高校1年生の時、進路を考えていた。
家の経済的事情からは、進学はムツカシイだろうと、判っていたが、
看護師 に アコガレていたからだ。
ズッと後になって解った事だが、父は、ずいぶん前から 勉強机の中を私の居ない時間に、チェックしていたので、何を考えていたかを 判って居たようなのだ。
オシャベリは、するが、他愛のない内容ばかりに限定していたので、私の本心は 読みにくかったかもしれない。
しかし、それが、普通に 誰でもとる 手段だと・・・・・
もう一つ、高校を 自分の実力以上 の 処を 志望し、通ってしまったから、大変だったのである。
最初の試験では、450人中 400番代 であった。(9クラスの中では ビリ・・・・・)
田舎の中学校 から 転入して、地元の有志のお嬢さん が 志望されていた その高校を 入試できる チャンスを握り、(注: 入試出来るのは、クラスで5番以内を 手にしたからだ) 通った。
父は 妹娘 との 成績差 を 苦にもせず、頑張る 娘 を ジッと見守っていた。
そして、ついに、私に たずねた。「何に なりたい?」
私 「看護婦さん を 考えている・・・・・・」
父 「看護婦さんだけは、ヤメてくれないか!」
「入院して、本当にお世話になったから お仕事は、本当に感謝しているし、立派だと思う」
「エゴだと、判っている! が、 自分の娘 の 手を 他人の汚物 にさらされたく無い!」
「こんな事を言うだけでも、 人間として、最低 だと 判っているが、 どうしても、 看護婦さんには、なって もらいたくないのだ!」
と、 父は 私の前で 感情を押し殺しながら、とつとつと 語った。
思いだす中では、父との 会話は、コレだけなのだ・・・・・
父 「看護婦さん以外 だったら、何になっても、怒りはしない。だから、看護婦さんだけは、ヤメてくれ。 お願いだ!」
私 うなづくしか無かった。
成績もあまり芳しく無かったので、 就職コースを選択した。
ある大企業に就職し、給料と休みを 利用し、日本中を 旅しながら、
ただ、 見て回った。
現実の日本の姿を見たかったから。
企業の中で、外部の人は 入れない 研究所の実験室 など、社会を実際に見て、男性社会は、当分変わりようがない事を 知り、敢えて、もう一度 チャレンジしたくなった。
男がした仕事か? 女がした仕事か? 誰にも、判断のシヨウガナイ仕事 とは!?
その中で、染め物 を 追求したくなったので、ただのお遊びではなく、基礎だけでも、学びたく、美術専門学校の資料を取り寄せた。
父に 呼ばれ、前に座ったら、「学校に行っても いいよ!」 だが、
通学 出来る学校にしなさい」
「今の経済状況では、学費だけしか 応援出来ない。家からだと、部屋代や食費は そのまま応援出来るから・・・・・」
私 「じゃ~~ 私、結婚する時には、何にも イラナイ。 学校に行かせて下さい。お願いします。」
美術専門学校2年間を通学し、卒業した私は、再就職し、家を離れ、会社の寮に引っ越しをした。
有名人であった東京のある染織家 は、 素敵だと感じていたが、
スキャンダル が 苦手だったので、
女性の作家さんを 希望していたら、しみ抜きの オッチャンが、
紹介状 を書いてくれた。
単なる オシャベリばかり していたのだが、ちゃんとニーズを見極めてくれていたのだ!
両親の元を離れる事になったが、目先の事だけで判断せず、気長に 内面の私の成長を見ていてくれた事に感謝したい。
父の嘆願で 志望先 を 変更させられた 等 考えても居なかったが、 じっと、見つめ続けてくれた と、遠い昔の事だが、涙が出て来るほど、嬉しい。
今は、その仕事からも 遠ざかっているが・・・・・・
しかし、夫との見合い後、結婚することになり、自宅に赴き、二人で両親の前で挨拶の時、父の目に 大粒の涙が溢れた。
私は、ビックリしていた・・・・・
少しだけ有名な 陶芸家 の 妻(3番目)になろうとは!
約束どおり、身一つで 嫁入りをしたが・・・・・・
私の遠い遠い 妻への修行 の道 だったとは!(39才、初婚)
創作 の道 を 経験していて、本当に良かったと 胸をなでおろした。
父も そうなることなど知る由もなく、応援してくれていた事実に、涙が溢れたのだろう。
夫は 2度の結婚相手は、創作には関係無い 女の人 だったから、家庭に亀裂があった事は 話してくれた。
創作の喜びを知っている事に 安堵していた。何しろ、教え子でもあったから。
売れない陶芸家、22歳差、貧乏は、勝手知ったる 庭!
縁とは、なんとも不思議な 他人のお世話様 の上に 築かれていた。
まわりの人達の気遣いの上で、成り立って来た人生を 愛おしく想います。
天国の両親や すべての人達に ありがとう を 叫びたいです。
すべての看護師さま、 どうぞ、父の勝手な意見をお許し下さいませ。
m(__)m