ドアのベルが鳴り、お客さんが入ってきた。
「いらっしゃい」
久しぶりの常連さんだ。
「マスター、ご無沙汰。やっと落ち着いたわよ」
カウンター席に腰掛け、空いてる隣の席に肩掛けショルダーバッグを置く。
あー、懐かしいこの感じ。
もっともあの頃は、夕飯の野菜やお肉の入った買い物袋を席に置く事が多かった。
「ブラックお願い」
マスターが少し意外な顔をする。
そうだよね。あの頃はブラック
苦手だったもん。カフェオレが定番だったよね。
変わらない店内を見渡してたら、良い香りが近くなりブラックコーヒーが運ばれてきた。
「ありがと」
初めて見る顔のアルバイトの女の子だ。
しばらく来ない間に入ったようだ。
「お元気でしたか?」
あの頃と変わらない声でマスターが話しかけてきた。
「おかげさまで」
一口飲む。熱い。でも心の何かがほぐれる気がした。
「相変わらず美味しいね」
「ありがとうございます」
聞かれた訳でも無いけど、話した方が良いような気がした。
「離婚、しました。」
「…そうでしたか」
当たり前だけど、どうして?とか聞かれない。
聞かれないから話してしまいたくなる事もある。
私はマスターに、というより独り言のように口を開いた。
「ここに来なくなって半年くらいだっけ?
あの頃から少し前くらいから、旦那…
あ、元旦那と噛み合わなくなっててね。
夫婦にも思いやりが必要って言うじゃない?
私思うんだけど、続く夫婦って思いやりも自然なのよ。
私たちは『さぁ、思いやりをみせなくちゃ』って
毎回よっこいしょって重い腰をあげるように思いやりを見せるようになってたのよね。
義務とも違う。毎回決意表明する感じ。
そういうの毎回してると、何かがどんどんすり減ってくのよ。それは愛情とも言える。
何かあった時、最後の砦になるはずの愛情がすり減ってなくなるんだもん。そりゃ無理よね」
マスターは黙って頷いていた。
なんだかスッキリした。
「これからのご自分の時間、大切にしてくださいね」
「ありがとう」
これを飲み干したら帰ろう。
灯りのついてない部屋だけど、私の小さなお城に。
また明日が来る。
そしてまた、ここでコーヒーを飲む時間を作ろう。