1950年(昭和25年) 朝鮮戦争が起こり(~53)、電波三法成立(放送法ほか)警察予備隊(現:陸上自衛隊)が創設される、レッドパージ・・・・・・・・・
さだかでは無いが5歳の頃だろうか、記憶の中から 忘れられない姿を思い出した。
九州は三池炭鉱の一角であった。 立坑 と ぼた山 が そびえ立つ ある炭鉱のポンプ方として 戦後になり 職を得ていた父(47歳)。
住んでいる処は 古くからの台地の上の村だった。
24時間 稼働 の 3交代で 仕事に行っていた。炭鉱は 危険な仕事先で 落盤事故や 急な出水事故で、昨日まで、元気だった若い男でも、亡くなる事が 多々有り、緊張していた。
サイレンが鳴り響き、事故だと知ったのは、小学生になってからだった。
2時過ぎだっただろうか、勝手口の板戸が少し空いていた。
土間から 外を見たら、ギョッとした。
母が父を見送っていたのだが、声もかけられない程の 緊張感だった。
見たこともない女の人に見えた程、その顔は 真剣だったのだ。
甘えたい盛りだったが、そっと母(39歳)の姿を見守った。
おそらく、初めて見た、緊張する人間の美しさに打たれた経験だっただろう。
父が亡くなれば、一家は滅亡するかもしれない大家族の勝手裏。
母は 祈るしか無い・・・・・・・・・・
仕事中、出火していた 配電盤 のポンプの電源を入れた父。
大やけどをして、入院したこともあった。
たしか、2度ほど あったと記憶している。しかし、出水には、ポンプの電源を入れなければ 仕事場は 大変な事になる。
命がけの 行為・・・・・・・・・・・・・
地下の長い 長い 坑道の仕事先まで、徒歩(たまにはトロッコ)での
行ったり、帰ったり。
そんな 超危険な仕事 をして、育ててくれたのだ。
仕事とは、すべて 危険を伴っているのかもしれないが・・・・・・・・
しかし、 脳裏に残る その 母の祈る姿 は、根源的な美しさが 漂っていた。
悔しいが 描いて表せない 真剣な美しい姿であった。
今、記憶の彼方から思い浮かぶ 母の祈り。
人間は 見かけばかりで美しさを ヤユされるが、あの田舎で生を受けた 理由 が、 やっと理解できるような 記憶に出会った。
長い間、どうして あの地域で生を受ける必要があったか?
謎 だったのだ。
今は亡き両親に 感謝の念を捧げて この一文をアップさせて頂きます。
そして、 書くことで 記憶を捻出させて頂いた事を 深く 感謝 申し上げます。m(__)m