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山犬日記 - 高知在住都民の独り言

2008年2月から介護赴任して9年が過ぎました。
2016年6月から犬と暮らしています。

尚、当ブログの内容と関係のないコメントは削除させていただきます。

    どんなに才能に恵まれ花形の道を進んだ者もやがては体力に翳りが出て引退を余儀なくされる。それはアスリートの宿命だ。現役後の金を作った者、金の入る道を作った者とそうでない者との差は歴然としたものがある。解説者として呼ばれるうちはまだ第2の人生ではきっとない。


    現役時代に活躍してもトップを張れなかった者は蓄えも少なく、第2の人生を歩む。そんな姿を追った記事を書くものがいて、またに見かけることがある。余計なことをするものだと思う気もしないではない。はじめは変わり果てたイメージからエッと思うが、しばらく見ていると私は爽やかな気持ちになることがある。

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    こうした記事にしてもらう人は良く頑張っていると思う。拍手したいくらいだ。自分の人生をしっかりと歩もうとする真面目さが伝わってくる。これはこれで大変な覚悟があってのことだろう。見られる仕事をしてきた人だから世間にどう見られるかは分かっているはずだ。本人に言わせば他に道が見つからなかったと言うかもしれないが実際のところは分からない。あの川田選手が自分でラーメンを作り客の前まで持って行く姿を見て少し感動した。トップを歩んだ人にはその人だけしかわからないこともあるだろうが、トップではなかった人にしか出来ないこともある。それを実際に自分で選択し、やっていることがエライと思う。


   持病を悪化させ、働けない人もいたり、大きな怪我を負い、何もできなくなった人もいるが、むしろ記事にもならない人の方が多いのではないかと思う。やはり彼らは立派である。


    



   



2つの記事を読んだ。


1つはオーストラリアの野党労働党のサム・ダスティヤリ議員が中国からの政治献金を受け、中国側に有利な政治行動を行っていたことが発覚し、それの騒動についての記事。

https://newsphere.jp/world-report/20171215-3/

如何にして他国に入り込み、情報操作をしているかが書かれている。


2つ目は、

https://newsphere.jp/politics/20171214-2/

中国の中央宣伝部の活動と宣伝内容について書かれたものだが、始まりは(毛沢東ジーナリズム』。今日に至る経緯と効果について理解することが大きい。


この2つを読めば具体的に「らしい」が「だ」に変わる。気づいた時にはもう遅い。


オーストラリアのように海外から政治に流れる金を断つ法案を作っても抜け道はいくらでもあるとは思うが、いけないことだという認識が広まり、その効果はあるだろう。


政治家ばかりではない。世論誘導という見方をすればメディアが取り込まれていることが大きな弊害だ。権力による報道への圧力を言うなら何をおいても中国に向かって言うべきだ。世論を国内の手に取り戻し、そのための除染が必要だと痛感する。


今年は何よりも北の暴発が話題を中心に東アジアの問題が浮き彫りになった。国内では踊らされた野党と滑りまくりのメディアの醜態が目立ち、あとは買ってはいないが「ビットコイン」という言葉をよく聞いた。


個人的にはTVをやめたこと。夏場を過ぎ、2ヶ月の間体調不良があり、一時は散歩もままならなかったが、父も飼い犬は一度も体調を崩していない。それが何よりだった。

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今日は何としても年末ジャンボを買いに行かねばならない。


来年はどんな年になるのかな?

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それとも道は自分で作れってか?

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この冬将軍を誰かやっつけてくれないかなぁ、とほとほと事務作業に嫌気がさし、風呂に入りベッドに潜り込んだ。こんな時は好きな時代小説を読むに限る。


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『山月庵茶会記』の舞台は『陽炎の門』『紫匂う』同様、豊後鶴ケ江に六万石を擁する黒島藩(架空)である。宝暦二年、その黒島藩に、十六年ぶりにひとりの男が戻ってきたところから物語は始まる。


男の名は柏木靭負(ゆきえ)。かつては藩の勘定奉行を務め、当時の次席家老・土屋佐大夫と次期家老の座を争った人物だ。藩が柏木派と土屋派に分裂する中、靭負(ゆきえ)藩命で江戸に行くことに。ところが役目を終えて帰郷した靭負を待っていたのは、柏木派の切り崩しに成功した土屋派の優位と、妻・藤尾の不義密通の噂だった。


靭負は藤尾を問い詰めるが、藤尾は何も答えず、「悲しきことに候」と書いただけの遺書を残して自害。政争にも敗れた靭負は家督を養子夫婦に譲り、国を去る。その後、靭負は茶の道を志し、孤雲の名で江戸でも知られる茶人となった。


その靭負が、突然黒島藩に戻ってきたのである。靭負の目的は、藤尾の不義密通の噂の真相を知ることだった。なぜ藤尾は否定も肯定もせず、黙って命を絶ったのか。「山月庵」と名付けた茶室に、当時の関係者を招き、話を聞く


本書の読み応えを感じるのは「背後で何があったのか」ではなく「なぜ藤尾は何も釈明しなかったのか」を掘り下げて行くことに尽きる。靭負が「その時に気づいてさえいれば」と悔やまざるを得ない事情だったことが読むに従い明らかになって行く。


三作とも過去のその時点では〈間違ったことはしていないと信じていた〉が、もうどうしようもなくなってから〈間違いだったかもしれない〉という迷いに直面する。間違いだったとしても過去は変えられない。そのとき、主人公はどうするのか、それをこの三作は描いているのである。


茶の湯の心とは〈もてなし〉と〈しつらい〉の美学である。亭主は客のことを考え、さまざまな工夫をしてもてなす。亭主と客は一服の茶を介して一期一会の心を通わせる。そこに生まれる亭主と客の一体感を〈一座建立〉という。


かつての政敵、或いは黒幕、自殺に追い込んだ事情の張本人かも知れない関係者を茶会に誘い、もてなす。余計な装飾や殻捨て去り、本質がにじみ出る様子が、茶の世界を通じて描かれている。


過去と向き合うことが今を強くし、未来につながるとこの小説は語っているようにも思える。


「やってしまったことは仕方がない。そんなことより…」

或いは

「私の質問に答えていない」

を知る関係者によると

こんなものは読むに耐えなくなる。


「そうでしょうか?」

ところどころに登場する女性の思わぬ声がまた良し。



夢と一概に言っても色々とある。


少年老い易く学成り難し

一寸の光陰軽んずべからず

未だ覚めず池塘(ちとう)春草の夢

階前(かいぜん)の梧葉已(すで)に秋声


若者は年をとりやすく、学問はなかなか成り難い。それゆえ少しの時間でも軽んじてはならない。

池の堤の若草の上でまどろんだ春の日の夢が覚めないうちに、庭先の青桐の葉には秋の声が聞かれる。月日は気づかぬうちに過ぎ去ってしまうのだ。

/朱熹

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若い日の才に奢り、うかうかと歳月を重ねることを戒めて詠んだものと思われる。


「池塘早春の夢」これは才ある者には付き物だろう。努力も人並みでは無かったかも知れない。あることを区切りとしてふと一息つく時がある。周りからも慰労の言葉が聞こえたおかしくない時でもある。そんな時、疲れた身をほんの少し癒すつもりで過ごす間に思わずいろんなものを心身に取り込んでしまうものだ。それに本人は気付かない。それらを断ち捨てるなどという発想自体持てないのだ。結果そこで止まってしまう。


また、才あるとは言えない者であっても、自信のない日々からふと抜け出したと錯覚する瞬間がある。それにはきっかけとなる物がある。それまで意見を述べることもしなかったものが進んで喋るようになる。自分を何処かに連れて行ってくれるような夢を見たからだ。勿論捨てることはできない。自分からこれを取った人生など考えられるものではない。


どちらであろうが、愚か者であることに変わりはない。


その上に行ける者は夢を捨てる苦しみを知り、自戒と言う実践をし、身につけ、かつ更に大きな夢を見る才のある人間なのだろう。


夢を捨てることのできない者、一息ついてそこで得たものを断ち切れない者、これが大衆であろうと思う。その上に行けた者から見れば、自分にとって大切なものを持ち続けていられることは幸せな事に映り、羨ましく思うのではないかと想像する時がある。


政治家ならばその上に行ける者であってほしい。つまらぬ疑惑や、特定の地方での法を無視したヒステリックな行動をいつまでも抑えられないのは、そんなことができる人を羨ましいと思えないからかも知れない。自ら政争に明け暮れ、職業と化した議員ならば所詮似たレベルなのだ。似た者のする事を似た者が解決出来る筈がない。


そうだ、明日は宝くじを買いに行かねば、、。

 台湾鉄路管理局(TRA)は今年、史上最高となる便当1000万個、約7億台湾ドル(約226000万円)の売り上げを見込んでいる。

http://www.afpbb.com/articles/-/3101762

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台湾で人気、昔ながらの駅弁「便当」日本の影響も


平均1220円ってのがいいよねぇ。

種類も多く画像を眺めているだけで楽しい。

「古き良き時代」の不朽のシンボルとなり、飛行機や車での旅に対する鉄道の切り札となっている。

何も鉄道客に限ることはないだろう。

台湾でも、今では民間事業者も参入して駅ナカや駅チカの売店で便当を販売しているほか、コンビニチェーンも「便当風」の弁当を販売している。



私は「ノリ弁当」が好きで時々コンビニで買ってくる。

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旅先でもホテルに持ち込み夕食にすることもある。値段は台湾のようにはいかないが、食べ慣れないものを食べるより安心できるし、十分だ。


28年の日本の食料自給率はカロリーベースで38%、生産額ベースで68%と低い。


食品廃棄量が年間1900万トンに及びこれは世界でも12を争うほど高いと言われている。その量は人口にして7,000万人が1年間食べていける量だという計算もある。


一概に数字を同じ次元で捉えることは出来ないにしても、おおよそ言えることである。それぞれの自治体が弁当に着目し推進すればどうか?一食300円まで落とせればいろんな効果は出ると思うのだけど。少なくとも輸入量は減る方向になるのではないか、と。


同時に容器にはもっと工夫が必要だ。プラゴミが増えるのを何とかしたいものだ。


私は最近ネコまんまに注目している(単に面倒臭いだけ)。使いきれそうにない肉とか、貰ったチャーテとかサツマイモなどの野菜を使う。


昨日朝、夜食、今朝の画像です。


あ、体重11月から5kg落ちました。年内目標まで後1.3kgです。


昨日の朝食

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夜食
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今朝の朝食
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厳粛

2016.3.25

忠誠と信義を重んじ、この人生に身を捧げる思いを、過去にない意地と懇親を抱いて皆様のご期待にお応えし、相撲道復活の道筋を常に歩み続けたいと思う毎日です。


人生は長くとも短いと申しますが、今日死に直面しても悔いはない人生を訓示として、我が身我が友我らが仲間と共に身を削る覚悟に至りました。


相撲道の普及は、我が人生の名代でもあります。我が故郷我が生き甲斐でもあり、記憶を辿れば、幼心に芽生えた軍神のように生まれてきた思いがいたします。日本の国益のお役に立てるための、相撲道の本懐を遂げるためのものです。


言うが易し行うは難しい、と社会の気風を打破してこの後の相撲界に大きな貢献に鉾を立てて、将来を担う力士たちの柔軟なしなやかな心を育てて参ります。これからもご支援ご指導を賜りますよう何卒宜しくお願い申し上げます。

貴乃花光司


http://takanohana.net/message/2015.html


角界最高の才能と環境に恵まれたエリートは1996年(平成8年)9月場所後の巡業中、背筋の肉離れを起こすケガにより緊急帰京。それ以降引退する20031月場所迄の6年半、相次ぐ怪我や病気に苛まれた。幕内通算優勝回数は2230歳での引退だった。


その彼が自身の部屋のH.P.にメッセージのコーナーで日頃思った事を語っていることを知った。ここには彼の相撲に関する思いと、親方として「我が身我が友我らが仲間と共に身を削る」覚悟が記され、同時に相撲を楽しんでいる姿が垣間見れる。


今の相撲は年間6場所制である。その他力士には地方巡業や稽古場総見などが課せられており、職業として長く籍を置くなら何処かで手を抜かないとやりきれないだろう。したがって相撲界の常識は年6場所制を如何に維持するかに資する考えに陥りやすいものと想像が付く。


貴乃花部屋の相撲に取り組む姿勢では普通なら体が持たないだろう。現に彼が親方となって育った力士の数は少ない。部屋も慈善事業ではない。多くの関取を育てなければやっていけるものではない。しかし、彼は例え関取が居なくてもその姿勢は変えないだろう。入門者が日本人であろうと外国人であろうと関係はない。一貫した教育を施すものと思えてくる。


彼と協会との間で不協和音が聞こえてくるのもこうした覚悟で臨んでいるからだろう。価値観が異なるのだ。


こうした教育で引退から14年が経過し、育った関取は幕内西前頭筆頭の貴景勝、同東八枚目貴ノ岩、十両東十四枚目貴源治の3名である。


この部屋の関取は師匠の相撲に対する考え方や部屋の教育の指針は身を持って理解して来た、或いは理解しようとしていると思う。更に親方を尊敬し、惚れてもいると思う。そうでなければとっくの昔に辞めている筈だ。


自ずと他の部屋の力士とも価値観は違って来るのだろう。他の部屋の力士は6場所制で如何に成績を上げ、番付を上げて行くかを第一にしているのだと思う。その頂点に立つのはモンゴル出身の白鵬だ。


親方が他の部屋の力士との交流に前向きでないのは、朱に交わればを懸念するところから来ているのだろう。力士自身そんな機会があってもこの部屋の力士は自覚して染まらないようにしているとすれば、その姿勢は折角の交流の場を白けさせるに十分なものがあるだろう。まして同じ国の集まりでは、思う事を口に出しやすい。しかもそこには角界最高成績を誇る大横綱が居る。


もし言葉が過ぎて親の事まで批判されたら子は親を庇って不思議はない。そこまであったかどうかは本人に聞かないと分からないが、再び始まった白鵬の説教に嫌気がさしていたのだろう。


先輩後輩、同じ学校、同国人の繋がりとはそんなに大きいものなのかと私などは思ってしまうが、よく分からない。きっかけでは世話になることも多いだろうが、それぞれの部屋で下積みをし、給金を取るまでに成長したのだ。1人の社会人としてまずは認めるのが先だろう。説教したかったのは貴ノ岩の態度にあったのか、白鵬の慢心にあったのかは知らないが、何の権利があって説教をするのか馬鹿げて見える。双方に溜まっていたのは事実だろう。


その中で日馬富士は彼のストイックな稽古を積み重ねた相撲を見ていても分かるが、貴乃花親方を尊敬していたと思われる。そして事ある度に貴ノ岩を庇って来たのも事実だろう。貴ノ岩は27歳、日馬富士33歳である。そして白鵬は32歳、貴乃花親方は45歳。協会理事長の八角でさえ54。皆まだ若い。


ある事をやっていて面白くない事があるとか失敗して迷惑をかけたから辞めるなどは何処の世界に行っても繰り返す。その世界に入り、何かをやろうとしてその道が完全に閉ざされた事を知った時に人は気力を失いその世界を去って行くことはあるだろう。日馬富士の心を折るものは何だったのか。或いは、引退を決意し、会見に臨んだ時点では折れた音はまだ本人に聞こえてなく、数日が経ち折れた音が聞こえたのでは無いだろうか。


日馬富士にしても貴ノ岩にしても今は孤独の中にいるだろう。しかし自分に向き合った時、何かを得るものだ。あれだけの鍛錬、訓練、錬磨を重ねて来た男達である。どのような形で生きることになっても期待して見守りたい。貴ノ岩に思うことがあれば師匠はしっかりと受け止めることだ。


日馬富士については一説に彼は日本国籍を取ろうとしていたと聞く。協会に残る準備をしていたのでは無いだろうか。何故協会に残ろうと思って現役を続けていたのだろう。これだけ怪我を繰り返しているのだからいつ辞めてもおかしくなかった。これだけいろんな投稿やコメントがある中で彼がやりたかったことについて誰も書いていないのは個人的には残念に感じている。


ある事をやっていて面白くない事があるとか失敗して迷惑をかけたから辞めるなどは何処の世界に行っても繰り返すだけのこと。


その世界に入り、何かをやろうとしてその道が完全に閉ざされた事を知った時に人は気力を失いその世界を去って行くことはあるだろう。


これだけ投稿やコメントがあるのに、何をやろうとしていたのか、誰も語ろうとしない。それが私は不満。

日本相撲協会危機管理委員会とやらが中間報告を発表した。日馬富士寄りの発表だとか、師匠の弟子の管理に問題があると読んだ人もいるだろう。


私は協会内の不協和音を世間にさらさないような世評の誘導と見せたくない内部事情の隠蔽の行き届いた発表で事態の収束を図っているように読めて仕方がない。私はまだどうも納得がいかない。実際、調査では貴乃岩の意見も聞けていないし、モンゴル会の実体にも疑問がある。白鵬の行動にもさらりと触れただけだ。事件が明るみになって直ぐにビール瓶ではないと日馬富士を庇ったのは白鵬だ。その時から直感だが白鵬に何かあるなと個人的には思ってきた。


日馬富士の暴力に関しては法治国家である以上許されない。しかし、体を使った世界で上位を狙う人間には特別の気の強さがある。そう言う経験のあるものを社員にしていた会社と長く付き合った経験からしても、横綱に登りつめた日馬富士の心が折れた理由は何だっただろう……それが見えない。


まだまだ二転三転するのではないかな。寧ろそうあってほしいものだ。





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戦の時に使われた剣、弓、薙刀、馬を乗りこなしての馬上からの槍、取っ組み合いになった時、相手をねじ伏せるための殴る、蹴る、投げる、それらを必要な事として日頃から修練し、心身を鍛え、技を磨く。これらはやがて世の中が平穏になったり新たな道具が主流となる事で表舞台から影を潜めていく。しかし自らの心身を鍛え、生き抜くための修練として学ぶものは沢山ある。「道」や「術」と呼ばれるようになったものには皆そうした面を持っているように思える。


実戦で役に立つことがなくなったものが勢いを持て余して形を変えると一つはこうした形になるのだろう。

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「道」を披露して競い合わせば人は集まる。人が集まれば金が落ちる。本陣のある街道の宿場が栄えたのもそうだし、観光客を招致するのもそれが目的である。世の中には必ずそう言う動きが出てくる。興行というやつだ。興行には興行主がいる。優秀なプロモーターが出て来る。モハメッドアリやマイクタイソンのマッチを仕切ったドンキングなんてのがいた。

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貴族の都落ちに伴い京の文化が地方に広がった。その中に土地相撲と呼ばれるものがあった。神社仏閣の建設修繕の資金調達のための興行を勧進と言ったが、神社の祭礼に相撲が行われることが多かったことにあやかり、営利目的であるにもかかわらず「勧進相撲」と称して興行をすることが常態化した。


文禄・慶長の頃(1600年前後)には上方では盛んに巡業が行われていた。しかし慶安年間には浪人、侠客が出入りして始終喧嘩が絶えない事態になり、各地で勧進相撲は禁止された。江戸幕府は慶安元年(1648年)に「風紀を乱す」という理由で勧進相撲禁止令を出している。その後数十年を経て徐々に解禁されるようになったが、例えば京都相撲は暫くの間は文字通りの「勧進」相撲として興行し、江戸相撲は街中での興行(辻相撲)を禁じられて寺社の境内などで興行を行うようになった(同時に、興行の届け出先が町奉行から寺社奉行に移動した)。推測だがその裏で興行をめぐる利権の争いがあったと思われる。

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江戸時代、力士は大名のお抱え武士として相撲をとっていた。そのため力士は髷を結い、武士と同じ待遇を受け、帯刀も認められていた。


明治になり文明開化で相撲をはじめとする伝統芸能は軒並み危機に陥るが、明治天皇が相撲好きだったこともあり、天覧相撲が繰り返されるなどによりその命脈を保つ。丁髷は日本に来た外国人からはとても不評だった。「日本人は豚の尻尾を頭に載せている」とか、「ピストルを載せている」などと嘲笑われることもあった。そこで明治政府は、外国人と対等のつきあいをするにはまず髪型からだと考え、断髪を奨励した。しかし、なぜか相撲取りだけは髷を結い続けることを許された。相撲好きだった伊藤博文などの働きかけも大きかったという。明治42年には、関取は「大銀杏」でなければならないという決まりもつくられている。実はこの明治42年は、新設された大相撲の常設会場が国技館と命名された年でもある。それまで日本では国技という言葉はほとんど使われていなかったが、この国技館ができたことで、相撲は日本の国技というイメージが一般に広がっていくことになる。国技となれば、日本の伝統に根ざしたものでなくてはならない、ということで髷は堂々と伝承されたのである。このときに行司の衣装も、江戸時代の裃・袴から、より神事的で威厳のある烏帽子・直垂に変わっている。 国技になったものではない。国技と呼ばれるに相応しいものにされたという事だろう。


大正14年(1925年)には幕内最高優勝者に授与される天皇賜杯が下賜され、また東京相撲と大阪相撲が合併することにより日本相撲協会が誕生、勧進相撲は大相撲に一本化された。


GHQの公職追放で日本の武芸は悉く組織が解体されたが、相撲に関しては比較的緩かったらしい。とは言え、なかったわけではない。公益法人化制度改革にあたっては「文化・伝統」「処世・ビジネス」「改革」を正しく捉えようとしていた記述も残っている。

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このように相撲には伝統、興行、改革など矛盾する概念が付きまとう。「保守の牙城」と呼ぶ人もいれば、「賭け事」と見る人もいる。


私が小学生の時に大相撲高知場所が残っていて3日ほど力士が集まり興行があり観に行ったことを記憶している。朝潮、大鵬、柏戸、豊山、佐田の山、岩風、明武谷、鶴ヶ峰などを生で見たように思う。


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正に高度成長期の相撲界である。当時は父母の里に行けば場所中は毎日その日の取り組みが印刷された横長の用紙が回って来て、爺さんが勝ち力士に丸を付けていたが、あれは町内で誰かが胴元となって賭け事をやっていたのだろう。


そのうち力士になる者が減ったのか、外国人力士が増えた。一昔前なら曙、小錦などのアメリカ勢、今は朝青龍、白鵬、日馬富士、鶴竜をはじめとするモンゴルの勢いは凄い。彼等に意地を見せた1人が貴乃花だ。怪我をして臨んだ武蔵丸との優勝決定戦や朝青龍とのガチ勝負は見事だった。




こうも実力を持った外国人力士が増えれば彼等による意見も強くなるはずである。うちにいての見方も変わって来る。それは過去に無かったことだろう。その中で声を大にする者もいれば自制を促す者もいよう。また意見が別れれば時には激しくぶつかり合うこともあるのだろう。


日馬富士の件で世間が大騒ぎしている。相撲界での事件は昔から週刊誌にとっては格好のネタだ。煽りに煽っているのではないだろうか。


世の移り変わりで常識も変わる。往々にして受動的に変わるのが常だ。それに応じて受動的に内部の価値観が変わることもあるだろうが、伝統という面において、それに抵抗し、しきたりや慣習を守り抜くことも必要ではないかと思う。更に今や日本人的な考えだけでで判断しても意味がないこともあるのではないか。単に今の日本人の常識で判断することには違和感がある。


どこかで自分の意見をまとめて見たいとは思うが、まだ何が何やら私には正確なことが見えてこない。