「こんばんは。」

カラカラと引き戸の開く音に続いて聞こえた馴染みのある声に女将は店じまいの手をとめて振り返った。

「キョーコちゃん、お帰り。そんなところに立ってないで早くお入り。お腹はすいて...。」

女将がいつまでも動かないキョーコを招き入れようと近づいてきて口をつぐんだ。キョーコの後ろに誰かいる。のれんの陰で見えないが男性のようだ。

「誰か一緒なのかい?マネージャーさん?なら、入ってもらいなよ。何かつまみでも...。」

「いえ、そうではなくて...。」

「はじめまして。夜分遅くにご迷惑だとは思ったのですが、失礼を承知でご挨拶に伺いました。」

久遠がキョーコの背をそっと押して中に入る。女将は口をあんぐりと開けて久遠を仰ぎ見た。いつまでも口を開けたままの女将にキョーコは苦笑いがもれる。驚くのも無理はない。キョーコが来ることは告げていたが久遠も一緒とは言っていない。キョーコほどのメルヘン思考の人間は滅多にいないだろうが、それでもほとんどの人が王子様が現れたと思うだろう。


「女将さん、大丈夫ですか?ぜひ、ご紹介したい人がいて連れてきました。」

「...あぁ。大丈夫だよ。とにかく奥へ...。」

人の声に大将が厨房から顔を出し、久遠を見てあからさまに渋面になった。その様子に今度は久遠が内心で『一発で済むかな』と嘆息する。

顔を出した大将にキョーコが挨拶をした。

「こんばんは。ご無沙汰しています。」

「...何度も言ってるだろう。『ただいま』だ。」

大将の言葉に思わず涙がにじんできて笑顔が少しゆがんだものになった。

「はい。ただいま帰りました。」

大将は「おう」と短く答えて奥へ消えてしまう。そんな大将にあきれながら女将が口を開けた。

「気にしないでいいよ。あれでもキョーコちゃんがくるって言うんで浮かれてたんだよ。奥の座敷に食事も用意してある。...ところで、こちらは?」

女将が久遠とキョーコに交互に視線をいききさせている。

「僕は久遠・ヒズリといいます。お二人がキョーコさんの親代わりということでご挨拶に伺いました。」

綺麗なお辞儀をして美しい発音の日本語を話す外国人に目を白黒させる。

「そんな、親代わりなんてたいそうなもんじゃないよ。挨拶って...。とりあえず中にお入りな。」

女将は二人を奥の座敷に案内して大将を呼びにいった。座敷にあがり靴をそろえる久遠に感心しながら...。


座敷には3人分の食事の準備がされていた。すでにいくつか料理も並んでいる。手の込んだ料理もあるから店の残りということでもなさそうだ。本当にキョーコが帰ってくるのを待っていたのだと、それだけでもみてとれる。大将のあの渋面を考えるとやはり一筋縄ではいかなそうだ。そもそも話を聞いてもらえるかも怪しいと思っていたところへ女将が久遠の分の食器を持ってやってきた。女将の後ろには明らかに不機嫌な大将もいる。

「ごめんね。お客さんがくるって分かってればもう少しきちんとしたものを用意したんだけど...。お箸で大丈夫かい?」

「はい。大丈夫です。こちらこそ突然おしかけたんですからお気遣いなさらないでください。」

久遠と女将のやりとりに大将が分かっているなら来るなと言いたげにと鼻をならす。女将が一通り食器を並べ終り席につくとキョーコに顔をむけた。

「で、こちらは...。ヒズリさんだっけ?」

「えぇ。その...。」

キョーコが何と言おうか口ごもっていると久遠が座布団からおり正座をして大将と女将のほうを向いた。

「久遠・ヒズリと言います。最上キョーコさんと結婚を前提にお付き合いしています。夜分に失礼かとは思いましたが、ご報告にあがりました。」

大将も女将も絶句している。

重い沈黙を大将がやぶりキョーコを見た。

「俺は親でも何でもねぇ。コイツが決めたことならそれでいい。」

キョーコは一瞬突き放されたように感じて唇をかみしめて俯いた。

「それでも、彼女が実の親のように慕っているお二人にはきちんとご報告したかったんです。祝福していただけますでしょうか?」

「...おい。お前は結婚したいんだな?」

大将がキョーコに問いかけるとキョーコが顔をあげて力強く『はい』と答える。大将はしばらくキョーコの顔をさぐるように見ていたが『ならいい』とボソリと言った。大将の表情を見て心配してくれていたんだと悟ると嬉しくて涙が浮かんでくる。

大将とキョーコのやり取りを見て息を詰めていた久遠が少しだけ緊張をといた。

「祝福していただけると思ってよろしいのでしょうか?」

大将がギロリと久遠を睨むと再び緊張が走る。久遠はつかのま大将から目をそらしたくなった。この視線を受けるくらいなら一発もらって済ませたほうがどんなにか楽だろう。それでも、これは祝福してもらうための試練なのだと言い聞かせ、視線を逸らさずただじっと耐える。


どのくらいそうしていたのか、最後に大将の瞳に諦めが浮かんだと思ったらすぐに消え『あぁ』とつぶやくのが聞こえた。そこでようやく女将が口を開く。

「おめでたいことだし、乾杯でもしようかね?ヒズリさん、いける口かい?」

明日のこともあり辞退しようかと口を開きかけたところで大将が無言で久遠にむかってビールを差し出した。まさか大将がついでくれるとは思わず驚いたが、無口な大将なりの祝福なのだろうと喜んでグラスを傾けた。


「で、ヒズリさんは何をしている人なんだい?」

「どうぞ、久遠と呼んでください。本業は俳優ですが、モデルもしています。」

「あぁ、久遠さんね。そっちのほうが呼びやすいね。日本語に聞こえるけど?」

「国籍はアメリカですが、父が日本人のハーフなんです。久しいに遠いと書いて久遠といいます。」

「へぇ、そうなのかい。俳優さんてことは...あれ、じゃあオルティス学園で共演したのかい?」

女将がキョーコの出演しているアメリカでの連続ドラマのタイトルをあげた。

「いえ違うんです。久遠さんとはWOUNDED MOONで共演したんです。」

「それって、ダークムーンの続編で今度放送になるやつだろう?それじゃあ、出会って1年もたってないじゃないか...。」

女将のいいたいことはわかる。電撃的に結ばれて別れてしまうカップルも多い。ましてや久遠は外国人だ。心配しないほうが難しいだろう。


「俺...僕としては出会ってからの時間は問題ないのですが、ご心配ももっともです。実は彼女が16才の時から知っています。その頃からずっと彼女は僕の『特別』でした。」

久遠の話をキョーコが慌ててとめようとしたが、久遠に目で制止された。

「日本での俳優名は『敦賀蓮』です。ようやく、俳優として自信がつきましたので本名で仕事をすることにしました。」

いくら、芸能界にうとくても『敦賀蓮』くらいは知っている。二人は驚いて声も出ない。しばらくしてキョーコが口をはさんだ。

「大将、女将さん、このことは...。」

やっと立ち直った女将が心得顔で請け負った。

「わかってるよ。内緒なんだろう。」

「内緒と言っても、もうすぐ公表するんです。ドラマの宣伝も兼ねて...。」

今まで黙っていた大将が口を開く。

「で、コイツとのことは?」

「僕はすぐにでも公表したいのですが、彼女のドラマの契約で早くても1か月後になりそうです。公表と一緒に式もしたいのですが、それは...すみません。僕の両親の都合で6か月後になりそうです。」

言葉の少ない大将の意図を正確に理解した久遠をみて案外気が合いそうだと女将とキョーコは思った。


「久遠さん、もうスケジュールをたてたんですか?」

初めて聞く話にキョーコは久遠に問いかける。今まで式の話などしていない。

「ごめんね。さっき、キョーコちゃんが着替えている間に社長から聞いたんだ。今放送されているオルティス学園が終わるまでは婚約を発表できそうにないんだ。次のシーズンからは新しい契約だから大丈夫なんだけどね。あとの仕事は問題ないって。すぐ式をしたかったんだけど、父さんたちの仕事の都合で一番早くても6か月後になっちゃうんだ。それで構わない?」

構うも構わないもない。お付き合い、婚約というのでいっぱいいっぱいだったのだ。結婚式や結婚なんて頭のすみにもなかった。半年後と明確な日にちが出てきたことで今まであやふやだったものが急に実感となった。

「イヤ?」

答えないキョーコに久遠はもう一度問いかけた。

「いえ、嫌じゃないです。」

「なら、それですすめるね。」

「はい。あれ?先生とジュリママにはもう言ったんですか?」

「ちゃんとは言ってないけど、ボスがスケジュールを押さえるのに連絡したから薄々感づいてるかもね。そのうち挨拶に一緒に行ってくれる?」

「それは、もちろんです!...私で反対されませんか?」

キョーコの発言に久遠は目を丸くする。

「そんなわけないだろう?母さんが撮影中になんて言ったか知ってる?『早く結婚しないとキョーコを養女にするわよ』って言ったんだ。そうしたら娘にできるからって。母さんは息子の嫁でも養女でもかまわなかったんだ。キョーコちゃんを娘にできるならね。キョーコちゃんがプロポーズを受けてくれてよかったよ。あやうく兄妹になるところだった。」


どうやら姑となる人はキョーコを気に入っているらしいと久遠とキョーコのやりとりを微笑ましく眺めながら女将が聞いた。

「それにしても久遠さんのご両親は何をしているんだい?半年先までスケジュールがいっぱいなんて...。」

ジュリと久遠の不倫報道は日本でもされていたはずだが、そこまでは知らなかったらしい女将に久遠が説明する。

「父も母も俳優をしています。母は時々モデルもしていますが...。」

「へぇ。アメリカでかい?」

「父は日本でもしていました。日本では保津周平という芸名でした。」

またしても大将と女将は絶句した。今日、何回驚かされればいいのだろう。

「って、てことはクー・ヒズリかい?そんな...。」

「はい。」

久遠は苦笑すると、大将がぼそりと呟いた。

「だから『敦賀蓮』か...。」

今度は久遠が驚いて大将を見つめたがクシャリと笑って『はい』と答えた。



キョーコと女将が空いた皿をさげるために座敷をあとにした。なんとなく気まずい雰囲気の中、久遠が大将に声をかける。

「式には出席して頂けるでしょうか?」

「あぁ。」

「警備の都合上、日本ではあげられないと思うのですが...。」

「あぁ。」

「よかった!どうしてもお二人には祝福して頂きたかったんです。ありがとうございます。」

「...。」

「それで、お願いついでにもう一ついいでしょうか?式での彼女のエスコートをお願いしたいんです。」

ビールから日本酒にかえ、ちびちび飲んでいた大将が面食らってむせてしまった。

「?!」

「彼女には父親も兄弟もいませんから、ぜひ大将にお願いしたいんです。」

「...いや...それは...。」

これほど慌てた大将を見られるのはそうないだろう。人前は苦手なのか花嫁の父役となれば大勢の人の前を歩かなければならない。

「一人でヴァージンロードを歩かせるのは、あんまりです。ぜひ、お願いできませんか?」

「...いや。でも...。」

キョーコの手をとり教会の中央を歩く自分の姿を思い浮かべただけで鳥肌がたつ。ただでさえ、キョーコを嫁にやりたくないのに自ら花婿に渡さなければいけないなんてとんでもない。どうにか断れないものかと考えをめぐらせると赤いヴァージンロードが浮かんだ。

「いやだね。生娘でもあるまいに。ヴァージンロードなんて歩かなけりゃいいだろう。」

大将の言葉に久遠が耳を赤くした。

「...いえ、その...。彼女は...。まだ無垢ですから...。」

今度は大将が耳を赤くする。自分の耳が信じられない。目の前の男はどうみても経験豊富そうに見える。それが、婚約者に手を出してないなんて信じられるだろうか。だが、その容姿とは裏腹に恥ずかしそうに耳を赤くする様は嘘ではなさそうだ。それならばと娘をとられた腹いせに大将は意地悪く口元をゆがた。

「わかった。そこまで言うなら引き受けてもいいだろう。ただし、本当の意味でヴァージンロードを歩けるならだ。」


久遠の頭の中は真っ白になった。大将の言葉の意味を理解するのに数分かかった。それは、つまり結婚式が終わるまで手を出してはいけないということだ。キョーコにはその方面で怖がられているのは知っている。でも、少しずつ慣らしていこうと思っていたのに。

あと半年...。我慢できるだろうか?

でも、久遠だって本当の意味でヴァージンロードを歩かせてやりたいとも思っていたではないか。半年我慢すれば、キョーコのエスコートをしてくれるという。何よりもキョーコの喜ぶ顔がみたい...。


「わかりました。お約束します。」

久遠はきっぱりと言った。



゚・*:.。..。.:*・゚゚・*:.。..。.:*・゚


2013・4・16追記

婚約発表時期が1か月後と3か月後という大きな矛盾点がありましたので訂正しました。

1か月後、つまり「WOUNDED MOON」のプロモ終了後くらいにしました。

おや?と思った方ごめんなさい。