ビコール狂詩曲 ギョウちゃんが いく -7ページ目

ビコール狂詩曲 ギョウちゃんが いく

ビコールの魚屋のブログです。行きがかり上フィリピンに住むことになった時の所持金は、僅か7000ペソ。
その後、山あり谷ありを経て18年後の今もなんとか生きてます。

先日、マークさんはビコールへ一足先に帰って行かれた。

思えば“マークさんと共に”過ごして九日目に入っていた。よくもまあこんなに長い間僕に付き合ってくれたものだ。
もともと底の浅い人間の僕は、三日も一緒にいれば直ぐに底を叩いてしまう、花の命よりも更に短い命の持ち主だ。
実際一緒に暮らして四日目に、マークさんが僕に飽きはじめているのを感じ、焦り始めたことを思い出す。

「あ~~このまま行けば二人は終わってしまうのね」

妻の元へ戻ると言い出せず、飛行機の時刻表をじっと見つめているマークさんを見て僕の心は揺れていた。

ところがそんな僕を救ってくれた人達がいた。今回マニラでお会いした日本人の方々がその人達である。
このフィリピンで、きちんとした信念や哲学を持ち、決して埋没することのない個を守りつづけている彼らが、マークさんと僕に刺激を与え、形骸化しつつあった僕達の会話を生き返らせてくれたのだ。

ひろしさん、タマラオさん、TOMさん、勝さん、潤さん、Yoshiさん、サリサリさん。

マークさんを空港に送り届けた帰りの車の中で、ふと今回マニラで出会った彼達のことがフラッシュバックのようにして甦ってきた。


「どうもどうも、いいんですから、もう止めて下さいよ~」と早口で相手を気遣う声と一緒に、ひろしさんのピンクがかった赤ん坊のような肌をした顔がまず頭に浮かんだ。野球帽をお被りになったひろしさんは、実年齢よりずっと若く感じる青年のような人だった。
女っ気のある男が持つ清潔感といったものを漂わせ、それが肉食であることをカムフラージュしている。
ギトギトもしてなければガツガツもしていない。
きっとひろしさんにとって女達は研磨石のようなものなのだ。
大勢の女達に揉まれながら、研磨され研ぎ澄まされて、そうやって更に本物のロクデナシになって行くのだろう。

本来なら、こうしたひろしさんの自己鍛錬法は、マークさんや僕といった一穴主義の人間とは一線を画すものだ。そこには羨望や侮蔑といった感情が生まれたとしても不思議ではない。
だが僕達の場合には、それは当てはまらなかった。
ひろしさんが話をする時、まるで卓球の試合を真横で見ているような、マークさんと僕を忙しく交互に見やる様子を眺めていたら、ただまっしぐらに彼の生き方を尊重し、理解したいという気持ちが沸き起こるだけだった。

「マラテは僕のテリトリーですから任せてください」とひろしさんに言われ、マークさんはともかく、オマケの僕までが接待を受けたようで戸惑いがあったが、生涯忘れぬ楽しい一日となったことは是非言っておきたい。

「ひろしさん、ありがとう」僕は頭にイメージしたひろしさんにそう呟いた。
すると彼がニコッと笑って、帽子をヒョイと上に浮かしてくれたのだ。
次の瞬間、思わず高速道路の壁に車をこすりそうになった。


やがて車はスカイウェイの最後の区間にさしかかろうとしていた。もうすぐアラバンである。
アラバンと言えばこの人、タマラオさんだ。
今回この方のお陰で、TOMさん、勝さん、潤さんにお会いすることができた。いわば愛のキューピットのような人である。

タマラオさんとは、ビコールにいる時から話をしていたので、大体の雰囲気はつかんでいるつもりだった。

お声に少しビブラートがかかっており、68歳という年齢からも良いオジイチャンを想像していた。

ところが、タマラオさんが初めて家に訪ねて来られた時、玄関口にたくさんのお土産を携えて立っている彼を見て
「えっ、クロネコヤマトのお兄ちゃん?」と不意に口をついて出てきた程、その若々しい姿を見て驚いてしまった。
ベースボールキャップに白のポロシャツ、そして迷彩色のスラックスといういでたちのタマラオさんは、さしずめフィリピンではバランガイポリスと言ったところか。
一目見て、このフィリピンに馴染んでいらっしゃる方だということが分かった。

その後、幾度となく話をさせていただき、このハンサムで静かな、そして酒を飲むと舌の滑り具合が絶妙なタマラオさんを僕はいっぺんで好きになってしまった。

「タマラオさ~ん、お元気ですか~」

僕がタマラオさんの家の方に向って叫ぶと、とうとう車はスカイウェイを降り、アラバンサポーテロードを走りはじめていた。
ちょうど一週間前、この道を通ってTOMさんのお宅に行って来た。


TOMさんのことを考える時、困ってしまうのがTOMさんのお義母さんの存在だ。彼女の強烈なキャラクターに翻弄されてしまい、話がなかなか肝心のTOMさんに辿りつけそうもない。
この時も運転しながら、脳に焼きついたお義母さんの姿を取り払うのに四苦八苦した。
もしこれが高速道路で起こっていたら冷や汗ものである。

でもこのお義母さん、決して見た眼で判断してはいけない。
彼女がスポークスマンとなって、TOMさん御夫婦とフィリピンコミュニティとの理解を深めるのに一役買っている。

だからこそ僕がTOMさんや奥様のことを知ることとなり、その話に胸を打たれたのだ。
明るくて本質を見抜く力のあるお義母さん、違いの分かる姑とは彼女のことを言うのであろう。


さて、そのお義母さんがこよなく愛するTOMさんだが、彼のバイタリティーやエスプリに身近で接してみて分かったことがある。


卑屈にならず、甘えず、ポリシーがあり、ダイナミックに生きるTOMさんの姿は、一見かたくなにも思えるが、一方で決して原理主義にはならない自由な発想があること。上手くは言えないが、いいとこ取りをできる懐の深さのようなものを感じた。
それ故にこのフィリピンで受け入れられ、多くのフィリピンの人達に愛されているのではなかろうか。

フィリピンに住む者にとって、TOMさんの生き方には多くのヒントが隠されている。そんな気がしてならなかった。

最後に娘のココがTOMさんと奥様に書いたメッセージを紹介しよう。TOMさんのブログのコメント欄に入れようとして、それができなくてPCに残されていたものだ。

Thank you Uncle Tom. Today I saw a very caring woman and a joyful man that loves each other dearly. You don’t often see a couple like that nowadays. Someday, I would like to be a woman like your wife and tell people “Life is great!”

今日、私は思いやりのある女性と楽しい男性の愛し合う二人に会いました。
このような二人にはめったに会えるものではありません。
私もいつかはあなたの奥様のような女性になろうと思います。
そしてみんなに伝えます。人生は素晴らしいと・・・
アンクル・トムありがとう。

そうなのだ。人生は素晴らしい。
今この言葉をフィリピンに関わる全ての人に捧げよう。