やっと帰ってきたと思ったジェフだったが、その後も細々した事務や引継ぎで忙しく帰宅できないことが多かった。帰ってきても、深夜遅くで未緒と顔を合わせることはほとんどなかった。未緒は相変わらず、勉強していてアガサに追い出されて仕方なく散歩に行くという毎日だった。ただ、散歩にいくときは必ずバスケットと鋏をもつようになった。サイラスが間引いた花をもらったり、気に入ったものがあれば自分でも適当に切って持ってくる。サイラスは自分の育てた花を大切にしており、絶対に他人に切らせることはなかったのに、未緒にはどれを切ってもいいと言ったのだ。しかも、最も大切にしている薔薇を切ってもいいと言ったらしい。それを聞いたアガサが驚いたのはいうまでもない。だが、サイラスが丹精込めて剪定していて庭にあるほうが美しいと思っていたから、未緒が薔薇を切って持ち帰ることはなった。薔薇を持ち帰らない理由を誰かに言ったわけではないが、サイラスはひどく未緒を気に入っていた。
アガサも未緒を気に入っていた。はじめは日本人と聞き、どんな人がやってくるのか不安があったが、やってきてみるとその不安は杞憂に終わった。家の中に他人がいることに慣れているらしく、おどおどすることもない。かといって、主人然として威張り散らしたりすることもない。話し方は落ち着いており、所作も優雅だ。ジェフは未緒の素性を詳しく話さなかったが、おそらく未緒も『お嬢様』なのだろう。未緒が醸し出す気品が『トンプソン』の家にふさわしいと思えた。それだけではなく(最も大切なことだが)未緒と一緒にいるときのジェフが以前よりも柔らかくなった気がする。
ただ、不満が一つだけある。なぜ、結婚式をしなかったのか。こっそりと隠れるように籍をいれたことが許せない。これでは、世間から未緒を隠しているようではないか。いや、不満なら、もう一つある。なぜ、寝室が別なのか...。そこまで考えてため息をつく。どちらも家政婦の自分が口を出すことではない。けれど、子供のころからジェフの世話をしてきたのだ。正直、身内の誰よりも近くにいたのだ。心配するなというほうがおかしい。
◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇
ジェフが自分のオフィスの私物を片付けていたところに携帯が震えだした。
発信者はジェーンだった。それを見ただけで憂鬱になったが出ないわけにもいかず、通話ボタンを押す。
「どうしましたか?」
「ジェフ!あなた、いつ結婚したの?!」
「1か月ほど前ですよ。」
「どうして、黙っていたの!」
ジェーンがヒステリックに叫ぶのでジェフは少し耳から携帯を遠ざけた。
「話さなければいけないとも思わなかったもので。」
「そんな!!私はあなたの母親なのよ!」
「...そうでしたか?母親と過ごしたことがなかったので忘れてました。」
「...そうね。今更、母親面しても仕方ない...わね。」
「...ともかく、これであなたも望んだように相続ができるでしょう。」
「そう、その件なんだけど。おじ様たちが花嫁のお披露目をするべきだと言っていたわ。」
「なぜですか?」
「何か、文句をつけたいのよ。」
「文句?」
「あの遺言のせいで、諦めていた遺産が自分たちに入るんじゃないかと思っていたのにあなたが急に結婚したので結婚を無効にしようとしているのよ。」
「あぁ、そういうことですか。でも、お披露目の義務なんてないでしょう。僕たちは結婚した。それも正式に。それで十分じゃないですか。」
「そうだけど、おじ様たちはしつこいわよ。事業がかたむいてるって噂のある人もいるし...。とにかく、伝えたわよ。」
「わかりました。注意します。」
「...。私も会わせてもらえないのかしら?」
「...会いたいですか?」
「えぇ。」
ジェーンは小さな声で自信なさげにこたえた。
「何が気になるんです?」
「愛があるから結婚したわけでもないのでしょう?」
まさかジェーンが愛という言葉を口にするとは思わなかった。息子でさえ手放した女なのに、愛の何がわかるのだろう。
「...そうですね。でも、金目当てでもないですよ。ご心配なく、僕たちは上手くやってますから。いずれ、機会があれば会うことがあるかもしれません。」
「...そう、そうね。わかったわ。とにかくおじ様たちには気を付けてちょうだい。」
「わかりました。」
僕は生まれてすぐに曾祖父の養子になった。僕が生まれる前にすでに祖父母は亡くなっており、母は曾祖父にひきとられていた。といっても寄宿学校に入っていたから家に帰ってくるのは長期休暇の時だけだったらしい。母が僕を生んだのは16歳の時だった。休暇中のアバンチュールで身ごもった母は表向きは病気療養をすることにして別荘で出産し僕を曾祖父の養子にするとそのまま寄宿学校へ戻っていった。孫娘の恥である僕は後継ぎの男の子がいないために遠縁の子供を引き取ったことになっている。つまり、実の母が義理の姪という複雑な関係だ。彼女がいうように僕は戸籍上も、血の繋がりからいっても本当に『トンプソン』の直系なのだが親戚連中は血の繋がりを知らない。彼らにしてみれば、どこの馬の骨とも知れない者が遺産を独り占めしてしまうのが気にいらないのはもっともだと思う。
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今更ですが、『ジェーン』をジュリエナが演じてます。