ろしごころ〜境界性パーソナリティ障害とマンジャロダイエット

ろしごころ〜境界性パーソナリティ障害とマンジャロダイエット

境界性パーソナリティ障害の40代主婦のブログ。夫と猫2匹。日々の体調や薬の話、あとは日常や徒然です。
2025/11/18、168cm、89kgからダイエット再開。目標57kg。マンジャロで30kg痩せれるのか。

頭の整理のために書きます

考えるがままに書くので、文章がまとまらないと思いますが

それでもよろしければお付き合いください





先ほどの記事の続きです


僧侶たちは執着を手放すために苦行を続けます


苦しむことをあえて続けるのです


苦しみに耐えて耐えて耐えた先に

悟りがあるのか?


人は自分が経験したことでなければ理解できないから

だから理解するために修行という苦しい経験をするのだと思うのですが


毎日体調不良で苦しんでいる私にとって

私の人生は修行と言っても良いと思ったんです


心を雑に扱われ続けた30年

周囲の人からも、病気からもです


私の苦しみ続けているこの修行のような人生をなぞって行った時に

苦しみに耐えるということは

単に苦しいだけでした


じゃあ修行って結局苦しんでるだけなんじゃ。。


そこで思ったのが

修行って苦しんでることから学ぶことですよね


しかし、私の30年間の苦しみに

そこに深い思慮のようなものはなかったです


この苦しみによって私は何か得られるものがあるのか

なんて考えながら耐えていたわけではありませんでした


そうなれば私の人生が修行だったかというと言い過ぎな気がしてきました


修行とは苦行を重ねた上で

それについて思慮することだからです


そう考えると

私の修行は半年前に始まっていたように思います


カウンセラーさんの言葉を誤って理解してしまったがために

自分を全否定し

自責や自己否定の毎日を送る中で

何をしたら自分は正解なのか

どんな振る舞いが適切なコミュニケーションなのか

考え続けた日々でした



先日のカウンセリングで

それが必要のない迷いだったと判明し

それから自責と自己否定はさっぱりなくなったのでありますが


その迷い、思考に明け暮れていた日々は

私を知識欲への駆り立てに繋げてくれました


無駄ではなかったなと思います



さて、なぜ自分のそんな話になったかと言うと

苦行が悟りを促すのかという疑問について


別に悟ったわけではないですが

半年ですが苦行と思考を繰り返して、私は


「人生が苦楽の繰り返し」

ということにたどり着いたんですよね


もちろん色々な方の情報があったからですし

そんなこと考えなくても分かってるよって言う人がいるのも分かります


ただ私には

苦しみに耐える経験とそれを深く思慮することを経ないとここまで腑に落ちなかったということです


人生とはなんぞや

みたいな問いに対して

自分なりの納得いく答えでした



人生は苦楽の繰り返しであり

苦も楽も長い人生においてひとつの出来事に過ぎず

その出来事がまるで自らの人生そのもののように感じることがあっても

その闇の中でそれがひとつの小さな闇であることに気付き

闇の中でも光を求めて歩いていくこと


光の中にある時は

その光が決して永遠のものであると思ってはならず

そのささやかな幸せを大切に扱い

決して傲慢にならず

多くを求めないこと



なんか大そうなこと言ってるように書いてますし

こんなこととっくにみなさんなら分かってると思うんですけど


まぁこれは私の覚書のようなものですので

その辺のモヤモヤはスルーしてくださると💦


それにこう思ったからと言って

思ったことをちゃんと実践できるかは別です


とにかく

修行が自己の精神を高めてくれることを

実感したわたしであります



まだまだ精神的に未熟なのも悔しいし

早く成熟した大人になりたいです


焦っていますが

焦らずに着実に進めていこうとは思ってはいます



そんなことを考えていたらこんな時間になってしまいました


暇な主婦の盛大なつぶやきでしたw