日頃から講演などでは言っていることだが

今日はあえてブログで言わせてもらうぜ!

というのが・・・・

 

まさにタイトルの言葉

 

 

 

”障害者は可哀想

だから手を差し伸べよう!”

っていうマスターベーションが

何より一番迷惑!

 

 

ってこと

 

 

 

 

 

 

 

ここ1〜2年相談に乗っている

ある女の子から

最近届いたメールがある

 

 

 

彼女は何度か会ったこともあるし

ウチにも遊びに来たことがある子で

 

母の日にはプレゼントをくれたり

父の日には旦那様にもLINEが来たくらい

本当に懐っこい可愛い子

 

 

 

 

私の元にLINEをくれる子は

虐待やネグレクトなど

本当に壮絶な経験をしてる子が多い

 

 

彼女も沢山の苦労をしてきて

本当によく頑張って生きて来た!!!と

心から思う子のひとり

 

 

 

大切に愛してくれてた両親を亡くし

施設で過ごした時期を乗り越えて

今は目標を持って大学にも通っている

本当に素敵な明るい子です

 

 

 

そして彼女は

車椅子でもある

 

 

 

 

 

 

その彼女が先日電車に乗ってたら

知らないオバさんからいきなり

 

 

「あなた心臓が悪いの?」

 

と聞かれたそう

 

 

 

 

 

 

いきなりそんなこと

知らないオバさんから聞かれたってこと自体

本当にびっくりなのだが

 

 

 

彼女が悪くないですよって答えたら

 

 

「あら、そうなの?

そう聞いたから」

 

 

と言われたらしい

 

 

 

”誰から聞いたの?”

と思ってびっくりしてたら今度は

 

 

「オムツしてるの?」

 

 

って

 

 

 

 

 

もうね

ここまででも充分

「は?何が言いたいの⁉︎」

っレベルだけど

彼女がしてないですって答えたら

 

 

「そーなの、じゃトイレは自分でできるのね」って

 

 

 

 

 

 

 

 

その後このオバさんは

 

「変な人いっぱいるから気をつけるんだよ

自分の情報喋っちゃだめよ」

 

と言いだしたらしい

 

 

 

 

 

”お前が一番情報を聞出してるやん!!!”

 

ってツッコミ入れたいところだけど

 

 

さらにこのオバさんは

 

 

「あなた親と暮らしてるの?」って

 

 

 

 

 

 

一人暮らしだって伝えたら

 

「え!本当に?!」

 

ってびっくりされ

 

 

彼女いわく

 

 

『車椅子=親元で暮らしてる

という固定概念があるみたいだった』

 

 

 

 

 

 

「世の中変な人いっぱいるから

何かあったら親とか友達に相談するのよ!」

 

て何度も言って来て

電車を降りてったらしい

 

 

 

 

 

 

「やっぱり親を頼りなさいって言われて

親なんか居ませんけど・・・って感じ

 

頑張ってね!とかは嬉しいけど

こういうのすごく迷惑だし

なんか傷ついた」

 

 

って彼女からのLINEに

私も思わず

 

 

 

「うわ!!

障害のある人に良かれと思ってやってる

マスターベーションだ!

早く忘れな!」

 

って返事したが

 

こういう人は本当に多い

 

 

 

 

そしてそういうような人が

 

「障害の”害”の字はひらがなにすべきです!!」

 

とか言ってくる

 

 

 

 

 

 

この件に関しても時々話すけど

 

私の周りにいる障害のある人たちで

障害の「害」の字を気にしてる当事者に

私はまだ一人も会ったことがない

 

 

 

 

 

むしろ、この話をすると

重度と呼ばれる障害を抱えてる人でさえ

 

「その通り!!!!

そんなことより家の前の段差をどうにかしてくれ!!」

 

とめっちゃ共感をしてくれる

 

 

 

 

 

 

障害の「害」の字をひらがなに!!

って言ってる方は私が知る限り

当事者ではなく支援側の人

 

 

 

 

 

きっとその裏側には

 

”障害の人は害なんかじゃないのに!

可哀想です!!”

 

って気持ちがあるのだろう

 

 

 

 

 

 

そういう人には

 

「そのエネルギーと気遣いの優しさを

もっと本当に必要なことに向けてください!」

 

と丁重に言いたくなる

 

 

 

 

 

 

せっかく何か手を差し伸べようと

意識を向けてくれてるなら

 

障害のある人たちが

本当に必要としてることは何か?

真剣に考えてほしい

 

 

 

 

 

 

 

彼女も

 

「本当それ!

わかってくれて嬉しい!

 

障害のある人に

関わろうとすることは良いことだけど

聞いて良いことと悪いことがある

 

私良いことしてます〜っていうのはお断り!

 

本当に良い人は

良いことしてますアピールしない」

 

とLINEが

 

 

 

 

 

もう、これは投稿しよ!

って思いましたわよ

 

 

 

 

 

そしたら彼女も

 

「うん!広めてほしい!

発信しないと気づかれない

見過ごされやすいことだし

是非お願い!」

 

 

 

とのことで

ブログで書かせていただきました

 

 

 

 

 

 

 

 

私の場合

身体の障害の人だけでなく

発達障害や精神障害に苦しんでる人からも

相談をいただくことが沢山あるし

私自身も発達障害当事者です



 

 

そしてこれは障害に関わらず

虐待を受けてきたり

児童養護施設出身だったり

色々辛い経験や苦労をして来た子も同じ

 

 

 

 

私も生い立ちがこんななので

子供の頃からずっとそうだったが

家庭環境を聞かれるたびに

 

「かわいそうに・・・」

 

という勝手な先入観を持たれることが多かった

 

 

 

 

 


 

障害のある子も

壮絶な経験をして来た子も

 

「可哀想だから」

 

という思いから

手を差し伸べられることが

何より一番差別してるって私は思う

 

 

 

 

 

 

 

”可哀想だから支援する”

 

のではなくて

 

「もし大変なことがあるなら

私にできることがあれば言ってね!」

 

という意識が本当の愛だと思う

 

 

 

 

 

 

 

だってこの世に

 

可哀想な人

 

なんて居ないから

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

大変な状況の人

 

苦労してる人は居ても

 

可哀想な人

 

なんて居ない

 

 

 

 

 

 

 

 

 その意識こそが

何よりも差別してることに気づけたら 

 

当事者の人たちが

本当に必要としてることは何か?

にも気づけるはずだと思う

 

 

 

 

 

 

 

このオバさんも良かれと思って

良いことしようと思ったのかもしれないけど

その言動が何より傷つけてることに

気づいてほしい










追記: 私が一番伝えたいのは

『手を差し伸べるな』ってことではなく

『可哀想な人っていう意識は当事者を傷つけるんだよ』

ということ


『可哀想な人だから助けよう』じゃなくて

『大変だろうな、できることあるかな』って

そういう意識が

手を差し伸べる人には必要だと

私は思ってます



ダイバーシティというものを目指すなら

本当の意味で

みんな同じく平等で公平な存在だって

相手を尊重していくことが大切だと思うから



「親もいない可哀想な人だ」

「障害のある人は可哀想だね」

ではなくて

大変なことがあるならサポートするよ!

っていう意識が大切だと




このニュアンスは

きっとマイノリティな人の感覚や

可哀想と思われて来た経験がないと

理解するのは難しいのかもしれないけれど

もっと海外のように

「どんな背景があっても同じ存在だよね」

っていう感覚や

差別意識のない社会でないと

難しいことなのかもしれません



決して支援のあり方に文句を言ってるんじゃなくて

せっかく支援しようという愛の気持ちがあるなら

当事者を困惑させたり傷つけるやり方でなく

本当の意味で愛を循環させようよ!

っていうのが

私が一番言いたいこと

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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​​​​​​4年生に進級してすぐ

私は学級委員になった




小学校生活で

一番楽しく充実していたのは
この4年生の時だけかもしれない

 





同じクラスでとっても頭が良い

A君という男の子が初恋の人で

私は1学期の間

A君と一緒に学級委員を務めた



 

この頃は学校でも居場所があり

普段遊べるお友達も居て

好きな人と学級委員をやり
楽しく学校生活を送れていた

 

 

 

家庭内は相変わらずだったけれど

学校に友達や居場所があるだけで

全然幸せだった

 





私は当時から男っぽい性格で
女子のグループよりも
男子の中で女子ひとりみたいな

そういう環境でいることが多かった

 



今思えば

発達障害(アスペルガー)で
陰口やうわさ話好きな女子より

裏表無く接することができる男子といる方が
とても楽だったのだ



仲の良い女の子が1~2人居て
あとは男子みたいな

そんな感じだった



だから女子が集まって

前日のテレビの話やアイドルの話をするよりも

男子と校庭でドッヂボールしてる方が

遥かに楽しかったのだ

 

 




だけど5年生になり

クラス替えになって間も無く
私は女子から仲間はずれにされ始めた





5年生にもなると

何だか女子が色気づいてきて
男子とばかり遊んでると


「なんで城戸さん(子供の時の苗字)は

男子とばかりいるの?」
 

と陰口を言われ始める





私は当時身体が小さくて

前ならえではいつも先頭


しかも父親はいない片親で

家も狭くて自分の部屋もない・・・

 

 

 

 

そんな私は
女子から仲間はずれにされる

かっこうの標的だった



 

「城戸さんは生理まだ来ないでしょう?笑」


と笑いながら言われたり
遊びの仲間やグループに入れてもらえなかったり
暴力的なイジメではないものの
今でいう”ぼっち”になることが増えた

 

 



それまでの

男子と自由奔放に遊び

明るかった本来の私は委縮し始め
だんだんと暗い内気な女の子になっていった

 






学校で色々辛いことはあったが

一番忘れられないのは
裕福で意地悪なSさんのお誕生日会




私には唯一ふだん遊んでいた

ちーちゃんという友達がいた

 

 

ある日ちーちゃんと遊んでいたら

Sさんの誕生日会に呼ばれてるから

早めに解散しようという日があった

 


私は家に帰ろうとしたが

ちーちゃんは一緒に行こう!と

私を引き止める

 


そもそも私は呼ばれてなんてないし

Sさんは私を仲間外れにするグループの子

 

 

「私呼ばれてないからいいよ!」

と何度もちーちゃんに言ったが

 

「私と一緒なら大丈夫だよ!」

と説得するちーちゃんに連れられ

とにかく不安で憂鬱だったけど

一緒に家の前まで行った

 



ちーちゃんがチャイムを鳴らす

 

 

私は少し下がった位置で

かなり不安な気持ちで待っていた

 

 

 


そして笑顔で玄関先に出てきたSさんが

私の顔を見るなり

キャンディキャンディに出てくる

イライザ並みの意地悪な表情で

 


「なんで、城戸さん来るの?呼んでないよ!」と
 

これまたイライザ並みに言い放った

 

 

 

 

 

そしてイライザ並みに

玄関先でちーちゃんだけを自宅に入れて

私には家の中すら見せないように

私だけを玄関の外に残し
バタッとドアを閉めた

 

↑これね、イライザ笑







歓迎してもらえないとは思っていたが

ここまであからさまに除け者にされ

私のプライドも心も

最上級の屈辱を味わい

ボロ雑巾のようだった

 


 



幼稚園も行かずにフラフラし

街一番のお金持ちの娘にバカにされた

あの日の出来事と重なったが

 

幼かった頃みたいに

怒って相手を殴るなんて

当たり前だけどできなくて

 

私は言い返すことすらできず

ただ我慢するしかなかった

 

 

 

 


泣くことも

怒ることも

 

 

気がついたら

素直にできない私になっていた

 

 

 

 

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​​​​​​念願の引越しが終わり
怖い祖父から解放され
ひいおばあちゃんと母との生活が始まった



ひいおばあちゃんは私を愛してくれていたし
私のワガママも聞いてくれる
本当に優しくて

大好きなおばあちゃんだった

 



ただ毎日のように23時の閉店まで
蒲田駅にあるパチンコ屋さんに行っていたので

帰りはいつも24時過ぎ

 

遅い時は25時近くになることもあった

 

 

そのたびに私は

ひいおばあちゃんに何かあったんではないかと

それはそれは心配になって

母の働いていたお店に電話した

 

 

 

 

 

そんな私の時代は

小中学校がまだ週休二日でなくて

土曜日は4時間目まで学校があった

 



給食のない土曜日

 

学校から帰る途中


自宅のある3階までコーポの階段を上がると

カレーの匂いがしてきて


”もしかしてウチ?!

もしかしてカレー?!♪( ´▽`)”
 

ワクワクしてドアを開けると

家には誰も居なくて
カレーの正体は隣の家だった・・・

 

なんてことは年中で
引っ越しても

家庭環境の淋しさはあまり変わらなかった



怖い祖父の顔色を伺わないのは

私にとって自由そのものだったが

寂しさという意味では

より孤独を感じる生活だった

 

 

 



引っ越し後は

母も時折帰って来てくれるようになり
 

少ない時は週1~2日

多い時は3~5日
 

深夜か朝方に帰ってきては

夕方起きてお店の支度をし
18時頃には出かけて行く


そんな生活スタイルだった




母がお店に行く時は

近くの私鉄の駅まで一緒に行って
母が電車に乗って見えなくなるまで
ホームの下からいつも見送っていた




そしてまた

誰もいない家に

ひとりで帰っていく

 

 


 

当時は珍しいカギっ子で
学校を終えて帰っても

誰も居ないことは日常茶飯事

 

 

たまに学校から帰ると

母が居て寝ていることがあって
そんな日はとてつもなく気を遣ったものだった



寝ている時は

とにかく静かにしていないといけなくて
テレビなんて見ようものなら
ものすごい剣幕で怒られた

 



基本、猛烈にヒステリックな母なので
母がいる日にテレビが観たい時は
イヤホンで観なければいけない






ある時、母が昼間に帰ってきたようで

母がいると知らずに

お友達を連れてきたら
お友達の前ですごい剣幕で怒られ
そのまま泣きながら家を飛び出したこともあった

 

 



とにかくヒステリックな母で
私は本当によく怒鳴られた



「あんたなんか産まなきゃ良かった!」
怒られる時の定番決まり文句

 




小学生だった私はただただ悲しくて
言い返すことなんてできず
それを言われた後は
ベランダでひとり

包丁を手首に当てて泣いた

 

 

 

今思えば

1DKの狭い家のベランダで

私がひとり泣いていてもお構いなしに

怒った後も母は寝ていたんだから

非情と言えば非情だ

 

 


今でもその時の光景は目に焼き付いていて
小学校3年生の時に
初めて本気で

 

”死にたい”

 

そう思った

 

 



 

母のその言葉は

私に猛烈なダメージを与えたが

その言葉だけに反応した訳ではなくて
きっと、それまでのツラい体験が

私の中にしっかり土台を作り上げていて
その言葉が決定打だった・・・

そんな感じだと思う

 

 

 



「あんたなんか産まなきゃ良かった」

 


同じ言葉を

親に言われたことがある人も
多いと思う

 

 

 



「みかん箱に入って捨てられてた」

 

とかも
『親から言われた酷いセリフBest10』

があったらランクインすると思うが

 


「あんたは捨てられてて拾ってきた子なのよ」

 

はもちろん私も言われたけれど


きっと私の母オリジナルであろう

 


「アンタは本当は6つ子だったの。

だけど、他の子はみんな死んじゃって

アンタだけ生き残ったの。
アンタじゃなくて他の子が生きてれば良かった」

 

なんてものもあった笑

 



ま、その手のセリフは

大体制覇しているということだ

 

 



中でも一番本気で怖かったのは
当時日本映画で

3人の小さな子供を

アチコチに捨てていくストーリーの映画があって

東京タワーやデパートなどで

子供を順番に置き去りにして捨てていく

っていう何とも暗くて怖い映画があった



母とその映画を観に行ったのだが

その日から数ヶ月間
 

「さおちゃん、東京タワー行こうか」
 

と度々言われ続け

 

”捨てられる!” 

と、しばらく本気で怖くて怖くて

恐怖だったのを覚えている(笑)

 

 

 



今思えば

決して私が嫌いだったわけではなくて
きっと夜の仕事をしながら

私とひいおばあちゃんを養っていくのに

色々なストレスがあったのだろうと思うし
恋愛などでも色々あったのだろうと思う

 

 



きっと私が

ストレスのはけ口だっただけなのだと

今はそう思う

 

 



だけど

まだまだ小さな子供の私に

そんなこと理解なんて出来るわけは無く
それまでの色々な傷や劣等感をベースに
母のこのツラい言葉たちと

いつ怒り出すかわからない不安が
 

私の心の歪みと自己肯定感の低さ
どんどん作り上げていってしまったのだ





そんな小学校時代
時々だけれど

仕事前の夕方に

母が一緒に銭湯に行ってくれたり
近所の喫茶店にご飯を食べに連れてってくれたり
そんなこともあった

 

 

 

それが私にとっては

本当に最高に幸せな時間だった

 

 


だけど基本的には

夜はほぼいつもひとりぼっち

 



一人でご飯を食べ
一人で銭湯に行き
帰ってきてまた

一人でテレビを観る

 

 



歌が大好きだった私は

ザ・ベストテンが始まると

好きな歌をカセットテープに録音しては
コタツの上をステージにして

ひとりで歌を唄ったり
淋しさを紛らすために

色々な空想ばかりしていた



”もしウチにドラえもんが来たら

どこからやって来るかな??”
 

と、本気でドラえもん歓迎対策を練ったり

 


”もしライオンを飼えたら

友達が私を仲間外れにしなくなるかな?”
 

と、ライオンがいつも私のそばで

私のことを守ってくれることを想像したり

 

 




一人っ子で

夜ひとりぽっちでいると
自然と空想が唯一の楽しみになるのだ

 

 

 



たま〜に、ひいおばあちゃんが

パチンコにいく時
そぼろ弁当を作って

コタツの中に置いてくれてたこともあったけど
お弁当もお金も置いてない夜は

自分でカップラーメンを作って食べる

 

 



そんな小学校低学年

 


私に自転車の乗り方を教えてくれたのは
もちろん父でも母でもなく
ひいおばあちゃんが連れてきた
パチンコ屋さんの店員のお兄ちゃんだった

 

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