未緒は結局1週間、毎日事務所に顔を出した。ファイリングシステムを作ると言っても、とにかく何がどこにあるのか仕分けをしなければいけない。週に2~3回では先が見えないような気がした。とりあえず、大まかな分類だけでもしておきたい。それさえすめば、行く回数を減らしてもいいと思っていた。

でも、本当はこうも一生懸命なのは居心地の良さからくるものだと自覚もしていた。


はじめ、ミランダに説明された『ジェフとは兄弟のようなもの』というのを未緒は疑っていた。ミランダは今までジェフが付き合っていたようなタイプではない。だからこそ本気なのだと思っていた。美人ではないが可愛らしい。とはいってもそれは見かけだけでかなり気は強そうだが...。二人のやりとりは見ていて小気味良い。日本風にいうならボケと突っ込みの掛け合い漫才のようだ。未緒は大抵聞いているだけで、口元を緩めるだけだったが時々会話に引っ張り込まれミランダの突っ込みにのせられる。そんな体験は思い返してみても皆無に等しく未緒には新鮮だった。ジェフとミランダの間には男女間の緊張は見られず、二人ともお互いに空気のようにして過ごすか(この時間が一番長い)、からかいあうか、文句を言いあうかだった。未緒と姉はそんなことをしたことは記憶にある限り無いが、これが仲のいい兄妹なんだろうなと思わずにいられなかった。


未緒はどうせ町に行くならとアガサに頼まれていた買い物をしていた帰りだった。ジェフとミランダはまだ事務所で仕事をしていて未緒は一人だった。突然、見知らぬ男に日本語で呼び止められた。


「本郷さん?」

驚いて振り向くと、下品な笑いを口元に浮かべた男が立っていた。笑っているように見せているが目は笑っていない。どこから見ても怪しい男だ。

「どなた?」

「顔を合わせるのは初めまして...かな?でも、俺の名前は知ってるだろう?」

男が名乗ると未緒は顔を青くした。男は本郷のスキャンダルの中で最も下劣な記事を書いたライターだった。男が立ち話もなんだからと近くのカフェを指差したので未緒は仕方なく黙ってついていった。案内された席につくとコーヒーを二つ頼む。先に口を開いたのは未緒だった。


「で、ご用件は?」

「おいおい、そんなに邪険にしなさんな。俺はアンタに選択の余地をやろうって言うんだぜ?」

「選択?一体何の?」

未緒に睨まれて男は一瞬身をすくませたが、その程度のことでは怯まなかった。

「それにしてもまさか、こんなところで優雅なミセスに納まっているとは思いもよらなかったぜ?」

「...。」

「QVCといえば、かなりの企業だよな?そこの総裁の奥方とは大したもんだ。いくら名門の出身とはいえ...。」

そこでコーヒーが運ばれてきて男は黙った。ウェイトレスが行ってしまうと男は再び口を開いた。


「まさか人殺しの娘がミセストンプソンとはねぇ。」

未緒は唇をキュッと結んだ。

「で、旦那は知っているのかい?」

「...。」

未緒の無言の返事に男はニヤリと笑って続けた。

「そうだよなぁ。やっぱり言えないよな。人殺しの娘ですなんて。『トンプソン』はアメリカじゃ名家だそうじゃないか。名家の嫁がそんな経歴の持ち主とくればいいネタになると思わないか?それにこれが知れれば場合によっちゃ株価も下がるかもな?」

「...何が望みなの?」

未緒は無駄だと知りながら男を睨みつけたまま言った。

「ふふん。やっぱり話が早いね。」

「お金ならないわ。あなたも知っている通り、私はもうお嬢様じゃないもの。」

「そうかい?でも奥様だろう?」

「既婚という意味ならそうだけど、私は婚前契約を交わしていて自由になるお金はほとんどないの。」

「おやおや、随分しみったれてるんだな。まぁ、いい。今回はアンタから金をもらおうってわけじゃないんだ。旦那と離婚してほしいんだ。」

「なぜ?」

「察しが悪いねぇ。旦那は男前だよなぁ?アンタのことを調べていたら旦那に惚れてた令嬢にいきあたってね。その令嬢に別れさせてくれたらそれなりのご褒美をくれるって言われたのさ。どうだい?」

「そんなこと、はいそうですかって言う訳ないでしょう?」

「そうかい?俺は構わないんだ。ご褒美をくれるのが令嬢でもアンタでも。...どこかのゴシップ紙でもな?」

「とにかく、今夜一晩考えて連絡をくれ。連絡がなければどうなるか分かってると思うけどな。悪いけど俺は日本が恋しいんでね、早く帰りたいんだ。だからあんまり考える時間はやれなくてね。」

男は泊まっているホテルの連絡先を未緒に渡すとコーヒーの支払いもせずに出て行った。