未緒は緊張していた。二度とジェフとは会わないと決めたのに、こんなに早く顔を合わせなければいけなくなるなんて思いもしなかった。どんな顔をして会えばいいのか全くわからないが、とにかく1日でも早く離婚しなければならない。それがジェフのためになるはずなのだから...。


未緒が待ち合わせのカフェにやってくると、すぐにジェフが立ちあがった。コーヒー代をテーブルに乗せ店員に合図すると、未緒の手首をつかみ足早に店をあとにする。


「痛い...。どこへ行くの?」

ジェフはジロリと未緒を睨むと視線を前に戻し、ぶっきらぼうに言った。

「部屋をとってある。」

「嫌よ!」

未緒が掴まれた手を外そうともがくとジェフは一層力を込めた。

「君はあんなところでプライベートな話をするつもりか?」

「...とにかく離して。痛いわ。」

ジェフは立ち止まり、未緒に体ごと向いた。自分が掴んでいる未緒の手首が赤くなっているのをみて慌てて力を緩める。

「すまない。またどこかへ行ってしまうんじゃないかと思って...。」

「話し合いが終わるまでは、どこにも行かないから離してください。」

キッパリと言う未緒にジェフは、手を離したが今度は腰を抱いて歩き出した。未緒はまたしても抗議したがジェフはそのまま歩き続けた。


既にチェックインしていたのだろう、ジェフはフロントを素通りしてエレベーターに向かった。部屋のカギを開け未緒を先に部屋に押し込む。ジェフの怒りが全身から滲み出ていて未緒は柄にもなく一歩引いてしまった。


「座って。」

未緒は言われるままソファーに腰かける。ジェフはソファーには座らず、ライティングデスクに凭れた。

「離婚してください。」

「...。」

ジェフは未緒の顔に答えがあるかのように食い入るように見つめた。

「離婚してください。」

「どうして?」

未緒はこぶしをギュッと握り答えた。

「契約違反があったからです。」

「違反?」

ジェフは片眉だけをあげて続きを促す。

「あの夜のことは契約にありません。」

「そうだね。確かにないね。『する』とも『しない』とも。」

「...。」

「君の言いたい精神的苦痛とはそれ?」

「そんなこと言ってません。確かにそういう取り決めはありませんでした。でも、あぁなってしまった以上続けられません。」

「まるで僕が誘惑したみたいに聞こえる。僕の勘違いでなければ、君のほうからやってきたと思うけど?」

未緒はジェフの言葉に一瞬で頬を朱に染めた。

「あれは、酔っていたから...。」

「君はあれくらいのワインで酔っぱらうほど弱くないだろう?まぁ、景気づけくらいにはなったかもな。」

「景気づけなんて..。」

「そうだろう?君はあの夜まで処女だった。そんな大切なものを引き換えにしてまで僕と別れる理由を作りたかったのか?一体、僕はどんな精神的苦痛を君に与えたんだ?」


精神的苦痛はあの夜、ジェフの腕から飛び出した時からずっと続いている。今はジェフに非難の目を向けられて一層苦痛が増している。全てを話してしまえたらどんなに楽か...。でもそれはできない。話してしまったらジェフはきっと真正面からあの男と対決するだろう。しばらくアシスタントについていたからジェフの仕事の仕方は知っている。それでは事が明るみに出てしまう。自分のためにジェフの夢を壊したくない。未緒が答えないままでいるとジェフが口を開いた。


「取り決めなかったことで契約違反と言われても困る。こんなに早く離婚するつもりはない。君こそ契約違反だろう?」

「分かっています。だから、慰謝料も仕事も名前もいりません。」

「男か?」

「そんな下衆なっ!」

「...だよな。だったら僕のベッドになんか来ないよな。いや、中には処女は重いってヤツもいるか...。」

未緒は立ち上がり、思い切りジェフの頬を打った。

「すまない...。言い過ぎた。」

本当に未緒に恋人ができたとしても、そんなヒドイことを言うヤツを好きにはなるほど未緒はバカじゃない。ジェフだってそんなことは百も承知だ。それでもそんなバカなことを考えてしまうほど、未緒が突然ベッドに来て翌日に出て行った理由が思い当たらない。


「離婚してください。」

「理由がわからないうちは嫌だ。」

話し合いは平行線のままだ。未緒は唇を引き結んだと思ったら意を決して口を開いた。

「もう、仲のいい夫婦のフリをするのが苦痛なんです。」

「それがベッドを共にして翌日離婚を請求する理由?そんな理由で納得すると思うなんて僕もバカにされたもんだ。」

「...。離婚してくださらないなら、契約結婚を公表します。」

「それこそ契約違反だろう?」

「既に契約違反をしてますから1つや2つ増えても構いません。」

「それは脅迫だろう?」

「いいえ、戦略です。」

いつだったか、自分の言った言葉を返されてジェフは頭に血がのぼる。未緒に一歩近づくと力任せに引きよせてこらしめのキスをした。


そんな乱暴なキスなのに、未緒は喜びを感じていた。ジェフの腕の中も心地いい。乱暴なキスが甘いキスに変わり始めたとき、未緒は我にかえりジェフを押し返すと部屋を出た。