「死にたい」
そう思うことは
逃げでもなければ
悪でもなんでもない
私はずっと
そう思っている
子どもたちに
いつも言っているように
むしろ
生きることを頑張ってる証だと
そんな風にさえ思う
誰も愛してくれないツライ家庭環境で
誰も分かってくれない学校という組織の中で
誰も信じられないこの社会の中で
そんな環境でも
必死で生きることを頑張っているから
その現実が
それに耐える自分の心が
死ぬほど苦しいんだと
そう思う
私も過去
何度となく
「死にたい」と
ひとり苦しんだ
やっとの思いで
誰かにそれを打ち明けた時
「あなたが死にたいと言ってる今日は
明日生きたいと言って死んでった人の明日だ」
と、世間で有名な名言を言われ
お説教されたことがあった
きっとその人は単純に
「それは甘えだ!頑張れ!」と
励ましたかったのかもしれない
けれど私の中には
溢れるほどの
『代われるものなら代わってあげる!』
という叫びでいっぱいだった
”その、明日生きたいと言っているその人と
代われるものならいくらでも喜んで代わってあげる”
「死にたい」と今苦しんでる子は
きっとみんなそう思うだろう
そのくらい
自分の価値も
自分のいる意味も
わからないのだから
だから
私はいつも言っている
死にたい気持ちを責めないでほしいと
みんな好きで死にたいわけじゃない
みんな好きでそこにいるわけじゃない
ただただ
死にたいくらいツラく苦しい気持ちを
誰かにわかってほしいだけ
誰でもいい
誰かひとりでいいから
わかってほしいと
心の奥で叫んでいるだけ
過去の私がそうだったように・・・
死にたい気持ちを
逃げとか悪とか言わないで
「そんな風に言うんじゃない!」なんて
ましてや責めたりなんてしないで
どうして死ぬほど苦しんでるのか
ただ聞いてあげてほしいと
そう思うのです
私にはその気持ちが痛いほどわかるから
今のこの活動は
それが原動力だし
それこそが
私が活動を続けている理由
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