慶長四年(1599)5月ーーー。
数日来の雨がようやくあがった日、キリシタンとしての洗礼名をジェスタという京の公家中山親綱(ちかつな)の娘が、九州の島原半島に四万石を領する有馬晴信のもとに輿入れした。
一度嫁した公家の菊亭季持(すえもち)が三年前に病で亡くなり、実家に戻っていた二十三歳のジェスタはととのった面立ちで透き通るような瑞々しい肌をしていた。
季持の死後、ジェスタは京で宣教師のオルガンティーノと出会い、その説くところに感銘を受けてキリシタンとなった。心やさしく大らかさを失わないオルガンティーノに導かれ、ジェスタは信仰する心を深めていた。
そんなジェスタを見込んだのか、昨年末に京の三条、中山家の屋敷を訪れたキリシタン大名の小西行長が、
「有馬晴信殿は夫として恥ずかしからぬ人物ですぞ」
と、晴信との縁談を勧めた。
「キリシタンの方なのでございますね」
ジェスタがわずかに頬を染めて確かめるように訊ねると、ゆるやかに頬をほころばせた行長は、端正な顔に笑みを浮かべてうなずいた。
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考えてみれば南蛮人が日本で住むようになったのも、キリスト教が広まってキリスタン大名が生まれたのも余程強い理由がある筈だ。教科書には登場しない理由。何であったのだろう。
人が宗教を持つには大きくは2つの理由だと思う。1つは体験や境遇から来る心の隙間。もう1つは金。しかしこれは宗教に入る理由であり、宗教を広める理由と噛み合う或いは表面的に噛み合う事が前提である。
ここまで書くと勘のいい人ならもうお分かりかと思うが、本日から始まった中国共産党大会での習近平の『新時代の中国の特色ある社会主義思想』の今後取り組む課題の中で海洋進出について、南シナ海での人工島の建設を積極的に進めたことを実績として強調し「海洋強国の建設を加速させる」と述べ、東シナ海や南シナ海での活動を継続する姿勢を示したほか、軍については「今世紀半ばまでに世界一流の軍隊を作り上げる」と宣言したこと。そしてずっと言われてきた大中華思想。
それと野党議員の中にはその目的で政治に参加しているのではないかと思える議員が少なからずいるが、今の日本がこの禁教令前後の日本に思えることだ。
歴史は繰り返すと言うが、知っていて損はないと思い禁教令とその理由について調べたことをメモしておく。
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日本で宗教弾圧(キリスト教)があったのは主に3回。もっとも早い禁教令は永禄8年(1565年間)と同12年(1569年)に正親父町天皇が出した追放令である。これは京都から宣教師を追放するという主旨であったが織田信長によるキリスト教の保護政策もあってさほど効果はなかった。
今日に知られるような弾圧と呼べるもので最も早いものは秀吉が1596年に出した禁教令で、この時は26名のキリスト教徒が処刑されている(日本二十六聖人)。ただし、この時も主にはフランシスコ会に的を絞った物で、禁教のための継続的な政策が取られたわけではなく、後を継いだ江戸幕府もそれに倣っている。小西行長や有馬晴信がキリスタンでいられたのもそういう背景がある。
秀吉が禁教令を発令した目的には諸説あり、「外交権、貿易権を自身に集中させ国家としての統制を図るため」「九州で日本人の奴隷売買が行われていると知り、それを禁止させるため」「キリスト教徒による神社仏閣への迫害」などがある。
この禁教令が発令された理由についてはよく「サン=フェリペ号事件」が挙げられる。通説においては、サン=フェリペ号の船員が宣教師はスペインが領土征服のための尖兵であると述べたことで、秀吉がキリスト教を警戒したためだとされる。一方でやはり信徒に対する強制改宗などの政策は取られず、京都のフランシスコ会以外には弾圧は加えられなかった。
日本において政策としてキリスト教への弾圧が始まるのは1612年の禁教令からであり、明治初期まで続いた。
江戸幕府は当初はキリスト教に対してはこれまでと同様の政策を取り、弾圧と呼べるような政策はとっていなかった。 1602年にはドミニコ会、アウグスティノ会の宣教師達が来日して日本に本格的な本格な布教をし始めており、1596年に秀吉の弾圧を受けたフランシスコ会も、1603年に代表ルイス・ソテロが徳川家康や秀忠と面会し、東北地方への布教を行っている。
しかし、幕府の支配体制に組み込まれることを拒否し、かつ活動は活発化していったキリスト教に対して幕府は次第に態度を硬化させていった(日本の情勢に詳しかった古参のイエズス会は秀吉の時代の時と同様に慎重な対応を求めたが、新参の修道会には受け入れられなかった)。日本との貿易権を狙うイギリスやオランダの忠告や、神仏勢力の暗躍もあった。
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今でこそ信教の自由が確立し、政教分離も歌われているので、余程金ヅルにされることが露骨なものを除き信教を疑う人はいない。布教する側も領土の奪取が目的で行なっている者が仮にいても築いてきた民主主義の中では非力だ。しかし、当時の布教の目的が形を変えて忍び寄っていることも事実。こればかりはそれに対抗するはずの民主主義とてここまで広がったのは同じような目的があったからからであり、対抗手段になり得そうにない。
ならば何によって対抗すべきなのか、と考えるとナショナリズムでしかないだろう。それなのに来るもの拒まずという政策で本当に良いのかと思えて来る。今回の選挙時に「排除」という言葉に多くの日本人が反応した。片やネットでは「国にお帰り下さい」などのコメントはそこらじゅうで見かける。これはダブルスタンダードでは無いのか。
私は日本の国内で排除することには意味がないと思っている。日本に来る、そして日本で住むためのハードルを上げる事に賛成だ。今の法律ではやがてその数は逆転すると思う。何せ日本の12倍ほどの人の住む国が仕掛けていることだからだ。
















