったけど記憶が~。
$アトリエてらたより
「「ぷあかう」でのPACMANとバンドマンと店主。もう駄目ですなこの顔は。」

朝5時終了。歩いて三宿の友人宅に帰ったみたい。(記憶無し)

続く。。。。
「東京だよおっかさん」とは言っても私のおっかさんは東京生まれ育ち。
全国的な絵描きになろうと上京してた父につかまり若くして博多に連れて行かれたのだ。

そんな大都会「東京」。母の里でもあり、私も父と同じく全国的なミュージシャンになろ
うと20代後半から40になるまで生活した街である。本当は「女を追いかけて」が理由
なのだが。

博多に帰って早7年。何回も東京には行ってるのであるがほとんどは用事が済むとす
ぐ帰るので今回はせっかくだからゆっくり時間をとって久しく会っていない友人や昔の職
場の上司等に近況を報告したいと思い4泊する事にした。メインの目的はジム・オルーク
のオーガナイズするイベントを観る事だった。

だった?

そう2ヶ月前からこのイベント(ジム・オルークを見たかった)を見るのに計画を立て出来
るだけ安く航空券をとるのに一生懸命、妻が頑張って航空券を手に入れた。
だが、今回もイベントの1週間前に突然の公演延期!

今回も?

実は2ヶ月前にも私が見に行く予定だった東京での外タレ(キースレビンとジャーウーブル)
がライブ2日前に「キース、入国できませんでした~」と突然の中止。
その時は夫婦2人で行く予定だったのでキャンセル料半額以上とられても(格安チケットな
ので)行かない事にした。
で、今回は私一人だしキャンセル料をとられるのもしゃくだし、スケジュールせっかく空け
たしキャンセルしない事に決めた。
ゆっくり人に会い「アトリエてらた」や私がギターで参加しているTHE GOGGLESの打合せ&プ
ロモーションも兼ねて行く事にしたのだ。あと東京に住んでる時代の忘れられない味を求め
て。(これ重要)

とは言ってもたった4日間。10年以上暮らした街の友人や親戚や上司も数多く皆忙しい。
行く前の週はほとんど誰と何処でなにを食う、というスケジュールに費やした。
昼は会社を経営していたり会社勤めの方でランチミーティングが出来る方をチョイス
夕方以降は自由業の方と軽く飲み始め、で夕食を勤めが終わった友人(これも友人同士が仲が
いいとか合う合わないとか神経使いつつ)と本格的に飲み会、最後に行きつけだった下北沢の
バーで来れる人が来る。という感じで4泊5日の旅の計画を練った。「仕事もコレぐらい真面
目にやれ!」と自分自身で感じながら。

続く。。。

ではそのTHE GOGGLESの演奏(昨年J-WAVEに出た時のスタジオライブ)をご覧下さい!



「あっしには関わりのねぇこって」

1972年1月から放送になったTVドラマ「木枯し紋次郎」の中で
紋次郎役の中村 敦夫が言う決め台詞である。
若い人は分からないと思うがこのドラマは当時日本中を一世風靡
した。

$アトリエてらたより

子供達(男子)は上の写真のように口に竹串?みたいなのを加えた
ままこの決め台詞を言いながらチャンバラごっこするのが放課後の
お決まり。勿論流行りもん好きの私も例外にあらず。

例によって叔父鶴田忍
が先輩俳優である「中村 敦夫」さんを「アトリエてらた」に連れて来
た!1973年の1月の事。
まさに日本中が「木枯し紋次郎」旋風まっただ中の時期にだ。
中村 敦夫さんは新婚旅行の途中福岡に寄りここアトリエてらたに
1泊したのだ。なんで叔父もいたのかは不明。

私は舞い上がった!なんせ毎週TVに出てる皆のヒーロー紋次郎が
ブラウン管を飛び出して目の前で穏やかに話しているのだから!
兄が自慢した原田芳雄さん
の時は幼すぎて覚えていないが今回は違う!しっかり記憶力のある
小学2年生時の話。
いつものごとくアトリエで宴会。子供(私)は夜が早いのでいつの間
にか寝てしまってた。
しかし私には野望があった。前回原田さんの時は出来なかった証拠を
残すという行為。
前の晩舞い上がってた私は一緒に写真を撮るのを待たずに寝てしまっ
てた。朝、学校に行く前にその事に気がついた私は気合いで熱をだし
た。(ま、ずる休みなんですけど)とにかく一分でも一秒でもで紋次
郎のそばにいたかったのだ。そして昼すぎ東京に帰る前に「アトリエて
らた」の玄関でのフォトセッションに成功!下がその写真である。

$アトリエてらたより

左から鶴田忍、中村夫妻、チャボ使い時代の私、母。
「アトリエてらた」の看板は位置こそ違えどこの当時も掲げていた。

中村敦夫さんは紋次郎の時とは打って変わって兎に角やさしく明るい
物腰のやわらかい人だった。その後友達に自慢したのかは覚えていな
いが多分したのだろう。今回は証拠写真もあるし。

中村 敦夫さんが東京に帰ってしばらくして宿泊のお礼である手紙が来た。
PS、みたいな事が書いあった。私宛に。

「黄太君、嬉しかったけど(学校休んでまでびったりくっついてた事)
学校を休むのは良くない。学校はちゃんと行くように!」
と書いてあった。

木枯し紋次郎はなんでもお見通しなのである。


$アトリエてらたより
本来絵描きというものは自由な職業である。
父「寺田健一郎」遺作展時に制作された画集のサブタイトルも
「奔放に生きた画業35年」とある。
その本の年表を見てみるとこれが実によく仕事していたのが分か
る。

しかし働いていたのではなく「働かされていた」というのが現実
、勿論マネージャーである母にである。

父の絵のタイトル「アルル」「ドンキホーテ」等沢山スペインや
ヨーロッパ旅行でインスパイヤを受けて描いた物が多い。
母と長期ヨーロッパ旅行に行ってスケッチされたものが元になっ
ている。父はさぞかしヨーロッパに住みたいとばかりに楽しんで
いるかと思いきやそうでも無かったらしい。

博多が大好きすぎたのだ。

ヨーロッパにスケッチ旅行にでかける。ほっとくと朝からワイン
を飲みまくり遊ぶ事のスケジュールを組み出す父に母はノルマを
与えた。

「ノルマ」
==============================
会社の売上を一定以上確保する、特定の日までに一定量を製造・生
産する、競合他社との競争に勝つ、などといった目的を達成するた
めに、経営者などが労働者にノルマを課す。労働者にノルマを達成
させる意欲を高めさせるために、労働者に対しノルマ達成の褒美
(報奨金、昇進、昇給、海外旅行など高額商品の授与)を用意した
り、未達成の場合はペナルティ(解雇、減給、左遷、暴力・暴言な
ど)を与える場合もある。(ウキペディアより)
==============================

サラリーマンやセールスマン、売れないバンド人、演劇人のチケッ
トさばき等で聞くあの嫌な響きの言葉である。

母は「スケッチを1日10枚!終わったら遊んでよし!」
というノルマを父に与えた。
$アトリエてらたより
「絵描きもつらいよ。のポーズin ローマ」

父は朝早く(これは得意)からせっせとスケッチを始め10枚描く
終わると「終わった~」と飲み食いに忙しく立ち回る。
数日はヨーロッパも楽しんでいた父もしびれを切らすようになる。
夜になると「翠(母の名)~博多はどっちや~」
母「あっち!」勿論適当に答える。
父その方向を向いて「あ~みんな中州でのみよっちゃろーね~ヨカ
な~」と言うようになる。毎晩。
$アトリエてらたより
「母の監視の元スケッチする寺田」


あまりに帰りたがるので母はまだ滞在予定が残るのに父だけ航空
券を変更し先に日本(博多に)に返した。それほどうるさかった
という。で、母一人で切り詰めながら残りの日数旅行を楽しんだ。

父が福岡に帰ってすぐに母の宿泊しているホテルに国際電話が来
た。「翠~やっぱ博多はヨカね~!今中州でのみよったい!」
と「ヨーロッパお帰り飲み会」中州から生中継した。

母「そんな金あったら金送れー!」と一括し電話を切った。

90年代のドラマのような台詞はすでに母が使っていたのである。





$アトリエてらたより
「アトリエてらた」年末年始休み知らず。

ただし31日の夜と元旦はぐたぐた営業してますのでご了承下さい!

里帰った方々もこの機会に!
本気だった。

ライブを見る気合いも態度も。

私が高校生の頃の博多はまさに「メンタイROCK」
全盛。THE MODS THE ROCKERS THE ROOSTERS
のメンタイ御三家はアマチュア時代から見ていて、
この頃メジャーデビューして日本全国に大旋風を巻
き起こしていた。

私は特にTHE MODSとTHE ROOSTERSの2組
(THE ROCKERSは私がライブを見に行きだした頃は
解散してた)には気合いが入った。

ライブがある日学校を休む。または早退するのだ。
一番前で見たいから。日曜なら徹夜で並ぶ一番星。

80'sFACTORYというライブハウスが親不孝通り
にあった。今考えてもカッコいいライブハウスだ
。店の作り、雰囲気、出ているバンド、スタッフ
みんな憧れのお兄さんお姉さんだった。

$アトリエてらたより
(80'sFACTORYでたむろする私。とまっている日
本車もミニクーパに見えてくる。)

シナロケの時だったか、いつもつるんでるPUNK仲間
と80'sに徹夜でならんでいたら店長の伊藤エミさん
に「あんたたち高校生やろ。整理券やるけん帰り!」
としかられて「整理券制度」を導入させた私たち。
迷惑なガキ達だ。

そこで見たTHE MODS、THE ROOSTERS、シナロケ
等は命がけだった。300人(位かな?)ぱんぱんに入
ったライブハウス。しかもめちゃめちゃ暴れる奴らの
一番前。ステージのガードと後ろから押されるのと酸
素が薄いのとで終わるとふらふら。長浜公園で大の字
で倒れ込む。これが毎回。

RAMONESが博多に来た!(初来福)

当然学校を休んだ一番星。

会場は大博多ホール。
その会場は普通のビジネスビルの上にあり、一見コンサ
ート会場があるようには見えない。
休みの日ならつきあう友人もさすがに学校を休んで迄は
つきあわない。一人で会場の場所を確かめヒマなんで1
Fのエレベータ前でうろうろしてた。そのとき明らかに
異様な壁みたいなでかい黒い人達がビルの外に見えた。

「RAMONESだ!!!」

しかもこっち見ている!
写真で見ていた通りのかっこの4人とマネージャーらし
き人の5人。
その5人が近づいて来る!怖い。いや嬉しい。でも怖い。
そしてエレベータ前にいた私の目の前に来て話かけてき
た!どうやら会場の場所が分からないら私に会場はどこ
か?と聞いているのだ。と何となく分かった。
(多分私のカッコがPUNKだったのであいつに聞いてみる
べ~的な感じになったのだろう。)
質問は分かるが英語で受け答えが分からないので、一生
懸命ジェスチャーで伝え会場まで案内した。
つまりラモーンズの4人とマネージャーと私の6人だけ
でエレベータに乗ったのだ。あの狭い空間に。
メンバーは一言も喋らず。だまっていて無表情。怖くて
でかくて目を見れずエレベータでの私の視線は(下向いて
いたので)ジョーイのベルトだった。まだ背が伸びきって
いない高校1年の出来事。
$アトリエてらたより
(イメージ図)

そんな一番男経験でも最も印象的だったのは80'sの閉店ファ
イナルライブだ。
当然徹夜してエミさんに整理券をもらった。勿論1番。さす
がにこの日は新聞等でも取り上げられたり警察が来たり大変
な騒ぎ。ファイナル日のファイナルバンドはTHE MODS。
私の大好きなフルノイズも出た。
終わって長浜公園に倒れ込んだのはいつもの事。
こんな事ももう最後だろうという悲しい思いもあった。

$アトリエてらたより
(80'Sファイナルで並んでいる私。一番前右。1番から3番
まではいつもの仲間)

今ではメンタイROCKヒストリーに必ずでてくる上の
写真。(新聞に掲載された)その写真の元の写真を持って
いる。

当時いつもの様にアトリエてらたで父親達の大宴会。
父の友人の新聞社の方がつれて来た若いカメラマンさん
が私がTHE MODSのファンという事で土産に数枚持って
来てくれたのだ。
で手渡された写真の1枚が上の写真。
私「あ、これオレですよ!」
カメラマン「え~あそこにいたの?~この写真新聞に
載ったよ~。」
父「悪い事で載らんでよかったたい!」けっけっけ~
と笑った。

観客からプレイヤーになった頃私は一番星を引退した。

しかし最近久しぶりに一番星となった事がある。
友人の店「芫」が豚串屋からホットドック屋に変わった
開店日の11月11日11時11分11秒。
私はそのセレモニーに出かけた。ホットドックを食う
為に。テープカットが終わり司会者が「サー開店しま
したよ~!最初のお客は誰かな~?」言った瞬間、
一番星の習性が出てしまった!
「ハ~イ!」と手をあげ一番最初にホットドックを
食べさせてもらった。

これが勉強でも(商売でも)1番を目指す習性なら良
かったのだが。。。






自分で言うのもなんだが私は中学生の頃はかわいかった。
その私がクラスの女子ほぼ全員を敵にまわした事がある。


1970年代の後半当時は今みたいに情報が多くなく音楽を知る(ROCK)のはラジオか毎月1回出る音楽雑誌しか
無かった。兄の影響からフォークやROCKを聞くようにな
ってから自分でも情報を集めだした。
小学生の頃はBEATLESは勿論クイーンやディープパープ
ル、レッドツェッペリン(その頃まだ現役でした)等の
いわゆるハードロック的なものに夢中。特に好きだったのはエアロスミス。

そしてクラスの女子ほぼ全員に大人気だったのが
ベイ・シティ・ローラーズ
$アトリエてらたより

その頃毎月買っていた音楽雑誌にショッキングな写真を
見つけた。
その名も「SEX PISTOLS」
$アトリエてらたより

なんだこいつら!あまりにも今迄のROCKスターとは違うルッ
クス!髪は短いし立ってるし、服は破れてるし鎖は付けてるし。
中坊の私はこの1枚の写真で完全ノックアウト。
音を聞く前からこんなに惹かれたバンドは初めてだった。

そして1STアルバムの国内盤発売日を指折り数えて待った。
しかし問題があった。
バンド名だ。

SEX PISTOLS

中坊の私にはハードルが高すぎるバンド名。
中学生時代「SEX」と書かれたものを所持するのには相当
勇気がいった。

まず親に見つからないように所持する事。
近所の顔なじみ(子供の頃から行ってる)のレコード屋には
買いに行けない事。
しかも雑誌の広告やレコードの帯にはでっかく「犯すのは君だ!」
って書いてある。
$アトリエてらたより



発売日が来た!

地元六本松のレコード屋には買えない(恥ずかしくて)
ので西新のベスト電器まで買いに行った。
緊張して無事「物」を買い終えるとダッシュで家に帰る。
ターンテーブルに乗せて針を落とす。
1曲目「HOLIDAY IN THE SUN」の軍隊か何かのの足音ら
しきSEの後のバスドラ、そして歪んだギターがジャカジャ
ーン!!!!スネアの連打でアジテーショナルな巻き舌の
ボーカル。

パーフェクト。

A面1曲目のイントロでもう打ちのめされた。
イントロで人生が変わった瞬間。
(その後の何十年ROCKを聞いてもこの衝撃を越えるものはない)

時期を同じく音楽の授業で「生徒が今好きな曲を1曲レコードを
持って来て皆で聞く」というものがあった。
勿論私は買ったばかりのこのアルバム。
しかし心配事があった。

バンド名である。

授業当日、出来る限りこのアルバムジャケを見られたくない私。
しかし友人達はソットしておいてはくれない。
友人「寺田~お前今日なんば持って来たとや~?」
私「いや、最近聞いてるもん。ピストルズ。たいした事無いよ~」
(セックスピストルズとは絶対言わない。)
友人「ふ~ん」
しかし友人はレコード袋からうっすらと見える「SEX」という
文字を見逃さなかった。

「寺田かSEXって書いとうもんもってきと~ぜ~」
とクラス中の皆に大声で発表してくれた。
で、レコードを奪い皆に見せる。
「やめろー」と取り返しに行く私。
よくあるドラマみたいなシーン。
女子「キャ~」「いや~」「寺田君なにそれ~」「寺田君汚い」
等、非難囂々。しまいにゃ先生に「先生、寺田君が変なものもって
来てます!」と告げ口。
散々である。

それでも負けずに授業でかける。音楽の先生(女)もジャケを見た
瞬間嫌な顔。
今考えてもその授業笑える。だって先生含む40何人がだまって
SEX PISTOLSを聞いているのであるから。A面1曲目のHOLIDAY
IN THE SUN」を。

男子の何人かは「カッコいい~」と賛同。たいていは「うるさい」
という感想があつまった。
良くも悪くも私のクラス全員がこのバンド名を覚えたと思う。
この時点で女子からは嫌われて(本気ではないが)いたが決定的な
事件が起きた。

ある音楽雑誌でピストルズのヴァーカル「ジョニーロットン」が
「ベイ・シティ・ローラーズ」の事をけちょんけちょんにボロカス
叩いたのだ。


ベイ・シティ・ローラーズの「敵」= SEX PISTOLS。
SEX PISTOLSのファン(寺田)=敵 の図式が出来上がった。

ツライ事はまだまだある。

音楽雑誌にこんな記事が載った。

「SEX PISTOLSのベースがクビになった理由はビートルズが好きだった
から」とジョニーロットンが発言。ついでに「ハードロックを聞いている
なんてださい!」等。

記事を見た私は大好きなビートルズも大好きなエアロスミスも中古レコー
ド屋に売ってしまった。隠れて聞けば良かったのにある意味PUNK教に入っ
てしまった自分はレコードを持っている事にがまんできなかったのだろう。
で友人に「ビートルズはださい!」と発言してみたり。

この現象は大人になってもしばらく続き80年代の図式も

ビートルズ=ダサイ。

よーするにPUNK以前のものは「オールドウェーブ」以降は「ニューウェ
イヴ」と語られ、勿論ニューのほうがイケテル音楽という事になった。

そして90年代を向かえようとしている頃。そうレコードからCDに変わる
頃にに60年代の音楽も見直されて「ビートルズは良い!」という発言も許さ
れる時代となる。(あくまで私個人的に)

今ではすっかり原点回帰「博多のラトルズ」と言われる(ラトルズとはビー
トルズのパロディーバンド)
ザ・ゴーグルズ
でギターを弾いている。

昔私に「ビートルズはダサイ」と言われた友人達はこのバンドに参加している
私をどう思うだろう?

「すまん!本当はビートルズが大好きやったとよ!あの時も大好きやった!」
と謝りたい。













今年の4月AMP GALLERY& CAFEで個展をやってくれたYABU/薮直樹の
手描きカレンダーが入荷しております!!
AMPや福岡ガバガバヘイでやった時の流れかミュージシャンシリーズも
あったりします!I'M YOUR FAN

一年額にいれて飾ったあとは切り抜いて額装すればりっぱな作品にも
なります。お得ですよ!
1点物なのでお早めに!!

$アトリエてらたより