ビコール狂詩曲 ギョウちゃんが いく -8ページ目

ビコール狂詩曲 ギョウちゃんが いく

ビコールの魚屋のブログです。行きがかり上フィリピンに住むことになった時の所持金は、僅か7000ペソ。
その後、山あり谷ありを経て18年後の今もなんとか生きてます。

18年のフィリピン生活で、3人のフィリピン人に奢ってもらったことがある。
先週の土曜日に電話をくれたディーノもその中の一人だ。

僕より3才年上の彼は、会う男達の全てに劣等感を抱かせてしまう、そんな色気を備えている男だ。
テニスで鍛えた筋肉質の長い脚、水泳によって絞り込まれた上半身、そしてシミひとつない張りのある薄っすらと日焼けした肌、そのどれを取っても52歳の男の身体とは思えない。
そこへ持ってきて顔はジョニー・デップを彷彿させる伊達男で背も高い。
僕みたいな普通のオッサンが彼の隣に並びたくないと思ったとしても、「そりゃそうだ」と誰もが納得するに違いない。
でもこれだけなら、それ程やり切れない気持ちになることはない。
だが困ったことに、ディーノはさらにセレブな男としての顔も持ち合わせていたのだ。

ディーノはある航空会社の重役で、同時に産業医でもある元軍医の父を持ち、二人いる弟はそれぞれ開業医でありながらも、セント・ルークスやエイシアン・ホスピタルで診療も行う名うての医師といった医者一家の出自だ。
本人いわく、医者になれなかった落ちこぼれの彼自身も医薬品のディストリビューターとして大きな成功を収めている。
それだけではない。彼の妻のジュディーは有名インテリアデザイナーで、極めつけは、娘のNは今を時めくフィリピンの人気歌手だ。
こう並べ立ててみると、確かに田舎の魚屋とは不釣り合いな相手だという気がするが、彼自身が相手にそのようなことを感じさせない気さくな性格であること、それと多少は僕のこともリスペクトしてくれているようなので、こちらも卑屈にならずにお付き合いさせて貰っている。

そんなディーノに今年の2月、ステーキを御馳走してもらった。
場所はアラバンのウェストゲートと呼ばれるエリアの一画にある、メロスという評判のステーキ屋だった。
その時のディーノはステーキを食べながら日本食のことばかり話していた。
赤ワインを注文しながら、取引先から貰った日本酒の話に夢中になったかと思えば、いま食べている和牛ステーキは贋物で、本物の神戸ビーフはこんなものじゃないと言い出したり、肉を食べるやつはバカで、寿司は世界最高の食べ物だなどと、20オンスの巨大和牛ステーキを頬張りながらまくしたてていた。
もちろん奢られている身の僕としては、激しく彼の話に同意する訳にもいかず、ウンウンとただ頷いて聞くばかりだったが、そこまで言うのなら今度は僕が旨い寿司でも御馳走しましょうということになり、帰り際に固い握手をして別れた。
その後二人の都合が中々合わずに、未だにその約束を果たせないでいるが、こちらとしては2度ほど日時を指定して、ディーノにスケジュールを調整するようにお願いしたのだから、さしあたって契約不履行といった罪には問われることはないだろうと思っている。

さてそのディーノだが、土曜日の電話のときの声は、いつもとちょっと違う様子だった。
彼の妻のジュディーと僕の妻が電話で話しているのを聞いて、どうやら僕もマニラにいると勘違いしたらしいディーノは、僕がビコールに居ることが分かると急に声を落として大層がっかりしていた。
直感的に、何かあったなと思った僕が、
「あまりがっかりするなよ。寿司なんていつでも食べられるさ」とわざと的外れなことを言ってみると、ディーノはそれに激しく反応した。
「そんなんじゃないんだ。ただビールを一緒に飲もうと思って・・」
その言葉とは裏腹に、彼の口調は明らかに何か問題があることを示唆していた。

それからしばらくして、彼はようやく重い口を開き、彼の甥っ子“J”の身に降りかかった問題について語り始めた。

Jには二度しか会ったことがないが、日本で言えば慶応のような学校の付属高校に通っていた。しかも幾つかある付属高校の中でも、特にマニラの南に位置する高級住宅地の中にある彼の学校は、多くの金持ちの子弟が通う学校として名を馳せていた。
彼は身体も大きく、スポーツマンで、医者の息子だ。その彼がイジメにあって、この7月から違う学校に通い始めたと言うのだ。
僕には俄かに信じられないことだった。

娘二人だけのディーノにとって、Jは息子のような存在である。
そのJがイジメに遭った状況を話している時のディーノは、もはやいつもの彼ではなかった。
さかんに普段の彼の口からは聞かれない、汚い言葉を連呼しながら、いじめていた連中やその家族のことを罵っていた。
とくにディーノが言っていた“あの悪魔のような金持ち連中”とは、いったいどのような人達のことなのか。ディーノの口ぶりからは、貧乏だからJが苛められたようにも聞こえるが、そんなことがあるのだろうか。
もちろん世間は広い。ディーノのファミリーより金のある人間もごまんといるのだろう。
でも彼達が、そのことで虐げられる立場にいることを理解するのは、日本人の僕の感覚ではとうてい無理だった。

だからと言って、J自身に何か問題があったと言っている訳ではない。彼のことはディーノを通してしか殆ど知らないが、所謂いじめられるタイプとも思えなかったし、反対に見栄や虚栄心の強い子供だという気もしなかった。
ただ、Jは無理をしてしまったのだろう。いくらディーノが階層社会の権化のように言うその学校にも、普通の子だっているに違いない。きっとJは少し粋がって間違ったグループに加わってしまったのだ。そしてやがて耐えられなくなったのではないか。
階層社会に馴染みの薄い僕には、どうしてもしっくりしないことばかりだが、これがフィリピンの現実というものなのだろう。
僕はディーノの話を聞きながらそんなことを考えていたのだが、不意にイジメそのものよりも、事件の背景に目を奪われている自分がおかしいことに気付いた。
なぜかディーノやJの気持ちが全く僕に伝わってきていないように思えたのだ。
それもそのはず、いくらディーノがイジメの悪質さを説明しようが、無意識のうちに大津の事件と比較してしまっていた僕には、騒ぎ立てるほどのことでもないという感情が
心のどこかに芽生えていたのだ。
しかしそれは間違えである。もし日本でもあの事件を基準にして、そんなことは大したことないと、小さいイジメを見過ごすような風潮になれば事態は更に悪化するであろう。
電話を切る前に「本当に間に合ってよかったよ」と言ったディーノ対して、済まなかったという気持ちでいっぱいになった。

電話を切った後、しばらくJのことに思いをめぐらせた。
Jは、弁当をトイレで食べているところをディーノに助け出されたと言う。
Jを心配して学校に様子を見に行ったディーノが偶然目撃してしまったのだ。
それが強要されてのことか、自らそこに逃げ場を求めたのか、それは僕は知らない。
ただ、半年以上もそんな状態がつづいていたと聞けば、学校を辞めたのも頷ける。
そんな彼も、現在はディーノの母校のハイスクールに通っている。
かつて医学部のなかったその学校も、現在は医学部が新設されているということだ。
それなら医者になりたいJも心配はないだろう。
今はただ、彼が元の元気を取り戻し、将来良い医者になってくれることを願うばかりだ。

ディーノ良くやった。、明日僕はマニラに発つ。今度こそ、寿司を奢ってやろう。