さてさて、これまで長々と続いてきた『ショーンのヒーハーな毎日』も、(本編は)これが最終話となります。(まだこの後も番外編があります)レンマークからメルボルンに戻ってきて、1か月の間に友達と再会したりタックスリターンの準備をしたりして、やる事一通り終わったら後は帰国するのみ。2015年6月16日の夜にオーストラリアを出国し、17日の昼ちょっと前ぐらいに日本に無事到着しました。
日本の空港に着いたら早速昼食をとろうという事で、その辺の売店で稲荷ずしとおにぎりとペットボトルのお茶とVC3000のど飴を買ったのですが、これだけ買っても600円台にしかならないという事実を目の当たりにして、日本は何と物価の安い国なのだろうと思ってしまいました。これまで1年間暮らしてきたオーストラリアの物価がいかに高かったかという事ですな。そういえばレンマークで出会ったドイツ人の女の子もオーストラリアの物価はドイツと比べてもかなり高いと言ってました。欧州は全般に物価が高いはずなのに、そこから来た人でも高いと感じるとは、やはりオーストラリアの物価は相当なものなのだなと思います。ほんの20年ぐらい前は、オーストラリアは日本よりかなり賃金も物価も安い国だったのに、今となっては一気に追い越されてしまいましたねぇ。こういう光景を見ると、巷で言われている「失われた20年」の意味が実感できたりしますねぇ。日本って、ここ20年で平均賃金がまともに上がってないんですもんねぇ。毎度毎度名前を出しているAPLaCの管理人のエッセイには、「もし日本がオーストラリアと同じぐらいの経済成長をしていたら、今頃新卒の子の初任給でも月収50~60万ぐらいはいっているはず」とか書かれてました。同じ20年という期間なのに、この差はなんなのでしょうか(涙目)。オーストラリアが優秀(あるいは幸運)なのか、それとも日本がダメ(不運)なのか。
さて、日本に帰ってからはちょくちょく暇を見つけては友達と会い、ささやかに飲み会を開いてお互いのこれまでの出来事を語り合っております。その時にやっぱり一番みんなの食いつきがいいのが、僕のオーストラリアでの最初の職場で出会った中くらいのザンギエフの話です。いやぁ、こんな人いませんよ。キャラが濃すぎる、激しすぎる。どんなトピックであろうとも最終的にはAgree?と聞いてYesと言わせ、「オーライ、ファンタスティック!」という展開につなげるあの剛腕。どんな日でも「覚えておけ、○○な日は良い日だ!」で締めくくる超無理やりなポジティブ思考。今思えばワーホリの初期の段階であんな強烈なキャラの人物に出会ってしまったからこそ、その後オーストラリアでいろんな事が起きてもそれほど動じずに受け止められるようになったのかなと思います。
元々このワーホリは、いずれ北欧で留学するための準備の一環として行ったのでした。日本にいた頃の正規雇用での仕事があまりにも忙しく、北欧留学のために必要な準備を働きながら並行して進める事ができませんでした。だから環境を変えようと。オーストラリアのワーホリに行って、結果的には、お金を払うどころか逆に稼ぎながら英語環境に1年身を置く事ができたし、労働時間的にも無理なく働けたのでスウェーデン語の勉強時間もけっこうとれてスウェーデン語もそれなりに伸びたし、オーストラリアドルでの貯金もできました(8,000ドル強ほどの黒字)。
オーストラリアの銀行は利子がたくさんつくので、オーストラリアで稼いだお金は日本円に戻さずにこのままオーストラリアの口座にしばらく置いておきます。基本的には家賃と食費と月々の携帯料金と交通費にしかお金を使わないカツカツな生活でしたが、やってる本人としては主観的にはけっこう楽しかったです。オーストラリアで働いている間に稼いだお金は1年で2万ドル程度かと思いますが、そんな中でもやりくりをすれば生き延びるだけでなく貯金もできるという事を自身の実際の経験をもって証明できましたし、実際に北欧に行く前のいい予行演習にもなったと思います。
日本に帰国してから早速、オーストラリアの銀行口座を開設する時に入った保険の月々の支払が帰国後も自分の口座から引き落とされ続けるというプチ事件が発生していた事が発覚しました。この保険の有効期間は1年で、帰国するころには失効するだろうと思っていたのですが、どうやら自分から解約する手続きをしなければ自動的に契約が更新される仕組みになっていたらしく、わざわざ日本からオーストラリアのビジネスアワーに合わせて解約のための電話をするはめになりました。(←既に日本でのフルタイムでの仕事を始めていたので時間を合わせにくかった)まぁ帰国してから引き落とされていた分のお金は払い戻してもらえはしましたが。あぁめんごくさかった。
それ以外は特に何もなく、引き続き日本で北欧に行くための準備をできる環境づくりに入りました。職場で英語が使えて、時給はそれなりによく、残業が少なめで、働く期間が1年半~2年ぐらいの派遣の仕事。7~8件ぐらい派遣会社に登録して1か月ほど就活を続けた所で、運よくこの条件にピッタリ合った仕事(製造業で海外販社と英語でメールのやりとりをしたりする仕事)を見つける事ができ、日本でもなかなか安定した環境で北欧留学の準備を進める事ができております。
さぁこれで僕のオーストラリアの旅は終わったわけですが、本当の旅はまだまだこれから。いずれはこの『ヒーハーな毎日』の続編として、北欧編も書きたいですねぇ。