こんな恋のかたち ~ハノイでの日々 -10ページ目

こんな恋のかたち ~ハノイでの日々

日本、イギリス、マレーシア、20年ぶりの日本、そしてべトナムと思いもよらぬ展開で人生に流されてきた僕がXuanと出会ったのは2011年3月だった。年の差、国籍の違い、不治の病に出生の秘密とこれからもいろいろと大変だ!

2006年のバレンタインデーにカードとネックレスを贈って、


ひと仕事したような気分であったが、そこからは進展がない


YesともNoとも反応が...


それでも、彼女のバイトの後に一緒に食事に行ったり、映画を見に行ったり


その内に、ほぼ毎日カーブ(Mizukiのバイト先)から彼女の住んでいるマンションへ


車で送ったりとデートっぽいことはしてたかなあ


学校への送り迎えもするようにもなり、


さすがに30キロ離れたところからは厳しいので


半年後の9月からは僕も彼女の住んでいるマンションの隣のブロックに引越し


その時は彼女もIKEAで家具を選んでくれたりしたのだけども


YesともNoとも反応が...


なんで自分がこんな『赤いスイトピー』状態なのか、信じられない


けれども、彼女は僕のことを「Uncle」(おじさん)と呼ぶようになり


そう、そういえばあのバレンタインの後、彼女に誕生日を聞いてみた


彼女がバイト中のカフェでだったと思う


生まれた年が1988年、「なーんだKozueと同じ学年かあ...えっ?!」


彼女が18歳になったばかりと知り、


「うーん、若すぎるでしょう?」と少し悩んだ


そういえば、彼女は大人びて見えるけれども、結構子供でもある


複雑な家庭環境の中で、変に大人びてしまったところと


成長しきれていない所があり、そこにギャップが生じていたのだ


当時の彼女は今よりも遥かに情緒不安定で喘息がひどく


友達もいない、独りで映画を観て、独りで食事をする孤独な


生活をしていた


資産家の父親のおかげで生活は楽だったし、おじさん(母方の兄)が


マレーシアに住んでいたので、身よりはいたけれども、孤独だった


僕が引っ越した頃に、そのおじさん一家がオーストラリアへ移住


タイミングよく僕は彼女の保護者になっていたのかな


それからまた半年後、彼女が僕のマンションに引越しをする


クーラーの付いている僕の部屋を明け渡し、


僕はそれから扇風機の生活になった


それでも彼女との関係は変化が無く、さらに親子の様な雰囲気になっていく


彼女が求めていた、お父さんの役を


いつの間にか引き受けてしまっていた...


まあ、こんな恋のかたちもあるのかなぁ

今朝1時半ごろ、ウサギMizukiから電話があった。


すこし興奮気味の彼女は


「運転していたら後ろから追突された、暗いし、怖いので、


そのまま運転をして家に向っている」


とのこと。


夜の1時にカジャン(クアラルンプールから21キロ南方にある町)からの運転は


女の子独りでは危険だ。


この頃増加しているのが、当て強盗。交通事故を装って、ワザと車をぶつけ、


強盗に及ぶ手口。その場合、現金目当て、車目当てとあるが、


強姦されたり、殺害されたりもするので、非常に怖い


そのまま、運転をした彼女の判断は正しかったが、夜中の独り運転は間違った


判断だった。大学がカジャン近くにあり、クラスメートの住んでいる地域なので


行くのは仕方が無いけれども、夜の独り運転はしないでほしい


ウサギもうしないと約束する」と彼女のこの手の約束が増えているのが気になるが...


また、修理かぁ。面倒なのは保険を使うかどうか。


当て逃げした車は、どこの誰だか分からないので、第三者保険は使えず


自信の保険になるけれども、その場合は警察へ事故の届出をしないといけない


カジャンまで戻らないといけないのである、(面倒だ)


先ずはボルボの修理工に行って、費用の査定をしてもらい、


その金額によって、保険をクレームするかを考えよう


保険料へのノークレーム割引の方が多い場合は、クレームしないほうが



お得になるからだ。


それに、警察へのレポートもかなり面倒なので... 言葉(マレー語)の分からない


外国人が、カジャンの田舎の警察でレポートをするのは、大変な労力が必要だ


とここで最新ニュース


なじみの修理工によると、修理費用は2000ドルほどだそうだ、


まあ、今回も保険をクレームしないほうが良さそうだ


彼女の試験も明日だし、現状でも安全に運転できるのであれば、


修理は明後日以降でもいい


何よりも彼女が無事で良かった

2006年2月14日、馬Aliciaに付き添ってもらって、KLのIsetanで買い物をした。


ウサギMizukiに渡すプレゼントとバレンタインデーのカードを探した。


オバケSharonの失踪以来、「早く忘れた方がいい」とアドバイスをしていた馬Alicia


積極的に買い物に付き合ってくれた。


イタリア製のハートのネックレスドキドキとカードを持って、The Curveにある


Winter Warmers(WW)に行く。夕方6時ごろで窓際の席に座る。


ウサギMizukiはいた。休みかもしれないと思ったが、いつものように青いシャツと


黒いジーンズ姿でウェイトレスの仕事をしていた。


今まで、こんな出会い方は無かった僕は緊張していた。


これまで好きになった人は、クラスメートや同僚、友達の紹介で知り合った。


夜になる前に、プレゼントを渡したかった。


その日はバレンタインデー、お店の客はカップルばかりになることが予想された。


そこにぼくが独りで座っていても、変だ。シラー


ウサギMizukiが近くに来た時に、カバンからカードとネックレスの入った箱を取り出して


渡そうとした。


彼女はにっこりとして、「ありがとう」と言ってから


ウサギでも、受け取れないあせる」と答えた


わんわん「どうして?汗」と聞くと


ウサギ「今、仕事中だから、お客さんから物はもらえないの、今はボスが来てるし」


わんわん「あ、そうか、じゃあ、後で連絡するから休憩の時間に渡せる?」


ウサギ「んー今日は忙しいから、駄目だと思う」


わんわん「じゃあ、明日は?」


ウサギ「明日なら大丈夫かも。」


わんわん「分かった、明日は何時ごろに(仕事に)来るの?」


ウサギ「6時から」


そんな会話の後、一度取り出したプレゼントとカードをカバンに引っ込める


周りはなんとなく気づいているから、結構恥ずかしかった


勝負は翌日に延期となった



日本を一歩出ると、「バレンタインデーに女子から告白のチョコレート」は常識では無くなる。男から花束やプレゼントをするのが当たり前となるので、海外に出たばかりの男子は注意が必要。僕は19年前に当時の彼女Juliet(中華系マレーシア人)にバレンタインの日に何もしないでいた(というか待っていた)ら彼女が部屋で泣いていた(と彼女の友達から伝えられた)という痛い経験から学びました。



2月15日、夕方6時前に前日と同じテーブルに着く。リベンジだ。アップ


ウサギMizukiはまだ来ていない様だった。


数分後、黄色いトップを来た彼女が来た。


笑顔で挨拶を交わし、彼女は奥のキッチンへ入っていった


と思ったらすぐに出てきて、僕の席までスタスタと歩いてきた


ウサギ「私に渡したいものは?」と笑顔でいる


(えっ、そんな急に)と思いながらも、イソイソとカバンから


小さな箱とカードを取り出して、渡す


ウサギ「ありがとう」と言って、また彼女は奥へ引っ込んでいった


この日から「我が闘争」**は始まった!?



**あの日から3年半経った今現在、決着のつかない、長い長い戦いの日々である叫び