今年になってから 脳に変化が見られる。
老化が原因と 言うまでもないが 記憶の扉は そうそう開いてはくれない事がある。
忘れるということは 逆に 安らぎを与えているのかもしれない。
嫌な記憶は 扉の奥に しまい込まれて 出て来ないほうが 幸せかもしれないから。
しかし、第一級の嫌な事は 中々忘れる事は無い。
それぞれに 人間は胸に抱えて 表面では笑って 時間をやり過ごしているのだろう。
自ら乗り越えて 解消した件 は 完全に忘れても OK !!
自らの記憶の世界で 小さく 消えて行けば 良い。
先日 二人展の師匠は、「それでは、作品は出来ない はずだよ!」
と 言及された。
今朝、遅く起きた私に 「怒り」 が ” 創造の元 ” ????
と なぜだか、 メッセージらしき ものが・・・・・・・
昔の私は心中で 怒っていた。
それを鎮めるために コツコツ制作していた と 思い出した。
結婚し、あまりに不幸な身近な人たちに出会い、怒るどころか 結果、自らの幸せを気づかせてもらった。
だが、昨日のニューヨークのギャラリー事情(TV) を見て、日本との温度差を強く感じた。
うさぎの像 が 500億 ドル !!!!!
庶民には 感覚として 存在し得ない状況が 映し出された。
そんな日本の片隅であっても、私はやはり制作するべきだろうと 気がついた。
社会は 幾重にも残酷な状況が 放り出されたままなのだから。
決して 現実と和しては いけないのならば 作品の中で 叫ぶしか無い。
記憶の扉の中に入り込んで 暴れる事(創作する事) が 現状維持に効果的なのだと・・・・・・