※Xから拾いました。

 

 なんでもそうなのかもしれませんが、何かにこだわり続けるのは、好きという範疇を超えて、その人自身に原因があると思う。

 

 例えば、「聴衆の前で歌を歌い続ける。」ということは、その人に何かしらの強い動機があるわけで、それは金銭を得るためが目的ではない。

 

 そうしなければ、我慢できない何かがあるわけで、自分も歌を練習し続けるには理由があった。

 

 最近は、歌をうまく歌えるようになることが目的になっていて、それが世の中の当然の摂理だと思っていたが、最初に始めたきっかけを思い出して、初心に立ち返ろうと思った。

 

 世の中の摂理と自分の動機が、ぴったりと合っていれば世の中に受け入れられるのだろうけど。

 

 しかし大事なのは自分自身であって、世の中は後回しである。

 

 少なくとも、金銭を得るために始めたのではないから、自分を大事にしたほうが良い。

 

 それはそれとして、先生から発声方法を必死に教えていただいているのですが、習得することは、なかなかに難しい。

 

 ちょっと必死になり過ぎて、趣味というよりも、訓練とか鍛錬といったものに近く、冒頭のイラストのように孤独と戦いながら訓練を続けている。

 

 日常では、通勤路で人が周囲にいないことを確認しつつ、腹式発声の練習である。

 

 田んぼ道なので、人が少なくて助かります・・・。

 

 舞台ショーとは裏腹に、音楽家という者は、孤独な練習が続くものだと思いました。

 

 歌手の方が、満面の笑顔で歌っていますが、孤独から解放されることへの喜びもあるのではないでしょうか。

 

 ドラムの練習は、週一、貸しスタジオで一時間しかやっていないのですが、受付のお兄さんが、いつもギターの練習をしていて、孤独のなかでギターと向き合っている姿に絶望的に感じたり、この人にとっては、それが幸せなんだろうと思ったりもします。

 

 天才的なバスケット選手とかいるそうですが、大抵の人は、不断の努力を積み重ねていて、覚悟と動機があるのだろうと思います。

 

 しかし、それを努力と思っていない人たちが、活躍するのですが・・・。

 

 

 まあ、でも、日本に生まれて、努力できる何かがあること、努力できることが、運が良いのだと思います。