新聞を読まなくなってから、もう何年たっただろうか。
最初は、数紙読んでから、政治色の強い新聞では、何も分からないと分かった。
次は、誰にでも分かるような新聞を読んで、テレビのニュースと何も変わらないと分かった。
次は、経済新聞を読んで、経済のことは何も分からないと分かった。
合わせて政治、経済雑誌を読んでみたが、ある一面を瞬間的に切り取っているだけで、それ以上のことは分からなかった。
次は地方紙を読んで生活感溢れて、身近な事が分かって良いと思ったが、それきりになった。
専門的な新聞も読んでみたが、役に立つような情報は見つからなかった。
政治経済系の動画をたくさんみてみたが、世の中の断片を少し垣間見たような気がした。
世の中を知りたくて非常に多くの情報を見てきたが、結局最後に判断するのは自分自身であり、どのように取捨選択するのか自分自身に掛かっている。
そして、自分の影響が与えられる領域は、手の届く範囲に限られており、それ以上のことを変えるには、自分ひとりではどうすることもできず、多くの人のエネルギーが必要だということが分かった。
しかし、多くの情報を知らなければ、自分がどうしたほうが良いのかも分からない。
ごみを路上に捨ててはいけないという理由も分からないだろう。
また、戦争が起きている理由が分からなければ、世の中に流されていくだけだろう。
「知っている人」と、「知らない人」の世界は、全く違っている。
それが大きなことであれ、小さなことであれ、同じことだ。
最近あったことと言えば、60代のシニア社員が、昔の若かりし時代の情報のまま、仕事場で喚き散らしていたことだ。
「知っている人」から「知らない人」を見ると、これほど滑稽で迷惑なことはない。
しかし、新しい情報が正しいのか、誤っているのか、それも自身で判断したり、周囲と協議を重ねる必要がある。
世の中に〝絶対はない〟と言われるけれども、何かの判断と決断をしていかなければならないだろう。
なんにせよ、自分の身の回りから良くしていくことが、なにより簡単なことで大事だと分かった。
世の中を生きていくことは、単純で難しいことだな。と思います。