宇宙元旦の昨日

新しい一歩を踏み出しましたおせち

 

 

私の原点は、このアメブロ

 

 14年前、

「昔の私のように泣いている子がいたら連絡して」

と、このブログを書き始めたあの頃。

 

 

中卒、薬物依存、自殺未遂…

 

どん底だった私の過去も、誰かの光になれるなら……

と、そんな想いで始めた発信への想いは

あの頃と1ミリも変わっていません。

 

 

 

2026年は、目の前の一人だけでなく、

もっともっとたくさんの人を勇気づけていけるよう

私が4万人の若者支援で培ってきた知見や経験

私の持ってるあらゆるすべてを、この世に遺していきたい…

 

そんな想いから、この宇宙元旦から

YouTubeを本格再開しました!!🚀

 

 

 

昨日アップした1本目は、

自己紹介&私が人生を変えたキッカケキラキラ

 

絶望からどうやって「今」に繋がったのか

改めてお話ししています。

 

 

 

 

 

そして2本目は

 「毒親の特徴」シリーズ第一弾!

 

つい親が言ってしまいがちが

「あなたのためを思って」

という呪いの言葉について炎

 

 

 

 

 

 

慣れない撮影やサムネイル作りなど 

楽しみながらも必死に頑張っておりますので(笑)

ぜひチェックして、応援していただけたら嬉しいです。

 

 

 

小杉沙織、今年は全開で駆け抜けますよん!ダッシュ

 

 

 

 

▼YouTubeはこちらから(チャンネル登録してね!)

 

 

 

 

 

 

                                    

 

🌷今日も最後まで読んでくださって、ありがとうございます。
言葉のひとつひとつに共感してもらえることが、何よりの励みです☺️

 

💻【YouTube】

▶️YouTubeはこちら

 

📝【note】
もう少し深く書いた想いや、裏側のエピソードはここにまとめています。
▶️ noteはこちら

 

🎙【VOICY】
日々の気づきや、母として支援者として感じたことを音声でお話ししています。
▶️ VOICYはこちら

 

📸【Instagram】
思春期の子育てに励むママさんへメッセージを届けています。
▶️ Instagramはこちら

 

🌿X(旧Twitter)でも日々のつぶやきを更新中。
▶️ Xはこちら

 

 

 

 

 

このブログに訪れてくださり、

ありがとうございます。


小杉沙織です。

 

 

この場所を14年続けてきました。


長く読んでくださっている方も、

今日初めて出会ってくださった方もいると思います。

 

改めて、少しだけ私の話をさせてください。

 

 

私はこれまで、

何度も人生のどん底を経験してきました。


中卒、孤独だった幼少期、人間関係の痛み…


生きることそのものが苦しかった時期もあります。

 

それでも、自分と向き合うことをやめなかったことで、

人生は大きく変わりました。

 

 

現在はNPO法人若者メンタルサポート協会の理事長として、

これまで4万人以上の若者と向き合ってきました。

 

 

プライベートでは再婚をし、

穏やかな家庭を築き、
血のつながりを超えて家族になった子どももいます。

 

 

順風満帆だったからではありません。


むしろ、その逆。

 

 

遠回りをしてきた人生だったからこそ、

確信していることがあります。

 

人は、何歳からでも変われる。

 

 

このブログでは——

 

・生きづらさの正体
・人間関係の本質
・自己否定から抜け出す視点
・人生を立て直すための考え方

 

そして時には、

家族のこと、子育てのこと、

人生のリアルも綴っていきます。

 

 

特別な人だけが変われるのではありません。

 

人生は、何度でもやり直せる。

 

私の人生が、その証明です。

 

 

もし今、

迷いや苦しさの中にいる方がいたら——


この場所が小さな光になりますように…

 

 

これからも、どうぞよろしくお願いします。

 

 

NPO法人若者メンタルサポート協会

理事長 小杉沙織

 

 

 

ーーーーーーーーー

 

▶私のこれまでの人生について

このブログには、

まだ何者でもなかった頃の私が、
必死に書き残していた

「生い立ちの記録」があります。

 

未熟で、荒くて、

時に痛々しいほど正直な文章です。

 

でも——
間違いなく、あれが本当の私でした。

 

よければ、ここから読んでみてください。

 

👉 ▶生い立ちの記事はこちら

 

「可哀想」って言葉、
一見すると優しさのように聞こえるけれど、
時にその言葉が

誰かの心を深く傷つけてしまうことがあります。

 

 

これは、私自身の体験からも痛いほどわかること。

 

 

小学生の私に向けられた“哀れみの目”

 

母は夜は仕事で

時々男の人のところへ出かけていました。

 


私は小学生の頃

ほとんど一人で過ごす子でした。

 

 

ひとりでカップ麺をすすったり、出前をとったり。


服も自分で選んで着ていた、そんな毎日。

ある真夏の日。

 


お気に入りのコーデュロイのオーバーオールワンピを着て、
ひとりで家の前で遊んでいました。

 

 

そこへ、孫を連れた

近所のおばあさんが声をかけてきたんです。

 

「あなた、それ冬物よ。お母さんに何も言われなかったの?」

 

その時の、少し蔑むような“哀れみの目”。


今でも、鮮明に覚えています。

 

 

とっさに「自分で選んだから」と答えたけれど、
胸の奥には“恥ずかしさ”と“惨めさ”が残りました。

 

 

きっと、おばあさんに悪気はなかったはず。

 


でもその瞬間

私の中で小さな何かがポキッと折れた気がしました。

 

 

 

「可哀想」と言われて、“もらえる”ことを知った

 

それから数年後。


キャバクラで働き始めた私は

あるお客さんに自分の生い立ちを話しました。

 

 

母が勝手にカードでキャッシングしていたこと。
お金に困っていたこと。

 

 

するとその人は

数日後に15万円を差し出しながら言ったんです。

 

「それ、全部返しておきな。可哀想になぁ…」

 

 

そのとき、私は気づいてしまった。

 


「可哀想な私」でいると

“何かをもらえる”ことがある、と。


 

 

「可哀想」は、自己肯定感を削る言葉

 

『可哀想』という言葉は、
静かに、でも確実に自己肯定感を削っていく。

 

 

それは、子どもでも、大人でも同じです。

 

 

だから私は今

どんなに壮絶な環境にいる若者に出会っても、
「可哀想」なんて言葉も態度も意識すら持たない。

 

 

なぜなら、その子はたしかに

「大変な状況」にはいても
決して「不幸」ではないから。

 

 

 

支援を“施し”にしないために

 

「可哀想」という言葉は

無意識のうちに上下をつくってしまう。

 

 

すると支援は、
“対等な関係”ではなく

どこか「施し」になってしまう。

 

 

 

けれど本当の支援って、
相手の尊厳と可能性を信じて

同じ目線で関わること。

 

 

私たちができるのは、「助ける」ことではなく、
「信じて、並んで歩くこと」なんじゃないかなと思うんです。

 

 

 

さいごに

 

支援する側の“優しさ”が、
本当に相手の力になるために。

 

 

そして、どんな子にも「可哀想」ではなく

「強いね」と伝えられる社会であるように。

 

 

私自身、これからも
“哀れみ”ではなく“信頼”から生まれる優しさを、
届けていきたいと思っています。

 

 

 

                                    

 

🌷今日も最後まで読んでくださって、ありがとうございます。
言葉のひとつひとつに共感してもらえることが、何よりの励みです☺️

 

📝【note】
もう少し深く書いた想いや、裏側のエピソードはここにまとめています。
▶️ noteはこちら

 

🎙【VOICY】
日々の気づきや、母として支援者として感じたことを音声でお話ししています。
▶️ VOICYはこちら

 

📸【Instagram】
思春期の子育てに励むママさんへメッセージを届けています。
▶️ Instagramはこちら

 

🌿X(旧Twitter)でも日々のつぶやきを更新中。
▶️ Xはこちら