いつもご覧頂きありがとうございます。



輪っか出来ててSeaweed Engineering Nori'sブログ(定休日)です。




本日もバタバタとやっておりました。


写真見ていつも自分で思うんですが、本当に四季の濃いと言いますか、冬寄りの秋?秋寄りの冬?これは関東じゃ見なかった日本の素敵な風景です。




関東が悪い訳ではなくて、やはり人の絶対数が地球に与える影響というのは、とても大きいのだという僕の個人的な感想の事です。

ちょい早朝、犬の散歩をしてるのが銭函海岸なのか、それとも多摩堤通りなのか。




憧れなくても既に持ってんですよ。

お互いに、手に入らない物を。


すべてがひとつである事を教えてくれるのは曙色だから、46歳のオッサンになるまで気付かなかった事がたくさんありました。

綺麗なものも汚いものも、たくさん見たから拾えるものもあると思います。





いざそうしてみると、まあそうだよな、と。

つまりは自分でシリンダーをホーニングしてエンジン組んでそれに乗ってツーリングする奴が、内燃機屋さんにハッチの細かさの事で質問する事と、お母さんが娘の子育ての事でやいやい言うのは、だいたい同じだって事。


なんでもやりたいことに、ひたすら向かったら良いと思います。

周りはだいたい否定的。

でも、これはあなたの物語です。




「しかし、お前の、女道楽もこのへんでよすんだね。これ以上は、世間が、ゆるさないからな」


 世間とは、いったい、何の事でしょう。人間の複数でしょうか。どこに、その世間というものの実体があるのでしょう。


けれども、何しろ、強く、きびしく、こわいもの、とばかり思ってこれまで生きて来たのですが、しかし、堀木にそう言われて、ふと、


「世間というのは、君じゃないか」


 という言葉が、舌の先まで出かかって、堀木を怒らせるのがイヤで、ひっこめました。

(それは世間が、ゆるさない)
(世間じゃない。あなたが、ゆるさないのでしょう?)
(そんな事をすると、世間からひどいめに逢うぞ)
(世間じゃない。あなたでしょう?)
(いまに世間から葬られる)
(世間じゃない。葬むるのは、あなたでしょう?)
 

なんじは、汝個人のおそろしさ、怪奇、悪辣あくらつ古狸ふるだぬき性、妖婆ようば性を知れ! などと、さまざまの言葉が胸中に去来したのですが、自分は、ただ顔の汗をハンケチで拭いて、


冷汗ひやあせ、冷汗」


 と言って笑っただけでした。


 けれども、その時以来、自分は、(世間とは個人じゃないか)という、思想めいたものを持つようになったのです。


太宰治「人間失格」より




人はAIと違って体験する事でしか学べないから、別にバーチャルだろうがリアルだろうが、そんなの気にしなくていいんです。

ネットもスマホもSNSも無かった時代、あと一歩たどり着けなかった思想に、僕らはなんだか手の届きそうな所に居るのです。

これこそが科学の進歩と言いますか、今こそ、今一度考えるべきチャンス到来なのだと思いました。



冷汗、冷汗(笑)

明日もよろしくお願い致します。