こんにちは!
シーサイドリアルエステート神田です!
福岡は台風8号の影響は少なく、よかったです。お家の窓ガラスが割れないように養生していたので、片付けの方が大変でした。
さて、いよいよ明日ですね!
W杯の決勝ではありませんよ!
「官兵衛」です。
日曜の20時 大河ドラマで現在放送中の「官兵衛」は、福岡藩の藩祖で、息子の黒田長政が福岡藩の初代藩主ですね。
毎週放送されているのに、何がいよいよ明日なのかというと、
明日の放送で、信長が死去した「本能寺の変」が放送されます。
信長の家来だった秀吉が、信長の死を知って泣き崩れている所に、官兵衛が言います。
「これは、天下を取る好機です」と。
秀吉に仕えていた官兵衛にとっても、信長は主君になりますからその主君が死んで好機と考えるのは、非常識ですよね。
ですが、官兵衛は秀吉の天下をその時感じ取ったんです。
でも、悪いですね~!
今回の大河ドラマの「官兵衛」 放送当初の官兵衛は好青年で描かれていましたが、信長を裏切った荒木村重に、1年間幽閉されて、官兵衛の家来に助け出された頃から、少しずつ「悪い官兵衛」が出てきています。
「官兵衛」演じるV6の岡田准一さんもこの頃から少しずつ演じ方を変えたとおっしゃっています。
官兵衛は戦国時代最強の軍師と言われていて、秀吉もその才能を恐れていたと言われています。
秀吉が死に、家康が天下を取った際、既に官兵衛は隠居し、息子の長政が家督を継いでいました。関ヶ原の戦いで東軍が勝ち、手柄を立てた長政が官兵衛にむかって、「家康公は我が手を取って、頭に押しいただき、『この勝利はひとえに御辺のおかげでござる』と申されました」と得意気に報告した。
その長政に、官兵衛は、「家康公が押しいただいた手は右か左か」と聞き返したという。
不思議な問いにまごつきながら、長政が「右手でありました」と答えると、官兵衛は「その時、おまえの左手は何をしていたのか」。と言った。
長政は思わず絶句した。空いているほうの手で家康を刺し殺すことができたのではないのか、という意味だったからだそうです。
官兵衛も天下を狙っていた事が分かる出来事です。
歴史は見方によって変わりますが、信長が死去した、「本能寺の変」も官兵衛が仕組んだんじゃないかとか、秀吉が仕組んだんじゃないかとか、いろいろ説はあるようです。
信長の死体も見つかっていないというのもミステリーですからね!
信長が死んだ時、官兵衛は35~36歳。今の私と年が近いというのも私が官兵衛にはまっている理由です。
まだまだ、書きたい事がありますが、次の機会にしたいと思います!
いよいよ明日!
楽しみです!
