出かける予定のない日は ちじこまってしまう。
明日は、アレをやろうと決めていても なかなか 実行出来ないで過ごしてしまう。
筆ぐるめの起動が出来ないで 長く モタモタしているが、それも勢いを欠く原因だろうと想いを巡らす。
目下のところ、美味しいご飯を摂ることが楽しみだ。
白いご飯は この所あまり食べていない。
以前、結婚当初、夫に食べてもらおうと炊き込みご飯を炊いたら、正直にだが、「白いご飯が食べたい!」 と言った。
戦争で(インパール作戦)命からがら生き残った過去がそう言わせるのだろうかと、それからは、白いご飯ばかり炊いてきた。
しかし、母が炊いてくれた炊き込みご飯は、戦後の貧しい食糧状況のなか、貧しさを忘れさせる「ご馳走」だったのである。
だから、麦ご飯が主流だったから、白いご飯は 記憶の中では 無い。
中学生になってから、やっとお弁当に白いご飯が入る事になったのです。
小学生の頃、まだ、給食がなかった頃 お弁当には皆 麦ごはん ばかりだった。
白いご飯なんて、誰も居なかった。 その麦ご飯の色が だんだんと白くなっていった5年生・6年生の頃、教室のみんなのお弁当を見て、何も言葉では言い表す事はしなかったが、社会の景気が徐々に復興していく時代の証明のようで 印象深く 記憶に残っている。
さかのぼって、隣国 朝鮮戦争が始まった頃には、それまでは閉まっていた村のたった1軒のお店が常時、開くようになったことだ。
甘いお菓子など食べたことが無かった幼少時、虫歯が1本も無かったが、飴などお菓子が並べられるようになってから、一気に虫歯が増えて、痛くて、歯医者さんにお世話になることが多くなった。
母はため息をついていた。
平和が良いのか?戦時中そして戦後でも、子供には甘いお菓子の無い時代が良いのか?相当悩んでいたようだ。
社会の変化は 致し方のない事として、母の思いを今更ながら知ることは、自分を大切にするという行動にさせる。
ひとり暮らしの気ままさは、時として、ないがしろにしがちな小さな事を大切にすることなのだと。
人々によって、白いご飯のイメージは、さまざまなのである。
夫の白いご飯は 命 そのものであったのだろうか?と。
戦争の影がちらつく 不安な社会模様は 打開策を保たない 一市民のつぶやきにしか 表せない。
そして、東南海大地震 への 備えをしながら、老いて尚、命を守る気持ちを どこかで笑ってしまう自分が居て、涙が浮かんでしまう。