今週は旧暦で大寒の末候に入った。いよいよ2月3日の節分を過ぎると立春がやってくる。

 

アウトドアライフが生活の基盤となって早20年以上。自然の移り変わりにより敏感になったせいか、太陽と月のリズムを基本として作られた旧暦が心身ともにしっくりくるようになった。旧暦では季節を24の節と72の候に分けて、こまやかに季節のうつろいをカレンダー化している。ちなみに一年中で一番寒い季節とされる「大寒」は1月20日ごろから2月3日まで。それが更に3つの候に分かれる。

 

初候(1月20日から24日ごろまで) ― 蕗の薹、華咲く。

次候(1月25日から29日ごろまで) ― 水沢腹く堅し。(みずさわあつくかたし)

末候(1月30日から2月3日まで) ― 鶏始めて乳す。(にわとりはじめてにゅうす)本来は鶏が卵を産み出すシーズンなんだそうだ。現在のように檻の中で一年中昼夜を問わず卵を産ませられている鶏とは違い、昔の鶏はこの時期を選んで排卵し始めたらしい。

 

先週末は気温が緩まり、ワシントン州の低地では一斉にカエルが鳴き出した。オスの求愛にしてはちょっと早すぎるんじゃないか?動物も私達と同じように春が待ち遠しいのだな。

 

さて、カエルの繁殖はさておき。私には興味深く毎日チェックしていることがある。それはシエラネバダ山脈の今年の積雪状態である。

 

PostholerというWebsiteは数日おきに詳しくPCTシエラ地域のスノウレベルを報告してくれる。Postholeとは雪の積もっているところを歩く時、ズボッと雪の中に足がはまってしまうことを指す。雪が固まってしまうとその上を歩くのは楽になるが、柔らかめの中途半端な雪って超やっかいだ。特に雪解けの春先は雪上を歩くのは避けたい。疲れるし、深雪のところは危険。太ももあたりまではまってしまう時は身動きが取れなくなる。この状態が続くと足首や膝を痛める原因にもなる。

 

下のグラフは2024年1月28日の状況。一番上の青線はドカ雪が降った昨年。多くのスルーハイカーがシエラ越えできず、シエラを飛ばして北上して、雪融けを待って秋口にシエラに戻るか、または戦略を大幅に変えてカナダ国境から南下する道を選んだ。

一番下の赤線は、最近で一番積雪量が少なかった2015年。今年は緑線。今のところ2015年レベルだ。もちろん積雪量が少ないとカリフォルニアの飲料水に影響が出るし、大きな視野に立つといいことではないが、PCT的にはなかなか良い。

 

雪上を歩くのはものすごく体力を消耗する。雪原のトラバースは滑落の危険があるし、アイスアックス(ピッケル)やクランポン(ブーツに付ける滑り止め器具)など余計な装備が必要となる。こういう用具は重い。

 

一日25マイルから30マイル歩くという猛者でも、シエラの雪に出会うとペースが落ちて一日10マイルがやっととなる。

加えてトレイルが雪に覆われてしまうと、ラウトファインディングが一仕事となる。

2024 Pacific Crest Trail Snow Conditions (postholer.com)

 

私が一番危惧するのは川の渡渉。雪が多ければ多いほど雪融け水も多くなるので、川を渡るのは命がけの作業となる。一人では流される可能性がある場合、近くにいるハイカーに声をかけて複数人が一列に横にスクラムを組み、上流を向いて流れに直角に全員で号令をかけつつ、一歩ずつカニ歩きして渡る。

 

または渡渉は諦めて川沿いにテントを張り、翌朝水量が少なくなるのを待って渡る。朝は気温が低く、雪融け水も少ないので渡りやすくなる。

 

スルーハイキングにはいろいろと危険要素があるので、チャレンジと言えばチャレンジ、冒険と言えば冒険で、ものすごい意志力が無いとできないことのように思う人が多い。だがスルーハイキングの意志力というのは、根性とは無縁のところにあると思う。

 

もちろんなぜスルーハイキングをするのかによっては、ド根性必須の場合もある。最短記録を狙っているスルーハイカーもいるし、ヨーヨーと言って、カナダに到達した瞬間にきびすを返してメキシコに逆戻りするという考えられないスーパーハイカーもいる。こういう人達は長距離走を延々と何週間も何か月も続けているような極限の精神状態になるだろう。

 

記録保持者については別のブログで書いたのでここでは割愛。でも興味のある人は下の動画をどうぞ。

 

Timothy Olson's FKT was about more than breaking a record - Pacific Crest Trail Association (pcta.org)

 

昨年はベルギー人のプロランナーによって46日に記録が更新されたそうだ。通常の人は4か月から6か月かかる距離。この人たぶん寝てない。

 

記録更新といえば、先日の大阪女子マラソンでは、前田穂南選手が20年ぶりに日本記録を更新し、2時間18分59秒という素晴らしい結果を残した。2時間19分の壁を破ったわけだが、その実況中継を見ていて選手達の精神性というか意志力にはどぎもを抜かれた。

 

第一彼女らの足の動きから顔の表情までつぶさに映像になって流れるだけでなく、秒刻みで走行速度が表示される。更に嫌なことは、このペースを保てばフィニッシュ時にはこの時間、という予測まで先行して報道される。先頭集団の周りは手を伸ばせばぶつかるような距離に、レポーター付き中継車、カメラマン付きオートバイ数台がまとわりつく。選手達の集中力が阻害されるだろうに、もっと遠くから撮れないのか?放映権を持つスポンサーの利権があるからテレビ中継は仕方ないとしても、警察オートバイの先導なんて必要なのか?コースは事前に交通封鎖されているんだから、オートバイ隊なんて邪魔なだけだと思うけど。このような不自由極まりない環境で、拷問レベルのペースを死守しなければならない選手達のストレスを考えたら、見ている方までやるせなくなる。これは非人間的ですらある。

 

そのような劣悪な環境で、自己ベストを出し続けるマラソン選手の精神力は神業だ。この根性は一体どうやって培われるものなのだろうか。

 

スルーハイキングの精神力はこの対局にある。

 

2652マイルも歩き続ける意志力はどこから来るか?と聞かれたら多くのスルーハイカーは「止めない勇気」を挙げるだろうと思う。止めたいと思うのは肉体的にきついからではなく、ほとんどの場合メンタルなもの。スルーハイキングは通常のハイキングとは違い、目的地が遠すぎる。ハイキングというよりはアウトドアで暮らしている感覚だ。だから外にいて歩き続けることが日常となりルーティーンになる。多くのスルーハイカーはその日常に「飽きる」のである。場所的にはシエラを過ぎたあたりで脱落する人が多くなる。シエラ絶景の刺激が無くなると、なぜこのようなことをしているのか?と正気に戻るのかもしれない。

 

そしてスルーハイカーの中には「自由があり過ぎる不自由」の存在を知る人が出てくる。「規律が無さすぎる不自由」と言ってもいい。すべてを自分で決めなくてはならないのは疲れる。と同時にたとえどのような選択をしたところで自分以外にはまったく何の影響も及ぼさない。自分以外は誰とも関係性を持たない行動が内包する自由過ぎる「不自由さ」に耐えがたくなっていく。

 

私も、少しは規制なり、他人との関係性があった方が、やりやすいのではないかと思ったりした。「自由」というと聞こえはいいが、物と同じで、あり過ぎはよくない。逆説的ではあるが、「自由」が重荷になり、余分な「自由」を断捨離したいとすら感じた時もあった。

 

そういう意味でトレールヘッドで待っていてくれる家族や友人の存在は貴重だった。私を再び「歩き続ける日常」に戻してくれた。FBでイイねしてくれる人達の存在も筆舌には尽くしがたい支えとなった。マラソン選手の路上の声援も同じだと思う。死力を尽くす選手にとって、体ごとフワッと持ち上げてくれるような絶大なる効果があったことだろう。

 

♪余談だけど、前田選手のお父さんが前田選手とカラーコーディネートしたピンクのジャケットを着て、声援を送りながら歩道を全力疾走している姿が目に入った。50歳の元ラグビー選手ということだが、50歳にしてワールドクラスの娘と同スピードで伴走できる父親って超かっこいいな。♪

 

Vally of Fire State Park @Nevadaで多々見かけたピクトグラフ。UFOと宇宙人みたいな図柄。