映画「るろうに剣心」伝説の最期 感想文 | seawinterのブログ

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 江戸時代から 明治時代に時代は変わっていた。

しかし、国を執ろうと追われた武士どもが 外国の軍艦を仕立てて、明治政府に迫ってくる。

 

総理大臣? (その時の呼称は、違うかも) 伊藤 博文 に。

 

幕末・維新にて戦い、何人もの人を殺した主人公・緋村は るろうに剣心 と名乗っていた。

 

人を殺したがゆえに、表舞台には立てない状況であり、名に、一番の名剣士とも呼ばれ、倒せば、一番の名剣士を倒した男 と たたえられる故に、命を狙われる始末であった。

 

軍艦を仕立てて来た一党の首領は全身を焼かれていて、顔、身体 を布でかくさねばならぬほどの、生きているのが不思議な状態だった。

 

だから、汗をかく力は もう 持っていなかった。

 

戦いは 15分間 しか出来ない状態である。

 

俳優が誰だか判らなかったが、映画のエンディングでキャスティングが流れたとき、 藤原 竜也 と 判った。

 

想像 出来なかった。 見ていて。

 

美しい肉体と顔がすべて焼きただれた、特殊メイクで変装されていた。

 

刃である剣からは 炎 が吹き放たれて、迫り来る恐怖に観客は胸をつまらせて声をあげていた。

 

一方、主人公は やはり、人を殺し続けた故の結果なのか、心が

ひよわ に なっていた。

 

福山 雅治 が演じていた。

 

剣の 師匠に 極意 を教わろうと立ち向かう。

 

剣もだが、 心のひ弱さ に 問題ありと、 師匠は そのまま戦いに出ても、倒されるだけと 自分に倒されたほうが良いと 真剣に命がけで戦いを挑む。

 

主人公は もう 殺されると察したとき、 生きる! 事の 必死さ

命そのものへの感覚を 理解したと察し、敵の中へ出向くことを許す。

 

明治政府は主人公を指名手配し、辻掲示板に人相書きを貼り、役人を配し、探していた。

 

外国の軍艦を仕立てて、国を乗っ取ろうとして、対峙していた一団に困り果てていた 伊藤 博文 は 一計を案じ、 処刑すると見せて、敵の軍艦へ 主人公を突入させて、戦わせる作戦に出る。

 

アクションだらけの映画であった。

 

空中を舞う 剣の戦いは これまでの日本映画ではみられない殺陣の布陣だった。

 

映画の配給会社は日本ではない? そんなわけはない・・・・・・

 

監督は 日本人だったので。

 

血が流れるのを見たくないという感覚から、つい 見逃してきた 映画である。

 

しかし、「見に行け!」 という 内奥の誘いは ずっと以前からあって、やっと出かけたという経緯があった。

 

アクション シーンばかりであったが、内なる心に ささやく声があった。

 

「お前は、戦ったのか?!!」

 

「お前は、本当にこんなに 激しく 戦ったことがあったのか!」

 

涙が 溢れそうになるくらい 熱いものが こみ上げてきた。

 

メッセージ が 込められているのだと 強く 思った。

 

そして、私なりに ” 最期の戦い” を歩き始めた。

               ( 平成26年10月26日 日記より )