ジェフの予想通り、キスはやっぱり甘かった。

日本で味わった甘い肌が思い出された。


段々とキスが深くなりそうな気配に判事がわざと音をたててペンを置いた。

その音にジェフは慌てて未緒から離れた。

ジェフが離れたことで未緒も我に返った。

判事はニコリと笑むと、サインを促す。

ジェフがサインをするとペンを未緒に渡した。

未緒がサインをすると、判事はお幸せにと言って退室した。

続けて、事務官が退室するとジェフと未緒は二人で部屋に取り残された。

しばしの沈黙の後、ジェフは未緒に行こうとひとこと言って先に歩き出すと未緒はその後ろをついていった。



未緒の家に向かう車の中でも互いに言葉はなかった。

「本当にこの車で荷物が積めるの?」

「えぇ、大丈夫です。荷物は着替えくらいですから。家具つきのアパートですから持ってはいけませんし、その他のこまごましたものはボスの家にもあるでしょうから、私のは倉庫を借りて預けてあります。」

「そう...。それならいいけど。そうだ、ジェフって呼んで。僕たちは夫婦なんだから。」

ジェフが未緒の荷物を車に積みながら言った。

「わかりました。努力します。」


ジェフの家へ向かう道でも会話はなかった。

ジェフは今後、計画をどのようにすすめていくかを考えようとしていた。

努力して別のことを考えないと、先ほどのキスが思い出されてしまう。

未緒は左手の指輪を触りながら、この結婚について考えていた。

本当に必要だったのだろうか。

ジェフには必要だったのだろう。おかしな遺言だとは思うが個人の意思の尊重される国だから、そういうこともまかり通るのだ。

でも、私には?

本当に名前をかえる必要があったのだろうか。

日本に帰るつもりはない。大企業の案件を扱いたいわけでもない。この国で小さな企業が損をしないように生活を家族を守れるようにしたいだけだ。そんな人々が『本郷』の名を知っているだろうか。

今更ながら、ジェフに良いようにのせられた気がしてきたがもう遅い。

やっぱり、私は詰めが甘い...。

憂鬱な気分で窓の外を見るとだいぶ郊外に来ているようだった。

景色が街中と違って縦ではなく横に広がっている。


「どこまでいくんです?」

「僕らの家だよ。」

「あなたの家は事務所からそんなに離れていなかったでしょう?」

「あぁ、あれは引き払うよ。こちらで暮らす。」

「でも、通勤に不便でしょう?」

「もともと30歳で信託財産が手に入ったらやめるつもりだったんだ。今の依頼が片付いたらやめる。だから数週間の我慢だよ。」

怪訝な目をする未緒にこともなげにジェフは返した。

「言ってなかったかな?」

「えぇ、聞いてません。」

「今度から気をつけるよ。奥様?」

「別に構いませんよ。私の許可が必要なわけではないのですから...。私は本当の奥さんではありませんもの。」

その言い方になんとなくムッとしたジェフはハンドルから片手を外し未緒の左手をとると親指で未緒の薬指をなでた。

「未緒...、ミセストンプソン、君は本当の僕の奥さんだよ...。1年間はね...。」

未緒が見てきたジェフの女性への対応は優しいけれど一線を引いていて、その線を越えようとすると途端に冷たくなるものだった。決して心のうちに踏み込ませない、そんな印象だった。

でも、今、未緒に対する態度は違う気がする。

契約結婚の共犯者だから?


未緒は口ごもりながら何とか答えた。

「そうですね。書類上は...。1年間ですけど...。」

声が震えなかったことを自分で褒めてあげたいと思った。