生きているとモヤモヤする人に出会うことがあります。

というか、親にも兄弟にも恋人にも友達にもモヤモヤする瞬間てあります。


そんな時の秘策を見つけました。

こう言う見方はどうでしょうか。


完璧な人間はいない。

そして自分も完璧ではない。


自分が完璧でないことを改めて真に認めると

他人にモヤモヤするなど「どの口が言うてんねん。」と笑えてきます。

親は親だけど完璧ではない。恋人も、旦那も、子供も然り。

でもなぜだか人間は自分以外に自分の思う完璧を求めてしまう生き物。

でも相手からしたらそれは無理があります。

だってその人はあなたではないのだから。

そしてまた、完璧を求める人ほど自分にも完璧な自分でいることを課してしまう。

なかなかしんどいことです。


だから完璧でない自分を赦すために

自分の信念に反することをする人がわざわざ目の前に現れてくれます。

その人たちは実はただ、その人の人生を生きているんだけど

地球という学びの場でお互いに良い感じにタイミングが絡み合って

ある意味では協力してくれているとも言えます。


言うなれば
「ちょいちょい、あなた、なにをそんなに完璧を目指してるんですか?

いやいや、わたし、ここにいますよ。

あなたの一部であるわたしのこと、忘れてません?

わたしもちゃんといますよ。」と

置いてきぼりにしているもう1人の自分が

他者の姿を借りて目の前に華々しく登場してくれます。


例えば怠けちゃいけない、休んじゃいけない、完璧に。と思っていると

近しい人が怠け者になったりします。


キチンとしないといけない、完璧に。と思っていると

全然キチンとしていない人の世話を焼くことになったりします。


甘えちゃいけない、頼っちゃいけない、自分で完璧にやらないと。と思っていると

すごい、びっくりするくらい、他人任せな甘い子が目の前に現れたりします。

偉そうにしちゃいけない、謙虚に。と思ってると

めっちゃ天狗な人に振り回されます。

おもしろい。


そこから抜けるポイントはこうです。そのままを認める。

「あ、天狗さんね。」「あ、甘ちゃんね。」「あ、めんどくさいのね。」と。

それもその人の一部として
(その人として。ではなくあくまでその人の一部。として)

また、自分の一部として受け入れると、なにより自分が楽です。



完璧を諦めて

誰だって完璧じゃない、むしろ完璧じゃないことが完璧なんじゃない?

ってなると

期待が減るのでストレスも減ります。

こうじゃなきゃいけない。がなくなるからで
す。

極端なことを言うと不倫をする人は不倫に寛大だし、

わがままな人はわがままな人をなんとも思わないし、
自由な人は誰かの自由も尊重できます。




そして見逃しがちですが、自分もきっと誰かにモヤモヤされてますw

「そんなことない!わたしは空気を読んで周りに気を遣ってる!」という方もいらっしゃるでしょう。

ところが、人のモヤモヤするポイントは人の数ほどあり、

その、空気を読んで周りに気を遣っている姿にモヤモヤするという人もこの世には存在するので

これはもうどうがんばってもお互い様ですw


不完全な自分でもいいと一人一人がいい意味で適当になり

凸と凹がいい具合に調和して

新しいものが生まれることを楽しめる世になったらいいなぁ。

なぁんて、警報級の暑い日に生意気申しております。


最後まで読んでくださってありがとうございます。