私は幼少期から下痢と発熱を繰り返す 虚弱体質の 子供 だった。
産まれて直ぐの 初乳や母乳が 飲めていなくて、 腸が消化出来ない状況 を 戦争という社会背景 が作り出していた。
つい最近の研究結果らしい。
母には、心配ばかりしてもらっていた。
学校も発熱や下痢で 行けない 日 があり、皆勤賞はあまりもらった事がない。
高校生になったら 文武両道の体操がキビシイ 有名な高校にアコガレて、入学して、身体は、やっと健康に近づいた。
そして、当時 成長株の大手電化製造業の会社に就職した。
しかし、多忙なセクションであり、たまに、体調を崩しては、行きつけの内科医院に行った。
母が付き添ってくれたのだが、医師云わく、「もう、就職されたのだから、親の同行はいらないでしょう」 と 母に直接 言って、帰るよう言われた。
母は、幼い私 の ままを 案じて、心配してくれていた。
しかし、私も 過保護 から 自立が 要求されたのだ。
母だけが 悪いのではない。
妹は、健康体の持ち主で まるで 病気とは 関わり合いが無く、又、
成績優秀の問題ない娘だった。
兄嫁さん 云わく、姉娘にばかり 気にする母 が 異常に見えたそうである。
しかし、幼い頃には、妹と母を取り合い、よく 喧嘩をした。
-----ウチだけの お母ちゃんや! チガウ うちのお母ちゃんや~~~--------
私の生まれる前に、次女(10ヶ月) 4男(6歳) 長女(2歳)の3人の幼子を2年のうちに亡くしていたので、母としては、私も 失うのではと
気がきではない状況だったらしい。
小学校の修学旅行(大分県の別府温泉・おサルで有名な高崎山)と 熊本城 へは、父と母が 同行した。
長らく、旅行もしたことがないので、着いて行くことが可能だったので、引率の先生の人数も足りないというラッキーな事から 修学旅行の写真に 両親共々 収まっている。
子供としては大いに恥ずかしい件だったが、父も母も、初めての修学旅行だったのだ。
父(55歳)、母(47歳) 我が家に 久々の 幸せが 訪れていた。
その時、祖母は突然の病で他界していた。(82歳だった)
父の定年で、大阪に引っ越しをした。(中学2年生だった)
やがて、高校を卒業し、就職し、懸命に働き、日本中を旅行しては、父の定年を目の当たりにしていた私は、一生の仕事はなんだろうと考えるようになり、絵の世界に目覚めていた。
働きざかりなのに、仕事を辞めなければならない ことに 不信を抱いたからだ。 定年の無い 職種って 何!ーーーーそれが絵だった。
会社を退職し、専門学校に行かせてもらい、京都府に移り住むことになり、家を出た。
会社の寮生活となり、休みの日にしか自宅には帰らなかった。
しかし、電車の中で、涙が溢れて こぼれるのが、毎回の事だった。
悲しい事があった理由では無いのに。
母も 多分 寂しかったのであろう と 今頃 思い当たる。
妹が やがて 建築士の国家試験に合格し、独立して仕事をすることになり、両親を京都に呼び寄せた。
寂しがる母に 妹は 手を焼いていたらしい。
兄たちの無関心を 心から怒っていた。
が、時代がスッカリ変わり、昔の同居の嫁の忍従の話は母の時代で終わった。
しかし、ヤサシイ祖母であったが、母にとっては、姑 にかわりはなかった。
兄たちが、私を泣かせてやろうと 母と祖母には、血のつながりがない、と、聞かされ、案の定泣いてしまった事があったが、幼い女の子に
分る道理ではない。(昭和24~5年頃だろうか?)
甘えてばかりいた 娘 だったが、母にとっては、安らげる存在であったと 信じている。
時に大きな事を言ったら、「ダレに大きくしてもらったのやら」と ツッコミを入れられた。
そんな母は、父・妹(50歳で他界)と 兄と郷里の兄嫁さんに 手を合わしてもらっている。
娘なのに? いえ、嫁いだら、その家のご先祖さまを守るんですよ が
祖母の口癖だったので、実家の事は 兄嫁さんの仕事と 私なりの流儀を貫いている。
母がお骨になってからしか 家に帰れなかった のは、妹と私に高校に行かせたくて、仕事を大阪に求めたのであって、結果、こうなったのです。
そして、義息子を亡くした私には、言ったことが無いが、義息子のお嫁さんと 将来、姑として 大喧嘩をするのが 秘かな 楽しみだったが、敢え無く 夢と消えた。
頭の隅に ちょっとだけ、浮かんだだけだが、夢を見せてもらっただけでも 幸せだったかも。
母の幸せは、私が 元気でいることなので、きっと、色んな事に夢中になって チャレンジしている姿を見て、ほほ笑んでいることと 推測する。
母とソックリ と言われて いたから、母のがむしゃらな生き方を 見ているうちに 身につけていたのだろう。
亭主をうまく操縦していた母、ちまたに聞く 夫婦喧嘩などは、私もしたことはない。
見事に寄り添って 問題解決 を して来た。
母を思い出して、書いてしまったが、本当にありがとうございました。
目立たないが、強くて逞しい 日本の母 そのもの でした・・・・完