他人を相手に「私は〜して来ました」と話す内容が身内に対しては「俺は〜して来た」に変わる。此処にはしゃべる者が意味が変わらないように気をつけて喋ったとしても、必ず誇張が入る。話しながら同調を期待するからだ。また聞く側の耳に聞く以前から期待があることがある。それが叶う話であれば、喋った本人よりもストレートに頭の中で話の内容が具現化され誇張される。喋った側が気付いて具体的に否定しない限りそのままになってしまう。その結果、話は2倍にも3倍にも膨らんでしまうことがある。
日本がポツダム宣言を受諾した時にもこれがあり、以降70数年間日本は苦しむことになった。
ご存知の通り「ポツダム宣言」は
日本国軍隊の無条件降伏であり
日本国の無条件降伏ではない。
ポツダム宣言が要求したのは、
「日本国政府が日本国軍隊の無条件降伏を宣言し、日本政府がそれを保障すること」
であった。
8月10日、日本は
「天皇の国法上の地位を変更しないこと」を条件にポツダム宣言を受諾する回答
を発した。
8月12日、アメリカの国務長官バーンズより回答があり、
「日本国の政治形態は日本国民の意思で決まる。国家統治の権限は、連合国軍最高司令官に"subject to"する」
とあった("subject to"とは「占領下におかれる」「隷属する」という意味)。
この語が「制限下に置かれる」なのか「隷属する」なのかの解釈をめぐって紛糾したが、8月14日午後11時、ポツダム宣言受諾を連合国に通達した。
そして、8月15日、ラジオの玉音放送で日本の降伏を国民に知らせた。そして9月2日の降伏文章調印となる。
日本はポツダム宣言の
諸条件のもとに降伏したのであって、
日本の「主権」まで占領軍に差し出した
わけではない。
しかし、降伏文書にもバーンズが8月12日に回答したのと同じ「国家統治の権限は、連合国軍最高司令官に"subject to"があり、日本が「無条件降伏」したかのような誤った考えを日本国民に信じ込ませた。
結果、日本は一切の反論を許されず、
あたかも「無条件降伏」したかの如く
占領統治に徹底的に服従させられた。
マッカーサーはまるで日本が無条件降伏
したかのような占領政策を行なっていった。
日本は無条件降伏したのだから、
「戦勝国には何をされても逆らったり文句を言ったりしてはいけない」
などと思って来た人が日本人の中にいる。そう教わって来た人は多い。それは奴隷根性を刷り込むためのデマである。
「連合国の戦後処理こそが戦後日本の繁栄を築いた出発点だ」
「相手国の同意なしには東京裁判の見直しはできない(いかなる条約にも東京裁判を正当化する拘束力はないにもかかわらず)」
と主張するのは毎日新聞だ。もはや自虐史観を通り越して奴隷史観に陥っている。
日本のポツダム宣言受諾を知り
「太平洋の覇権をわが手に」
という大見出しの下に
「われわれは初めて、ペリー以来の野望を達した。もはや太平洋には邪魔者はいない。これでアジア大陸の市場と覇権は、我物になったのだ」
と記事を載せたのはニューヨークタイムズだった。これはアメリカ朝野の長年の願望が叶えられたことに対する偽らざる喜びの声であった。
これこそ冒頭に述べた弊害の構図であるが、本土決戦を前に終戦を心待ちにしていた家族の心境を思えば致し方のない事であると思う。同時に「アジア大陸の市場と覇権」に言及した事は改めて直視すべき事と思わざるを得ない。
現在北朝鮮の動向が注目される中、怒りと不安に混じりメディアか政府批判を語っている。
これは自分の日頃からの主張に反するものも、同調するものについても言える事だ。読むなら余程心して読まないと危険な世界に引きずり込まれると言って良い。すべての記事には誇張が潜んでいると思っておく方が良いと思っている。また、読むという行為の中にもその危険がある事も知るべしである。
いよいよ衆議院の解散が現実化して来た。これは改憲に向けて憲法議論を推し進めることに他ならない。これを阻止せんとする勢力は日本にも中国にもアメリカにもヨーロッパにも韓国、北朝鮮にもロシアにもいる。それ程世界に対して影響のあることなのだろう。
ポツダム宣言すら読まずして改憲についてあれこれ語る者がうじゃうじゃいると言うのも何だかなぁ、と思う。