このブログに訪れてくださり、

ありがとうございます。


小杉沙織です。

 

 

この場所を14年続けてきました。


長く読んでくださっている方も、

今日初めて出会ってくださった方もいると思います。

 

改めて、少しだけ私の話をさせてください。

 

 

私はこれまで、

何度も人生のどん底を経験してきました。


中卒、孤独だった幼少期、人間関係の痛み…


生きることそのものが苦しかった時期もあります。

 

それでも、自分と向き合うことをやめなかったことで、

人生は大きく変わりました。

 

 

現在はNPO法人若者メンタルサポート協会の理事長として、

これまで4万人以上の若者と向き合ってきました。

 

 

プライベートでは再婚をし、

穏やかな家庭を築き、
血のつながりを超えて家族になった子どももいます。

 

 

順風満帆だったからではありません。


むしろ、その逆。

 

 

遠回りをしてきた人生だったからこそ、

確信していることがあります。

 

人は、何歳からでも変われる。

 

 

このブログでは——

 

・生きづらさの正体
・人間関係の本質
・自己否定から抜け出す視点
・人生を立て直すための考え方

 

そして時には、

家族のこと、子育てのこと、

人生のリアルも綴っていきます。

 

 

特別な人だけが変われるのではありません。

 

人生は、何度でもやり直せる。

 

私の人生が、その証明です。

 

 

もし今、

迷いや苦しさの中にいる方がいたら——


この場所が小さな光になりますように…

 

 

これからも、どうぞよろしくお願いします。

 

 

NPO法人若者メンタルサポート協会

理事長 小杉沙織

 

 

 

ーーーーーーーーー

 

▶私のこれまでの人生について

このブログには、

まだ何者でもなかった頃の私が、
必死に書き残していた

「生い立ちの記録」があります。

 

未熟で、荒くて、

時に痛々しいほど正直な文章です。

 

でも——
間違いなく、あれが本当の私でした。

 

よければ、ここから読んでみてください。

 

👉 ▶生い立ちの記事はこちら

 

「可哀想」って言葉、
一見すると優しさのように聞こえるけれど、
時にその言葉が

誰かの心を深く傷つけてしまうことがあります。

 

 

これは、私自身の体験からも痛いほどわかること。

 

 

小学生の私に向けられた“哀れみの目”

 

母は夜は仕事で

時々男の人のところへ出かけていました。

 


私は小学生の頃

ほとんど一人で過ごす子でした。

 

 

ひとりでカップ麺をすすったり、出前をとったり。


服も自分で選んで着ていた、そんな毎日。

ある真夏の日。

 


お気に入りのコーデュロイのオーバーオールワンピを着て、
ひとりで家の前で遊んでいました。

 

 

そこへ、孫を連れた

近所のおばあさんが声をかけてきたんです。

 

「あなた、それ冬物よ。お母さんに何も言われなかったの?」

 

その時の、少し蔑むような“哀れみの目”。


今でも、鮮明に覚えています。

 

 

とっさに「自分で選んだから」と答えたけれど、
胸の奥には“恥ずかしさ”と“惨めさ”が残りました。

 

 

きっと、おばあさんに悪気はなかったはず。

 


でもその瞬間

私の中で小さな何かがポキッと折れた気がしました。

 

 

 

「可哀想」と言われて、“もらえる”ことを知った

 

それから数年後。


キャバクラで働き始めた私は

あるお客さんに自分の生い立ちを話しました。

 

 

母が勝手にカードでキャッシングしていたこと。
お金に困っていたこと。

 

 

するとその人は

数日後に15万円を差し出しながら言ったんです。

 

「それ、全部返しておきな。可哀想になぁ…」

 

 

そのとき、私は気づいてしまった。

 


「可哀想な私」でいると

“何かをもらえる”ことがある、と。


 

 

「可哀想」は、自己肯定感を削る言葉

 

『可哀想』という言葉は、
静かに、でも確実に自己肯定感を削っていく。

 

 

それは、子どもでも、大人でも同じです。

 

 

だから私は今

どんなに壮絶な環境にいる若者に出会っても、
「可哀想」なんて言葉も態度も意識すら持たない。

 

 

なぜなら、その子はたしかに

「大変な状況」にはいても
決して「不幸」ではないから。

 

 

 

支援を“施し”にしないために

 

「可哀想」という言葉は

無意識のうちに上下をつくってしまう。

 

 

すると支援は、
“対等な関係”ではなく

どこか「施し」になってしまう。

 

 

 

けれど本当の支援って、
相手の尊厳と可能性を信じて

同じ目線で関わること。

 

 

私たちができるのは、「助ける」ことではなく、
「信じて、並んで歩くこと」なんじゃないかなと思うんです。

 

 

 

さいごに

 

支援する側の“優しさ”が、
本当に相手の力になるために。

 

 

そして、どんな子にも「可哀想」ではなく

「強いね」と伝えられる社会であるように。

 

 

私自身、これからも
“哀れみ”ではなく“信頼”から生まれる優しさを、
届けていきたいと思っています。

 

 

 

                                    

 

🌷今日も最後まで読んでくださって、ありがとうございます。
言葉のひとつひとつに共感してもらえることが、何よりの励みです☺️

 

📝【note】
もう少し深く書いた想いや、裏側のエピソードはここにまとめています。
▶️ noteはこちら

 

🎙【VOICY】
日々の気づきや、母として支援者として感じたことを音声でお話ししています。
▶️ VOICYはこちら

 

📸【Instagram】
思春期の子育てに励むママさんへメッセージを届けています。
▶️ Instagramはこちら

 

🌿X(旧Twitter)でも日々のつぶやきを更新中。
▶️ Xはこちら

 

 

 

 

最近、Xで見かけた投稿が、ずっと心に残っています。

 

「“発達障害”という表記の“害”をひらがなにするかどうか──
それよりも、本人が本当に困っていることに目を向けた支援を。」

 

 

この言葉を読んで

私はNPOを立ち上げたばかりの頃を思い出しました。

 


当時、「発達障害勉強会」という講座を主催していて
あえて「発達障害」と漢字で表記していたんです。

 

 

なぜなら、
「本当に大切なのはそこじゃない」

という想いを込めていたから。

 

 

 

でも、やっぱり言われた。

 


「“害”はひらがなのほうがいいんじゃないですか?」
「もっと配慮した表記にしたほうが…」

 

その多くは、当事者ではなく

“支援者”を名乗る方たち。

 

 

 

 

💭優しさのつもりが、支援を歪めてしまうこともある

 

その頃、Facebookで想いを綴った私に
重度障害のある女の子から

メッセージが届きました。

 

 

「沙織さん、よく言ってくれました!
ひらがなでも漢字でもどっちでもいいです。
それより、街中の段差をどうにかしてほしいし、
車椅子の自己負担額をもっと減らしてほしい。」

 

 

 

この言葉に、すべてが詰まっている気がしました。

 

 

当事者が求めているのは、
“言葉の優しさ”ではなく

“現実を軽くする支援”

 

 

 

けれど現実には、
「可哀想だから」「手を差し伸べてあげよう」


という“上から目線の優しさ”が

まだまだ根強くあるのも事実です。

 

 

 

 

🕊「可哀想」という言葉の奥にあるもの

 

私自身、支援の現場に立つ中で
「可哀想」という言葉を

時折耳にしたことがあります。

 

 

某経営者団体主催の児童養護施設での

クリスマスイベントで経営者から

 

生きづらさを抱える若者と

テレビに出た時のプロデューサーから

 

みんなが思わず「可哀想」と言ってしまう。

 

 

その言葉の裏には
“相手を下に見る無意識”が

潜んでいることがあるかもしれない。

 

 

 

 

講演の中でも、私はよくこう伝えます。

「この世に“可哀想な子”はいません。
いるのは、“大変な状況にある子どもたち”です。」

 

「可哀想」とレッテルを貼られた瞬間
その子は“弱い存在”になってしまう。

 

本当は、誰もが

「助けてもらうだけの存在」ではないのに。

 

 

 

🌱これからの“支援”に必要なのは

・その人が本当に困っていることは何か?
・どんなサポートがあれば、心が少し軽くなるのか?
・対等な人として関われているか?

 

言葉よりも、こうした問いを持ち続けること。

 

 

 

「助けたい」「力になりたい」──その想い自体は、素晴らしい。


だからこそ、“言葉の優しさ”より“行動の優しさ”を。

 

 

「可哀想だから」ではなく
「同じ人として寄り添いたい」


そんな支援が

もっと広がっていく社会であってほしいと思います。

 

 

🌸さいごに

子育てや支援の現場にいると、
“正しい言葉”や“正しい配慮”にとらわれがち。

 

でも本当に大切なのは、
相手を想う気持ちを、どう「形」にできるか

 

その優しさが、
自己満足で終わらず、
“本当に届く支援”になりますように──。

 

 

 

 

                                    

 

🌷今日も最後まで読んでくださって、ありがとうございます。
言葉のひとつひとつに共感してもらえることが、何よりの励みです☺️

 

📝【note】
もう少し深く書いた想いや、裏側のエピソードはここにまとめています。
▶️ noteはこちら

 

🎙【VOICY】
日々の気づきや、母として支援者として感じたことを音声でお話ししています。
▶️ VOICYはこちら

 

📸【Instagram】
思春期の子育てに励むママさんへメッセージを届けています。
▶️ Instagramはこちら

 

🌿X(旧Twitter)でも日々のつぶやきを更新中。
▶️ Xはこちら