今週も精神的な混乱の中ある状況の中で、じりじりと実感していることを綴っていきたいと思います。

 

 「発した言葉は戻ることがない。」

 

と、一般では言われておりますが、最近、自分の発する言葉に、周囲の人が、あまりにも慎重に聞くようになったので、こちらも、あまり下手なことは言えなくなったと思うようになりました。

 

 若いころは、あまり深く考えなかったし、そうなる場面は、「対外的な人」、「ちょっと危険な人」に対して、そういった態度をとっていたのですが、年を取ったから迂闊なことを言えなくなったのか、立場がそうさせているのか、若いころのように自然とコントロールが出来なくなったのか、ともかくヒヤヒヤしながら、慎重に言葉を選ぶようになりました。

 

 しかし、世の中には世渡り上手な人もいて、この「言葉」を巧みに操って、他人をコントロールする方も沢山いらっしゃいます。

 

 それが意図的であれ、無意識にやっていることでさえ。

 

 マインドコントロール、宗教、投資詐欺、上下の主従など、その形は様々であります。

 

 「言葉を操る者は、言葉に縛られる。」とも言いますが、人の世界というものは、とても不思議なものだと思います。

 

 このブログに時々登場しているYさんという方ですが、自分の不満や不安が、他人への言葉になって吐き出してしまい、当人は正義の味方のように振舞っていますが、初めて会った瞬間から陰口を通してさえ、一瞬で嫌われてしまいました。

 

 いくら頭が良くて経験があったとしても、本人が不幸な限り、発する言葉が他人を不幸にしたり、会社という枠組みの中ですら、他人の精神を破壊していきます。

 

 よく政治家が、「失言でした。撤回します。」などと、しぶしぶ言っていますが、「うっかり本音を言ってしまいました。なかったことにしてください。周りから文句を言われたので、“一応”謝っておきます。すみません。」と、言っているのがバレバレで、それでも生き残っている人がいるので、意外と世の中は変わりにくいものだと思ったりもします。

 

 そうは言っても、あんまり深く考えすぎていても、他人や世の中が簡単に変わるはずもなく、そんな複雑な世の中で、自分がどうあるべきか、生き抜いていくか、覚悟しておかなければなりません。

 

 ちょっと、大袈裟さかもしれませんが、自分は、そんな立場や年齢になったのだと、しばらく孤高な闘いが続きそうです。