やっと、一音下げて歌えるようになりました・・・。

中学生の時、最初に、はまったアニメなんですが、

この主題歌を歌っている時は、

今でも夢の中にいる気分になります。

他人からしてみれば、変な事なのかもしれないけれども、

でも、それって歌手として大切なことじゃないのかしら・・・

 

 なんつーか、時が経つのは早いなあ・・・

 

 去年の6月に始めたボイトレも、あっという間に7か月も経ってしまったが、目覚ましい上達もないが、さりとて全く上達しなかったかというわけでもない。

 

 2週間に一回のボイトレと、毎週のカラオケと、日常的に隙間時間の発声練習。

 

 この日常的な隙間時間の発声練習が、だんだんと取れなくなってきて苦労している。

 

 以前は、現場で歩いている時に、誰も聞こえない(重機の音がうるさくて周りに聞こえない)ところで高音ハミングしていたのだが、ここ数か月は、業務上の問題が多発していて、とてもじゃないが、そちらに神経を振り向けることが出来ない。

 

 つくづく大学生や高校生は、好きな時間が取れるから、うらやましいなぁ・・・と思う次第。

 

 しかし、ここでレッスンを止めてしまえば、それまでなので、少しずつでも上達するのならばと続けている。

 

 ネガティブな言い方になってしまったが、「やめるわけにはいかない。」と言うか、「やめるわけがない。」というか、「やらざるを得ない。」と言うか、今のところ、なんとか人前で歌えるようになりたいというか、よくよく考えてみたら誰に言われたわけでもないが、じゃあ、誰が言っているの?と考えてみると、自分以外の何者でもなく、自分自身との約束みたいなもんで、とある漫画で、『走りたい奴は、それなりの理由があるのさ。』と言っていたセリフを思い出したりしている。

 

 んで、今は、声帯を縦に伸ばす訓練を、ひたすら教えてもらっている。

 

 これは、高音が出せるようになる技術と、首を絞めつけない訓練が同時進行になっている。

 

 『声は、1cmも前に出してはいけない。』

 

 『丹田と背中と内部の筋肉を使って息を通す。』

 

 などなど、そのほかにも注意点があるが、なかなか、声帯上手く息を当てて声を出すと言う使い方が分からない。

 

 きっと、初めて口笛を吹けたときのような感覚なのだろうと予想をしているのだけれども、出来たり出来なかったりで、なかなかコントロールが出来ません。

 

 まあ、少しずつ出来るように慣れるしかありませんよね。

 

 生体科学的に言うと、声帯周りの筋肉を上手くコントロールできるように、脳のシナプスが形成されるまで頑張るということだろうか。

 

 うーん・・・・声帯がピリピリして痛いです。

 

 息の当て過ぎだそうです。

 

 皆さん気を付けましょう。

 

 

 ところで、自分が通っている格安スタジオに行くと、待合室に大抵バンドマンがいて、小さな打ち合わせをしている。

 

 今日は、以前録音したデータが、無くなったとか、どーとかあったとか言っていた。

 

 そんな場所に、自分のような、ただのおっさんが、ポツンと座っていて、普通なら変なことなのだが、妙に馴染んだ振りして座っているのもおかしなものだ。

 

 まあ、バンドの方達も、良い歳した人が多いんですけどね・・・

 

  

 しかし、世の中には歌の上手い人が腐るほどいて、年末の特番で、歌真似選手権をやっていたけれども、ユーチューブを見てみれば、そんな人は、ゴロゴロしている。

 

 じゃあ、歌真似が上手いから世間の認知度が高まるかと言えば、そんなことはなくて、〝ただの上手い人〟となって、名前すら覚えてもらえない。

 

 どんなに上手くても、オリジナルになれないのであり、オリジナルの人の魂とかゴーストみたいなものまでは表現できず、やっぱりオリジナルの人は偉大だな・・・と思うし、そういった人達の動機みたいなものが大事なんだろうな・・・と思う。

 

 例えば桑田佳祐の歌い方は、ヘンテコなんだけれども、そういう表現の仕方を御本人さんが生み出していて、エンターテインメントとして、しっかり成立している。

 

 まあ、講釈垂れるなら誰でもできますね・・・

 

 

 で、自分を振り返ってみると、あんたは何がしたいんじゃい。と問われると、〝週末になると、駅前でアニソンを歌っている変なおっさん。でもよく聞いてみると上手いよね。〟みたいなものになりたいなあ・・・とぼんやり感じている。

 

 人前で歌える日はいつになるのか・・・。

 

 今年の夏を目指してるんだけども、厳しくなってきたかな・・・。