山犬日記 - 高知在住都民の独り言 -7ページ目

山犬日記 - 高知在住都民の独り言

2008年2月から介護赴任して9年が過ぎました。
2016年6月から犬と暮らしています。

尚、当ブログの内容と関係のないコメントは削除させていただきます。

   多分に妄想を折り入れながら自分の感じた時局を述べてみたい。


    水面下で話されていた構想を100億円の政党交付金を政権交代のため最大限に有効に使いたい前原氏が引き継いだ。小池さんにしてみれば自民党を見返したい。この2人の思惑が一致した。


   前原氏は野党の現状を見て、こんな連中と組むために金は使い甲斐はないと思っていたはず。早急に民進党の意見をまとめて合流の形をとらなければ金は使えない。


   小池さんは世間体を思い都知事職を投げ出すことはできない。これでは実質は民主党に乗っ取られかねない。そこで、「こころ」を受け入れる事と基本的な考えによる選別を条件にした。このままではお目付役として露骨なので敢えて振り落とすつもりで「自由」に声を掛ける。


   前原氏は元々政策そのものに縛られる男ではない。更に保守的な動きをせざるを得ない事は承知で、党ごと丸抱えを努力する姿勢を見せないと民進党がまとまらない。選別の結果は当然見えている。振るい落とされる面々にはあくまで打倒自民としてのやる気を促して個人の責任として出て貰うことにするだろう。これは大仕事である。細野氏の出番である。この合流に限って言えば前原氏の策士としての力量が問われているのでは。前原氏が清川八郎に思える。但し、今は小池さんがボスであることも間違いない。何をするのか連合にも明かしていないようだ。


   小池さんは最悪希望がどうなろうとどうでも良いのではないか。一瞬でも希望が自民を焦らす存在になれば役割を終える。その後希望が上手く進んだとしても前原や細野氏を押さえられる存在であり続けられるかどうか自信はあるかと問えば答えられないのが本音だろう。その保険としての都知事職である。なので国政には出ないと思われる。都民も馬鹿にされたものだ。


   結局、こんな個人的な茶番に付き合ってられるかと言うのが私の結論。余程の新情報のない限りこの話題はやめた。


   そう!オタオタせん事です。この方の言う通り。





メディアがまるで政権を選択する選挙であるかのように煽っている。何かは変わるだろうが煽り過ぎだ。


幕末の京都は政治の中心地であり、諸藩から尊王攘夷・倒幕運動の志士が集まり、従来から京都の治安維持にあたっていた京都所司代と京都町奉行だけでは防ぎきれないと判断した幕府は清川八郎による献策で浪士組の結成を企図。

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江戸で求人した後、京に移動した。しかし清河の演説でその本意(京都に到着したその夜に、浪士を壬生の新徳寺に集めると、本当の目的は「将軍警護でなく尊王攘夷の先鋒にある」と宣言した。)を知った、近藤勇や芹沢鴨らが反発、京都守護職の会津藩主、松平容保の庇護のもと、新撰組として発足した。


清川自身は文久3年(1863年)413日、幕府の刺客、佐々木只三郎・窪田泉太郎など6名によって麻布て一ノ橋(現麻布十番商店街そば)で首を討たれている。

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同様の配下の京都見廻組が幕臣(旗本、御家人)で構成された正規組織であったのに対して、新撰組は浪士(町人、農民身分を含む)で構成された「会津藩預かり」という非正規組織であった。


隊員数は、前身である壬生浪士組24名から発足し新選組の最盛時には200名を超えた。任務は、京都で活動する不逞浪士や倒幕志士の捜索・捕縛、担当地域の巡察・警備・反乱の鎮圧などであった。その一方で、商家から強引に資金を提供させたり、隊の規則違反者を・次々に粛清するなど内部抗争を繰り返した。


慶応3年(1867年)6月に幕臣に取り立てられる。翌年に戊辰戦争が始まると、旧幕府軍に従い転戦したが、同戦争終戦と共に解散した。


さて


今のところ誰が清川八郎(策士)なのかハッキリしないが、この先、騙されたと思う者が出るはず。それは金を持って擦り寄った民進党から出るのか、いち早く飛び出して合流した者から出るのか、或いは元より保守を自認していた者から出るのか、私にはまだよく分からない。


何れにしても騙されたと思う者は松平容保のような庇護があれば(安っぽい)新撰組にはなるのだろうが、所詮国賊に扱われ散っていくのだろう。


当時は志を持った若い命は至る所で儚く散って行った。そこまでの話ではないが、それぞれの中で物語は始まってはいる。同じように儚く映るかどうかは本人の志次第ではないだろうか。

少し前のブログで書いたけど、政治家というか、上に立つ者というのは自分の一挙手一投足、一言一行がどれだけ周囲に影響しているか、そのしがらみの力の大きさと自分自身と常に闘っているものだと理解してきた。時には自らの考えを押し殺すこともあろう。本心ではなくても組織のために筋を通すため嫌なことも敢えて引き受けることもあろう。何にするにしてもそこには人としてのドロドロした感情が蠢いていて、一般から見てもその姿勢には辛さを感じて当然と思ってきた。


小池代表を見ていると自分の行ったことに成果こそ感じても負の面が耳に入っているとは思えない。前原代表に至っては党員を鞍替えすることで周囲で迷惑を被る人に対して何ら責任を感じていないように見える。心の柵(しがらみ)を全く無視している。一言で言うとドライである。


しがらみのない政治とはこういうことか??違うだろう。


「信頼」と「責任」の軽視。小池百合子氏が率いる政党には入りません。

中妻じょうた  板橋区区議会議員(民進党)

http://www.huffingtonpost.jp/jouta-nakatsuma/koike-yuriko-trust_a_23224881/


とても良く理解できるブログである。

国民に謝罪しなければならないことを回避出来た喜びに浸って笑って写真に納まっている議員までいる。加計で名を売った玉木議員がそれだ。


前原代表は取材に対して必ず「政権を狙える政党を目指す」と言う。良い案を出し、しっかりと審議し、国民のためになる実績を積んでいけば自然と支持者は増えて政権が近くなるものだ。テクニックで政権を取ろうなんてもってのほか。


両極の「こころ」と「自由」の方が今は辛い思いを感じ取っているのではないだろうかとさえ思う。「こころ」が作った改憲案はどうなるのだろう。


何れにしても護憲リベラルを装ってきた反日破壊議員の終焉は高くなったと思う。国民にとってのメリットの1つであろう。


参議院の有田、白、蓮舫はともかく衆議院の枝野、辻元は合流できそうにないと思うが、どうなるのだろう。社民党が共産党に吸収されるのかな?


急に思いもよらない方向に進みだしたが少し見えてきた気もする。

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同じような意見を持っている人が300人いても全く同じというわけじゃない。国際情勢や国内情勢によって政治を進めていくには300人のうち30人の価値観で一致する者がリードして仕事をしていくことになる。情報の発信もその30人が行う。物事を決めるにしても「いつも同じ人が同じように決めている」と思うのはそのためだ。確かに政権を担う時間が長くなれば誰もが思うことである。


どう言う信念があってか知らないが希望の党に「日本のこころ」「民進党」「自由」が合流するらしい。到底国民は理解できないと思う。私も理解出来ない1人だが、現実に合流するのであるからそれが成立する考え方があるはずだ、と妄想してみる。


こいつら左と呼ばれるのに辟易していて心の奥では保守になりたいと思っていたのではないか、或いは民進党は連合の意向だったのではないか、自由は原発0の小泉の指令があったのではないかなど、ない知恵を絞ってあれこれ考えてみる。


自民党の300のうちの使える30のように、自民とて言ってみれば烏合の集団である。希望の党も意見の相違は党内でやり、表に出るのは100のうち30で良いと考えたのだろうか。それなら意見は幅があったほうが確かに良い面がある。「自由」を引き込む以上「こころ」も必要だと考えたのか。


烏合の集団には必要なことがある。それは30に選ばれなかった70の者はあれこれ表で喋ってはいけないと言うことだ。今までの野党はそれぞれにものを喋った。勝てもしない相手、国民に向かって喋るのだから言葉は汚くなり、反論の背景も揉まれてこなれたものではなく浅かった。それが支持率を押し下げたからだ。民進はそれぞれがそれぞれに喋ったので一貫性がなかった。せいぜいモリカケで共同出来たくらいだったから国民は民進はスキャンダルばかりで案がないなどと批判された。自民は歴史的にそれに長けていた。自民にあって最近の石破を見れば分かるだろう。彼が喋り出して自民はまとまっているのかという疑問を国民は持ったと思う。なので70はお休みして黙って世情が変わるのをじっと待ち、時が来れば表に出れば良いのだ。喋ったところでどうせ勝てはしない。あくまで党内で議論すれば良い。しかし自己主張の強いプライドだけ高い者が続々と合流している。黙っていられるだろうか。

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しかしまだどーも気に入らない。

国民にとって良いことは何だろう?


誰か教えて。

政治家としての悩みが伝わって来ない政治家は所詮要らなかったのではないか。

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帆柱に身体を縛り付けてでも船と命を共にする船長や、逃げ道を用意して妻も子供達を逃し、自分は城に立てこもり城や領地、領民、抱えてきた配下の者、その家族を守れなかったことの責を負って腹を切る。上に立つ者には上に立つ者としての仕事があるだろう。最後の党首としてはいささかみっともない。ここまでに至った事に責任を感じているなら、堂々と戦って国民の審判を受けてみよと言いたい。こういう人は嫌なこと、辛いことを反射的に避け、且ついつまでも後に回す人だと思う。

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受け入れる女性のキャパの広さには常に唖然とさせられるが、合流を申し出た男達には嫌悪さえ覚える。


また、何かある度に政府が悪いと大事な時間を無駄に割く国会は続くのだろう。

組織票という実体を解体し世の中から無くそう。


長い間この組織票によって存続していた民進党が連合の分裂の煽りを受け危機に陥っている。今時「選ぶ自由」が組織の力で制約されるなど、あるべき未来の姿ではない。これこそ日本国憲法第19条で保障する思想及び良心の自由であり、国民一人一人が得るべき権利である。


沖縄の基地建設に反対する運動家がよく語る言葉としての「表現の自由」とは、すべての見解を検閲されたり規制されることもなく表明する権利を意味し、外部に向かって思想・意見・主張・感情などを表現したり、発表する自由のことである。個人におけるそうした自由だけでなく、報道・出版・報道・放送・映画の(組織による)自由などを含む。しかし、この成立過程を考えれば、これを歌うべき対峙する権力は既にない。相手のいない中に残る憲法を現代において拡大解釈し履行する上でその根拠としてこれを用い、検挙と紙一重で行われる運動は、一般人の感覚として非常識な行動にしか映らない。その構図と組織票は何ら変わらない。


その為には個人は個人の持つ権利を最大限に行使する選挙でなければならない。世の中から「○○に入れなければならない」という言葉を無くさないといけない。先の都選が民進党のみの地方の悪夢では無く、日本の現実であることを証明しようではないか。


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政治後進国と久しく言われ続けてきたが、最近ではあまり聞かなくなった。少なくとも民主党政権時はまだ世間でまだ語られていた言葉だったと記憶している。何せ国際舞台で注目されるような発信力を持った日本の政治家がいなかった。まるで会議には真面目に出席するが何も発言せずに言いなりで帰ってくる社員や行政職員のようでもあった。


それが自民党が議席を取り返し、安倍政権が生まれ、特に特定秘密保護法、集団的自衛権の限定的行使容認がされてから実質的に変わってきたように思う。ことシンガポールにおけるアジア安全保障会議での基調演説が良かった。中国の力による外交手法に対してアジアの多くの国は日本の示す良識に活路を見出し、結託して臨む必要があると認識したのだと思う。アジアのリーダーとして発信できる国と見直され、同時に世界の国や地域からも無視できない首相として意識されるようになったのではないか。以来、明らかにそれまで国内でインテリジェンスのリーダーとしての地位はリベラルから保守へと逆転したように思える。日本ばかりでなく世界のリベラルを自負するメディアが攻撃してくることからもそれが言える。


長く約束されてきた地位を取り戻そうとメディアやそれを利用して地位を得てきた知識人もなりふり構わず抵抗し反撃に出るが、すればするほど感情的な態度が露見し、闘えば闘うたびに惨めな結果となって行く。政治はムードで動くものだが感情で動かすものではない。


ネットやSNSの普及が拍車をかけているとは思うが、一般人の政治に対する関心も増した。しかし悲しいかな見苦しい言い争いを至る所で散見する。バブルの頃はどこに行っても株価の話題だった。今は何故か政治である。人によっては朝から晩まで、政治がその程度のおもちゃになっていると言える。


直近でそれが良く分かるニュースがあった。1つは麻生氏の宇都宮の公演で述べたという発言に関して。1つは日本のこころの中山代表ばかりでなく自民党の福田議員、民進党の松原議員までが希望の党へ合流する意向を表明した事。1つは大阪で西村慎吾氏が息子の応援の為なのかどうか知らないが、共産党に詫びを入れたという維新発の(おそらく)デマ。それらに対し保守を自認する者、そうでない者、何れも反応が速すぎる。確かに日頃から保守側の情報を好んで見ている者にとっては多少なりとも違和感はあろう。またリベラルを自認している者にとっては待ってましたとばかりに下らない新聞雑誌の見出しに喜び、小躍りしてしまうのだろう。この程度の踊りで世間が揺れると思えば大間違いである。


麻生氏にしろ中山代表にせよ西村慎吾氏にせよ深く国政に関わってきた実力者であり、にわか成りの素人とは訳が違う。違和感があれば自分でものを考えることである。理解できなければ一旦その考えや行動を認める側に立ちメリットとデメリットを探してみる。それをやれば、「待てよ、これこれについては返って良いかも知れない」と、気づくこともあれば「それならここで生じるこの国にとっての弊害は益々消せないだろう」などと思えることもある。それでも理解できないと思えば日頃注目している政治家やコメンテイターはどう受け止めているか、探して読んでみるといい。その上で記事や投稿、他人のコメントを見れば見方も違ってくる場合もある。寧ろ違ってくることが多い。反論するにしても一歩も二歩もその根拠は深まるものだ。


今日は解散についての総理の説明があった。安保のみで解散すれば大勝ちするのは見え見えである。これに乗じて財源がいるからという理由で使用方法を見直すとの断りを付けて増税の是非を国民に問うているのが吉と出るか凶と出るかだろう。ちゃっかり上げたと言う者も出てこよう。その相関関係が不可欠であることをもっと具体的に示し、丁寧な説明ができるかどうかが評価の分れ目となると思う。


それにしても希望の党の烏合が激しい。小池女子や自民党を出たオール巨人に似た男では党をまとめるリーダーとして役不足に思えて仕方がない。何をしたいのかも今ひとつ伝わっては来ないが、反日政党にはならない、いやなれないだろうと見た。


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対北朝鮮制裁、何故Chinaの態度が急変したのか?国際政治、安保関係について、こういう時に私は2人の意見を参考している。


1人は櫻田淳東洋学園大学教授。考えられる人の中では最も論理的な枠組みを用意してくれる。それを一旦共有し、自分なりの見方を照らし合わせてみると、自分の思いが感情的なものかどうかの判断が見極めやすい。


もう1人は評論家の西村幸祐氏。この方はどちらかというと国内政治やメディア批判に関するものが多いが不思議と感性が近い様な気がしている。私が感じてブログなどに投稿すれば、同じ日にほぼ同じ内容を詳しく彼がFacebookに投稿したりしいることがある。

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他にも何人かの評論家やコメンテイター、新聞記者をフォローして記事を読んではいるが、商売優先の怪しい人が多い。八幡和郎や池田信夫などにそれを感じる事がある。寧ろ一般の方に数名、参考になる考えを述べられる方がいて、参考にさせていただいている。

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このChinaの態度の変わった(変わって来たように見える)ことについて2人の投稿を探したがまだ意見がまとまっていないのか、情報に確証が持てないのか、まだ詳しい言及はない。世間では今月3日の水爆実験がChina政府の琴線に触れ、恥をかかされたなどと詰まらぬ論評が出ていたり、また、北の力を過小評価していたことに気づき、自国にとって危険で害を及ぼす国だと認識した事がその理由だとしているものがあるが、それだけとは思えない。アメリカと北との間の問題として他人事にしておけない理由が見えたからだと思っている。


考えられる事としてはこのままアメリカが北を潰してしまった暁の事後処理について、アメリカが38度線をまたいでしまう事を避けたいのではないか。それまで のChinaの態度が国際社会で無責任だとの批判を浴びれば、難民の受け入れにも不利な立場で臨む他なく、南シナ海での進出に強気でいる訳にも行かなくなる。海外で仕掛けた経済投資も不利に働く事もあるだろう。ここに来てアメリカに貸しを作り、北を潰すことに協力し、一旦は国連管理の統治地域にし、韓国に統一統治をさせる様に仕向けながら、アメリカと縁を切らす様に圧力をかけて行く事を方針としたのではないだろうか。つまり結果的にアメリカの大陸からの追い出しである。


そうなればアメリカとしては台湾から尖閣、沖縄、対馬、竹島、そして北方4島に至る勢力を確実にしたい筈。ロシアも4島を手放さないように軍事基地の建設に急ぐ筈である。制裁を受けているロシアとしては石油は売りたいところでもあるが、極東軍備の為に金を使う事を考えると北が無くなることは迷惑なことだろう。


しかし、それはそれで地勢的に自然であるように思えもする。2020年代は台湾の独立と竹島及び北方4島が争点となると予測している。さて、櫻田淳教授と西村幸祐氏はどのような投稿をするのだろう。


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寝る前にカボチャを約1cm厚で2片切ってレンジで2分半程温めて、軽くラップをして冷蔵庫に入れる。今朝のドッグフードに混ぜてやるのだ。犬の飯を夜仕込んでおくなど、50年程前に飼っていたコリーの為に肉屋で鳥の頭を貰ってきて鍋で煮て以来のことだ。それにしてもダンベルで腕を痛めてしまい物が持てないのは痛い。何より不便である。


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一昨日長男は東京に戻った。明日は大型案件の打ち合わせに呼ばれている。土曜日は某社の展示場を兼ねた庭園でフェンスの設置もあり、来週は茅ヶ崎で小さな工事がある。10月に入ると5日から1週間の予定でCAの取引先で交渉を兼ねて勉強してきてもらうようにした。今年になって2度目だ。


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6月にHPをリニュアルし、

http://sealink.jp

扱う製品も幾らか整理して刷新し、ターゲットとする顧客も大分見えてきた。


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官庁の仕事への対応の準備も進んできた。年内に掲載される2つの雑誌の投稿の内容も詰めた。何より取り巻く社会の情勢が変わってきたこともある。去年はあまり動かなかったが、消費者物価指数や住宅着工数を統計で見ると成る程と、実感との関連性を認めざるを得ない所は確かにある。


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色々と戦略を立てながら総合的にあれこれやってはいるが、1年前倒しで取り組むべきだったと反省している所だ。やっと幾らか話が増えてきたように思う。我が社のような個人レベルの会社にも漸く仕事が回り始めたかと遅蒔きのアベノミクスに期待してはいるが、世情は極めて不安定な時期を迎え、先はいつまで経っても読めるものではない。



一昨日であったか新聞に、沖縄がバブルを迎えていると出ていた。何せ地理的に近いこともあり近隣国からの観光客が恐ろしく増えている。ホテルが足りないので建設も多く、投資も増えているようだ。これは沖縄が努力よりも国が力を入れた効果が沖縄に大きく出ているという事だろう。他国の人のお陰もあるが、先ずは今の政府の政策のお陰と思わなくてはならない。


さて選挙が見えてきた。 解散に反対する人や組織の目的が共通して憲法改正を阻止したいことに見えて仕方がない。主流メディアの姿勢もあからさまだ。盲目的な安倍信者ではないが、今の局面は反対する立場にいるよりは内側から意見を出す方が良いと思っている。日本は他国と一団となって事に当たらなければならない時であり、その日本にまとまりがなければ話にならない。嫌いな人が率いる政党が勝つのは嫌だと言う人にとって他に人材が全く見当たらないは不幸なことかも知れない。専ら力を発揮できない国で居させたい人も居るのも事実である。今回の解散、選挙は憲法改正のための基盤づくりと緊急案件に関する立法だろう。組閣で前外務大臣が何故交代したか考えると顕著である。副大臣と官房長官との間で不協和音も聞こえてこないと言うことは税金の議論は二の次のことと思っている。







他人を相手に「私は〜して来ました」と話す内容が身内に対しては「俺は〜して来た」に変わる。此処にはしゃべる者が意味が変わらないように気をつけて喋ったとしても、必ず誇張が入る。話しながら同調を期待するからだ。また聞く側の耳に聞く以前から期待があることがある。それが叶う話であれば、喋った本人よりもストレートに頭の中で話の内容が具現化され誇張される。喋った側が気付いて具体的に否定しない限りそのままになってしまう。その結果、話は2倍にも3倍にも膨らんでしまうことがある。

日本がポツダム宣言を受諾した時にもこれがあり、以降70数年間日本は苦しむことになった。

ご存知の通り「ポツダム宣言」は
日本国軍隊の無条件降伏であり
日本国の無条件降伏ではない
ポツダム宣言が要求したのは、
日本国政府が日本国軍隊の無条件降伏を宣言し、日本政府がそれを保障すること
であった。

8月10日、日本は
「天皇の国法上の地位を変更しないこと」を条件にポツダム宣言を受諾する回答
を発した。

8月12日、アメリカの国務長官バーンズより回答があり、
「日本国の政治形態は日本国民の意思で決まる。国家統治の権限は、連合国軍最高司令官に"subject to"する」
とあった("subject to"とは「占領下におかれる」「隷属する」という意味)。

この語が「制限下に置かれる」なのか「隷属する」なのかの解釈をめぐって紛糾したが、8月14日午後11時、ポツダム宣言受諾を連合国に通達した。

そして、8月15日、ラジオの玉音放送で日本の降伏を国民に知らせた。そして9月2日の降伏文章調印となる。

日本はポツダム宣言の
諸条件のもとに降伏したのであって、
日本の「主権」まで占領軍に差し出した
わけではない。

しかし、降伏文書にもバーンズが8月12日に回答したのと同じ「国家統治の権限は、連合国軍最高司令官に"subject to"があり、日本が「無条件降伏」したかのような誤った考えを日本国民に信じ込ませた。

結果、日本は一切の反論を許されず、
あたかも「無条件降伏」したかの如く
占領統治に徹底的に服従させられた。
マッカーサーはまるで日本が無条件降伏
したかのような占領政策を行なっていった。

日本は無条件降伏したのだから、
「戦勝国には何をされても逆らったり文句を言ったりしてはいけない」
などと思って来た人が日本人の中にいる。そう教わって来た人は多い。それは奴隷根性を刷り込むためのデマである。

「連合国の戦後処理こそが戦後日本の繁栄を築いた出発点だ」

「相手国の同意なしには東京裁判の見直しはできない(いかなる条約にも東京裁判を正当化する拘束力はないにもかかわらず)」

と主張するのは毎日新聞だ。もはや自虐史観を通り越して奴隷史観に陥っている。

日本のポツダム宣言受諾を知り

「太平洋の覇権をわが手に」

という大見出しの下に

われわれは初めて、ペリー以来の野望を達した。もはや太平洋には邪魔者はいない。これでアジア大陸の市場と覇権は、我物になったのだ

と記事を載せたのはニューヨークタイムズだった。これはアメリカ朝野の長年の願望が叶えられたことに対する偽らざる喜びの声であった。


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これこそ冒頭に述べた弊害の構図であるが、本土決戦を前に終戦を心待ちにしていた家族の心境を思えば致し方のない事であると思う。同時に「アジア大陸の市場と覇権」に言及した事は改めて直視すべき事と思わざるを得ない。


現在北朝鮮の動向が注目される中、怒りと不安に混じりメディアか政府批判を語っている。

これは自分の日頃からの主張に反するものも、同調するものについても言える事だ。読むなら余程心して読まないと危険な世界に引きずり込まれると言って良い。すべての記事には誇張が潜んでいると思っておく方が良いと思っている。また、読むという行為の中にもその危険がある事も知るべしである。

いよいよ衆議院の解散が現実化して来た。これは改憲に向けて憲法議論を推し進めることに他ならない。これを阻止せんとする勢力は日本にも中国にもアメリカにもヨーロッパにも韓国、北朝鮮にもロシアにもいる。それ程世界に対して影響のあることなのだろう。

ポツダム宣言すら読まずして改憲についてあれこれ語る者がうじゃうじゃいると言うのも何だかなぁ、と思う。