ワーホリの仕事探しって上手くいく人と上手くいかない人がいますよね。良い仕事をゲットしてしまう人がいる一方で、「なんでこんなクソみたいな職場で働かなきゃならんのじゃ」と悔しい思いをしながら働いている人もいるかと思います。
僕が思うに、仕事探しが上手くいくために必要な要素は大きくわけて2つあると思うんですね。それは実力と運。実力は詳しく説明するまでもないですよね。例えばプログラミングの仕事の求人に対して、プログラミングどころかまともにパソコンの基本操作も全くわからない人だったら、受かるわけがないでしょう。IELTS7.0ぐらいのレベルの英語力が求められるような環境があったとして、3.5ぐらいのスコアの人が入っていけるかというと、まず無理です。これらは線引きがけっこうわかりやすいです。求められている実力を持っているかいないかの二者択一で答えが導けるわけですから。
実力があるからいい仕事をゲットできた、なかったからできなかったというのはわかりやすくていいのですが、その一方で、あんまり実力とか関係ないんじゃないかな~、これって実力っていうより運がよかったおかげで良い仕事ゲットできたんじゃないかな~と思えるような例もありますよね。例えば僕がメルボルンでジャパレスを辞めた後でゲットしたカフェのキッチンハンドの仕事とかなんかそうだと思います。
本編でも書きましたけど、このカフェの仕事、レジュメ配りをして電話がかかってきたから「面接かな」と思って行ったのに、「じゃあスタッフルームで着替えてキッチンに来て」といきなり言われ、即勤務開始でした。で、その日の勤務が終わるとキッチンスタッフのチーフから「この条件でどう?」と労働条件を提示され、僕は即OKしてここでの採用が決まったわけです。ではこのカフェはいつもこんな緩~い従業員の採用の仕方をしているのかというと、どうやらそうではないようでした。
ある日、このカフェで仕事している最中にマネージャーのポールが見かけない人と2人で座って話しているのを何度か見かけましたが、会話の内容からして採用面接をしていたみたいです。やっぱりこのカフェにもあったんですね、面接(当たり前だけど)。他にも、僕がここで働き始めてしばらくしてから、何人かがトライアルで入ってきたのですが、その内の若干名は採用されましたが、残りは不採用という事で、二度とこのカフェに来る事はありませんでした。
面接やトライアルで落とされた人がいた一方で、僕はそのどちらも経験せずにいきなり勤務開始させてもらえました。なぜそんな事になったのかというと、別に僕がキッチンハンドとして有能だったからではなく、単純に運が良かっただけです。キッチンハンドとしての職歴が長かったわけでもないですし。ていうかむしろ1週間強という、職歴と呼ぶのもおこがましいようなレベルの期間でジャパレスで働いた事があっただけでした。まあ、その1週間強という期間が8月末~9月始めであったこともあり、「August-September 2014 キッチンハンド経験有」と履歴書には書いたので、パッと見2か月働いたように見えなくもなかったとは思いますが、それにしても経験豊富とはとてもいえないレベルである事に変わりはありません。思えば、たぶん僕がこのカフェにレジュメを持って突撃したあの時は、ちょうど相当人手が足りてなくて困っていたんでしょうね。あまりに忙しすぎるから、面接もトライアルもやってる暇なんかない。ちょうど人員が余分に欲しいと思ってた時にレジュメ持ってきた奴が1人来たから、とりあえずこいつに来てもらうか、てな感じだったのでしょう。タイミングが良かったと、運が良かったと。
ただ、こういう運って、いつ自分に舞い降りてくれるのかわかんないものですけど、個人的には全くもってコントロール不能なわけでもなく、ある程度は自分の力で呼び寄せられるものではないかな~と思ってます。いや、何も怪しげなカルト的おまじないをするとかそういう事ではなく、理論的に考えて、です。
今回の僕のケースの場合、このカフェに巡り合えたという事自体は運以外の何物でもないのですが、そのラッキーが僕の手に転がり込むまでに、僕が自分で意図的にやっていた事があります。それは「ダメな職場だと判断したらさっさとそこは見切りをつけて切り捨てる」という事です。電力系のセールス会社はチンピラがボスだったのが気に入らなかったから2週間で辞めたし、スネ夫ちゃまのジャパレスだってさっさと見切りをつけました。
とはいえ、ダメな職場を切り捨てて他を探したとしても、それで新しい良い職場が見つかるかどうかはわかりません。見つかる可能性は30%かもしれないし、5%かもしれません。でも確実に言えるのは、いつまでもダメな現状にしがみついていたら、現状よりも恵まれた新しい環境は絶対に手に入らないという事です。可能性0%。それを考えたら、30%だろうが5%だろうが0%よりはマシであると。「運をよくする」とはそういう意味で言っております。
そういえばレンマークでファームの仕事をしていた時、僕の周りにはロクに稼げないしボスの人柄も悪いという、いわゆるクソファームに当たってしまったという人が何人かいました(例のベトナム人経営のファーム以外にもしょーもないファームはいくつかあるみたいです)。こういった人たちを見ていて思ったのは、ここレンマークでのファーム生活が充実したものになるか暗い日々を過ごすだけのものになるのかは、このようなダメなファームに当たってしまった時の対応に大きく左右されているという事でした。やっぱり見切りをつけるのが早い子たちは、「あ、ここダメだ」と思ったら大体1~3日ぐらいで辞めていました。次に来た仕事もダメなやつだったらそこでも粘らない。切り捨てる。そうやっていい仕事に巡り合えるまでチャンスを待っていたのですね。一方で、収入が途絶えるのが怖い、セカンドビザ申請に必要な労働日数が期日までに集められなくなるのが怖い、次に仕事がゲットできるのかどうかわからなくて怖いなどの理由で、今の職場がどれだけ酷い所であろうとひたすらそこにしがみつき続ける人もいました。そういう人たちは大概にして毎日愚痴を言ってばかりで、他に何もしていませんでした。陰で愚痴なんか言ってたって、実際に何か行動しなきゃ環境は変わるわけないのにねぇ。
では少しでも嫌な思いをしたらすぐに仕事をホッポリ出して辞めればいいのかというと、それはそれで違うと思います。むしろ、あまり感情的になりすぎて、その勢いだけで辞めてしまうと、場合によっては後になって「ああ、やっぱり我慢してあの職場にいればよかった」などと後悔する事だってあるでしょう。ではその辺の判断ってどうしたらいいんでしょうね?
僕の考えでは、仕事をゲットして入ってみた職場が気に入らなかった場合、そこで我慢して頑張った方がいいのか見切りをつけた方がいいのかを決めるには、自分の置かれた現状の分析と、リスク査定の2つが必要になってくると思います。
例えば嫌な上司がいた場合の状況分析。まず焦点になるのは、その上司が嫌な上司ではあるけれど自分のためになる指導をしてくれている人なのか、それともただ単に理不尽で嫌な奴なのかという事です。厳しい上司は嫌だと思う人は少なくないでしょう。でもその厳しさに理不尽さがなければ、耐え難い苦痛であるとは必ずしも言い切れないので、我慢して頑張ったらその分自分も成長できるかもしれないし、良い事もあるかもしれません。一方で、理不尽なだけの上司もいます。どういう時に理不尽だと言えるのかというと、例えば自分の努力で改善できる範囲の外の事に対して嫌味を言って来たり、言動に一貫性がない場合等でしょう。本編に出てきたクソジャパレスのスネ夫ちゃまは前者の(酷いバージョンの)典型例でした。
上司が単なる理不尽で嫌な奴だと確認できた場合、そこで我慢して頑張るか見切りをつけるかを決める事になるのですが、ここでリスク査定をします。スネ夫ちゃまのクソジャパレスの場合、スネ夫ちゃまは本当に人間的にダメな奴で、尚且つ賃金も法律で定められた最低賃金の半分しかもらえず、まさにこんな所にいても特に得るものはないなという場所でした。この様に、嫌な思いをさせられていて尚且つ得るものも失うものも見当たらないような場所であれば、ここにいつまでもしがみついていることで生じるリスク(時間を無駄にしている、他の場所ではもっと稼げるはずなのに低賃金で働かされていて収入面でも損している等)と、ここを辞める事で生じるリスク(次にいい仕事が見つかるかどうかわからない)を比べてみて、そのどちらが大きいかといえば、現状にしがみついている事で生じるリスク、つまり行動を起こさずにじっとしている事のリスクの方が大きいと判断したわけです。
逆に、ただ理不尽な上司がいても辞めない方がいいであろう場合ももちろんあります。僕がジャパレスを辞めた後でキッチンハンドの仕事をゲットしたカフェは、基本的に同僚は親切だったのですが、良い人しかいなかったわけではありません。本編でも書きましたが、この職場にはネパール人が3人いて、その内2人は親切な人だったのですが、もう1人はスネ夫ちゃまほどではないものの嫌味ったらしい奴でした。他にもスリランカ人が1人いて、そいつもなかなか嫌な態度の奴でした。では辞めようかという事になるかというと、なりませんでした。単純に言えばなんだかんだで全体的には良い職場だったの一言に尽きるのですが、ここでもスネ夫ちゃまのジャパレスの例のようにリスク査定をしてみます。まず辞めた場合のリスクですが、ここと同じぐらい時給がよくて、通勤距離が近くて、バランスがとれた労働時間が確保できていて、同僚に良い人の割合が多い所がまた見つかるのだろうかというのがあります。一方で、ここにとどまっていた場合に発生するリスクといえば、せいぜいこの嫌な2人のどちらかと同じシフトに入った時に多少不愉快な思いをしながら仕事をしなければならない程度の事です。もっとも、このカフェに関しては、そもそもファーム探しのためにメルボルンを離れる時まで「辞めよう」という気持ちそのものがあまり湧いてこなかったので、ここで雇われている間はリスク査定をする必要性も感じませんでしたが。
このどういう時に現状維持でどういう時に環境チェンジに踏み切るか論って、なんか「安定」を求めるか「冒険」をするか論と少々重なる所もあるような気がしますね。巷では大学卒業してすぐ正社員になれた奴は勝ち組で、そうでない連中は負け組だとか言ったりするような風潮があったりします。でも、これも考え方次第だと思いますね~。確かに正規雇用の人たちは非正規と比べてそう簡単にクビにはならないし、給料も良いし、その他福利厚生も手厚くなっています。でもその反面、よくある例として、正規雇用の人たちはこれでもかというぐらいに長時間労働に従事されられていたりする事がよくあるんですよねぇ。だって、給料が時給払いではないから非正規と比べて残業させやすいですもん。たしかに制度上は老後の年金とかも安心度が高そうな感じかもしれないけど、せっかく正社員になれても、定年退職するより前にうつ病になったり体ぶっ壊れて入院とかしたり、はたまた自殺や過労死しちゃったら元も子もないんじゃないですかって疑問もあります。実際、僕の前職でも、過去に過労で体を壊して入院された方が何名かいらっしゃいました。倒れた人の中には、文字通り勤務中にいきなり「バターン!」と大きな音を立ててぶっ倒れて気を失ってしまった人もいました。精神疾患にかかって休職状態が続き、ついに戻ってこられずそのまま退職された方もいます。一方で、正規雇用のような働き方をせずに「普通の会社勤め」以外の何か変わった挑戦をしている場合、正規雇用の人ほど身分保障はされてはいないだろうけれど、ある程度自分の好きなように人生を組み立てられるという自由度があるように思います。「安定」のために体や心がぶっ壊れるほど働かされる健康面でのリスクと、「冒険」をするが故についてまわる社会的リスク・経済的リスク。どちらをより大きな脅威だと感じるのかは人それぞれなのでしょうね。
あ、そうそう。なんか唐突に「運」の話に戻りますけど、「運をよくする」ためにはいろんな所に「種をまいておく」のもよいと思いますね。本編にも書きましたが、あの良い職場環境のカフェの仕事をゲットできたのは、そもそもそのカフェがある道に沿ってレジュメ配りをしていたからなのですが、この道をどうやって見つけたのかというと、スウェーデン語の話し相手を求めてスウェーデン人コミュニティを探していたらスウェーデン教会が見つかったから、そこに行くためのルートを調べていたらたまたまそのルート上にこのカフェもあったという事だったんですね。なので、遡って考えてみれば、スウェーデン教会に行かなければこの道にはこなかったし、スウェーデン語を勉強してなければスウェーデン人コミュニティなども探していませんでした。なのでかなり結果論な事を言ってしまうと、スウェーデン語を勉強していなければおそらくこのカフェとは縁がなかったという事も言えてしまいます。他にも最初は全然違う目的で始めていた事が、後になって全然違う形で実になるという事はけっこうよくあると思います。まぁ何もそういう打算的な考えを持たずとも、いろんなものを味見してみるってのはシンプルに面白いものではあると思うので、良い事だと思いますね~。以上話があっちやこっちに飛びましたが、運とリスク査定のお話でした~。