迷惑メールは相変わらずで少しずつ脅迫メールが増えていたが、ロッカーを荒らされるといった実質的な被害はなかった。そのため小夜子は特に気にせず過ごしていた。とはいえ、地方ロケでしばらく東京にいなかったのでその間はどうなっているかはわからないのだが。

東京へは夜遅くについた。蓮の愛車だったために運転は蓮がした。仕事帰りとはいえ、久しぶりのロングドライブに蓮はご満悦だ。アメリカでも運転はしているが、ファミリーカーでドライブそのものを楽しむことはあまりない。小夜子をマンションの前で降ろし、オートロックの中へ入るのを確認して車を走らせた。



玄関のドアを開けようとしていた時だった。小夜子は背中に衝撃を受けた。何かがぶつかってきたと思った次に感じたのは焼けつくような痛みだった。後ろを見ると女が不気味な笑顔で立っている。明らかに様子がおかしい。小夜子は自分の背中に手をあてるとヌメリとした感触がする。やっぱり血よね…とどこか他人事のような感じで妙な笑いが浮かんだ。意識もあるし、立ってもいられる。痛みはヒドイがそんなに深くはないのかもしれない。滅多にできない体験で役者だったら演技に活かせるかもなんて考えるあたり、我ながら冷静なのか逃避しているのか…。


驚くでもなく叫ぶでもなく、不敵な笑みを見せる小夜子に女が焦れた。

「だから、言ったでしょう?蓮にまとわりつくのはやめなさいって。忠告してやったのに、やめないから悪いのよ。蓮が迷惑してるのがわからないの?」

「まとわりつく?忠告?迷惑?」

どれももちろん小夜子に心当たりはない。嫌がらせはこの女だったらしい。理由は蓮。さて、どうしたものか…。とりあえず、病院にはいかないとマズイだろう。そのためにもこの女をどうにかしないといけない。


「蓮の前から消えるんなら、見逃がしてあげるけどどうする?」

ならば逃がしてもらおうと小夜子は口を開いた。

「ほ、ほんとう?」

「えぇ、あなたがもう二度と蓮につきまとわないって約束するならね。」

「も、もちろん、や、約束するわ。」

多少は怯えて聞こえるだろうか。それともどもるのはやり過ぎだろうか。やっぱり、役者の才能はないらしい。それでも小夜子の演技に女は満足そうに微笑んだ。突き抜けている人間はどこか常人とは違うらしい。

「そう、絶対よ。この会話は録音してあるから。」

自分から脅迫や傷害の証拠を残すなんて内心で小夜子はバカじゃないかと思ってしまった。それに自分は常識を超越しておいて他人には約束を求めるのもおかしすぎる。まぁいい、そろそろ限界がきている。

「じゃあ、そういうことで失礼するわ。」


小夜子は玄関に入るとカギをかけた。さすがに気が抜けてズルズルとしゃがみ込む。いや、ただ出血していたせいだったのかもしれない。段々と意識が遠のきそうな中、小夜子はどうにかスマホを取り出した。コールサインをタップすると最後に話したのは社だった。あまり考えずにそのままコールする。何回かの呼び出し音の後で『もしもし』という社の声がした。


「チーフ、すみません…ヘマしちゃいました…。」

「宮津さん?どうした?」

いつもと違って声に張りがないし、聞き取りづらい。

「もしもし?宮津さん?」

小夜子は一生懸命、話そうとするが何をどう説明してよいのか頭が回らない。

「あの、なんか、さされちゃって…」

社は正確に聞き取りはしたが、普通の状況で『刺される』なんてあるわけがない。虫?蜂か?

「ササレルって何に?」

「だから、わたしがさされ、たんです。」

やっぱり小夜子は刺されたと言っている。もしかして相当ヤバイ状況なのだろうか。

「今どこ?」

「いえ、です。」

「病院は?」

「いきたい、けど、ひとり、じゃムリ…。」

その後は社がいくら話しかけても返事がない。社は警察へ連絡した。自分が行くよりも警察の方が早くつくはずだ。

小夜子は駆けつけた警察官によって助けられ、すぐに病院へ運ばれた。小夜子の身内が社にはわからず、病院に向かいながら社長に連絡をいれる。遠縁とはいえ、身内に入るであろう小夜子が事件に巻き込まれたらしいことでかなり慌てていた。しかも連絡をしている社にも状況が全くわからないのだ。


社が病院につくと既に社長はついていてロビーで待っていた。手術というよりは処置レベルで済むと聞いてひとまず安心する。そうそうに警察官につかまり、事情を説明した。

社が病室に顔を出すと小夜子は青白い顔でベッドに横たわっていた。目は硬く閉じられている。その様子に社は社長を振り返った。


「輸血はいらないそうだが、あと少し失血していたら必要だったそうだ。今は貧血状態だから顔色が悪いのは仕方ない。傷は縫合したから大丈夫。まぁ、跡は…残るだろうが…。目を開けないのは麻酔のせいもあるし、精神的ショックのせいもあるだろう。明日には退院だ。とりあえず、俺の家に連れて帰る。」

社に話ながらも社長は小夜子から目を離さなかった。沈痛な表情が心配の程を伺わせる。一通り説明を終えるとギロリと社を睨みつけた。

「で、何か知っているか?」

別に社が刺したわけではないのだから社長に睨まれる筋合いはない。社は社長を睨みかえしながら答えた。

「全くわかりません。俺だって頭にきてるんですよ。」

暗に八つ当たりをされるいわれはないと言い返されて社長も我にかえる。

「あぁ、そうだな。すまない…。」

素直に謝られて、社も自分が随分キツイ言い方だったと反省する。社長は身内なんだから心配も怒りも当然だ。ほんの少し、一緒に仕事をした自分だって犯人を同じ目に合わせてやりたいのに。

「俺の方こそすみません。」

「いや、いいんだ。俺の八つ当たりだから。社もわからないか…。蓮は知ってると思うか?」

「さぁ、どうでしょう?連絡してみますか?」


社はチラリと時計を見た。すでに25時を過ぎている。明日の蓮のスケジュールが浮かんだがそんなことも言ってられないかと連絡をいれる。どちらにしろ警察から事情を聞かれるのだろうから明日より今のほうがいいだろう。

蓮はすぐに病院にやってきた。警察と話し終え、眠っている小夜子を見るといたましげに眉をよせる。

「蓮、何か知っているか?」

「迷惑メールが増えたとは聞いています。あとはわかりません。」

「迷惑メール?見たのか?」

「えぇ、ほとんどは詐欺とかアダルト系のものでしたが、中には脅迫っぽいものもありました。社長か社さんに報告したほうがいいって言ったんですけど、このぐらい大丈夫だからって。続くようなら…」

話しの途中で蓮は社に突き飛ばされた。

「知ってたのに放っておいたのか?」

そのまま殴りかかりそうな社を社長が止めた。

「ここは病室だ。それに、メールと刺した奴が同じとは限らないだろう?」

蓮は立ち上がると、二人とベッドを交互に見ながら言った。

「いえ、俺も悪いんです。彼女の性格を考えれば報告なんてするはずがないのに、そのままにしておいたんですから。」

さっきは社長に八つ当たりはするなと釘をさしておきながら、自分は蓮に八つ当たりだなんて理不尽だといまさらながら思い当たり、社は蓮に謝った。