さしだのための無目的

さしだのための無目的

自分のため、目的を持つわけではなくいろいろな状況、考え方をどことなく誰に対してでもなくむやみやたらに投げかけるために設けました。

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すごく楽しみ

楽しいとしてたことを

いつがしかのタイミングで急に楽しくないとする

正直こちらは何を信じたらいいのかわからなくなるが
一番は本人わからないのかもしれない

きっとどちらも本心でどちらも大切なのだから、どちらも

裏であれは違うというのは
言いたいだけ、保険をかけるだけ


それは本人としては楽だろうけど

隣で聞いている分にはきついなぁ
会いたくもない人と会った

騙されて、
完全にやられた

その人にむかつくからコミュニケーションの練習台をさせたけども

そのなかで
「女の子を支援したい」と言われた

そのあとに
「男の子は知らないけれど」

これが女の本音よね、
「男なんてどうでも良いから、私たち女はかわいそうで助けるべき存在なの」

さて、
今度はその主張をひっくり返してみよう
「女なんてどうでも良いから、俺たち男は助けるべき存在である」

きっと、いまの日本だとバッシングを受けるよね、
女性蔑視とか、人権侵害だとかで

こんなことがまかり通る日本じゃ皆が幸せや公平、平等って難しいよね

まぁ、
そんな社会になるように促進してコントロールしたい人がいるんだろうなー
今日は巷で大騒ぎする仮装家が多く練り歩く日ですね。

どこかの地域では、その騒動に便乗して大量のごみが捨てられているとかいないとか
まぁ、そんなことはいいんです、僕には直接関係ないから。うそ。

関係なくはないけれども、
それを解決するために遠くは慣れたところから憂うだけではなにも起こらないし
行動に起こすほどの余裕もないのだから。

個人的には、
カボチャをくりぬくあの謎の飾りの必要性を問いながら
あのカボチャの存在感が薄くなることにかなり憂いています。

なんだかシンボルがなくなるみたいな感じ。


まぁ、書きたいこととは関係ないことをつらつらしていて
もはやそのままつらつらと意味のないことで仕上げてしまおうかと思うけれど
すこし気分があがってきて、タイプミスも増えてきたから一興として

さぁ、
キリスト教聖夜の経済効果をついに凌いだとされる仮装家の日ですが、
果たしてそれっていいことなのか?と思うのです。

経済効果、つまり多くの貨幣とものの交換が起こったと考えているけども
(当たっているのかな?この解釈)
それで、日本人は幸せになるの?
誰が嬉しいのだろう、大きな経済効果というやつは、ということです

だって、
人間大きな買い物や大量出費したら財布の紐きつくなりません?
緩む人もたまにいるみたいですけど

そんな風にみんながみんな大量出費するような
大きな経済効果を上げると、その後の反動が怖いみたいな

それよか、
小さく出費をだらだらさせる方が「気づいたら散財!」みたいな感じで
経済も貨幣も回ると思うのだけれど…

まぁ、
経済のkすらしらない素人の浅知恵ですが、
経済効果が大きいことを完全にみんながみんな良しとする風潮は
何かしらの危険を含んでいると思うな。