ビコール狂詩曲 ギョウちゃんが いく -23ページ目

ビコール狂詩曲 ギョウちゃんが いく

ビコールの魚屋のブログです。行きがかり上フィリピンに住むことになった時の所持金は、僅か7000ペソ。
その後、山あり谷ありを経て18年後の今もなんとか生きてます。

一週間程前、ブログに全ての情熱を傾けたいと考えていた僕は、しばらくは、寝る、食う以外の他の行為については、極力ご遠慮を願い申し上げようと、手回しに奔走した。
問題は、一番ハードな夜勤をどう断るかということだったが、僕が飲んでいるプロペシアという発毛効果のある薬について、以前からインポテンツになると言って否定的だった妻に、
「あなたの言う通りだった」と言うと
「そうでしょ、そうでしょう」と嬉しそうに言って、まるで僕が不能になったことを喜んでいるようだった。
こうして意外にも簡単に夜のお勤めからも開放された僕は、現在まで我が儘好き放題にブログに没頭させていただいている。
その割には、記事の数も内容も、大したことはないじゃないかと言われれば、全くその通りで身も蓋もない。
ただ、こんな生活を一週間もつづけていると、かなり馬鹿な僕でも、ちらりほらりと重大な不義理を働いてしまっていることに、気が付き始めた。
その最たるものが、フェイスブックである。
共に苦労してきた古女房を捨てて、若い女に走ったきり、何の連絡も無しでは、その女と何かあった時に戻れるものも戻れなくなる。
以前命まで救ってくれたフェイスブックに、恩知らずと罵倒される前に少し自分を取り戻そうと、先程ちょっとフェイスブックを覗いててみた。

フェイスブックについては、色々と意見が分かれるところだろう。
特にフィリピーナの伴侶をお持ちの人に、拒絶反応を示す人が多いようだ。きっと彼女たちの中毒振りを目にして、いいかげん辟易しているのだろう。
ただ僕にとっては、世界中に散らばっている家族や友と僕を 繋げてくれる魔法のガジェットそのものである。
もしフェイスブックがなかったとしたら、僕の母も、もっと寂しい思いをしているに違いない。

さっそく一週間分のニュースフィードを読みながら、溜まってしまったメッセージに一つ一つ返事を書いていると、四つ目のメッセージで、僕のブログについて書かれているものに出くわした。えっ、何でだろう・・・・・誰も知らないはずなのにと、しきりに首をかしげながら、次々にメッセージを開けていくと、何とそのほとんどがブログに関する内容のものだった。
別に隠そうとは思ってないが、特に同級生等に知られるのは、今はまだちょっと照れくさい気がする。
しばらくして、一番年の近い親しい叔母からのメッセージを読んでいて分かった。そうだ、そうだったのだ。僕は以前、弟や叔母、そして親しい友人の何人かに、マークさんとひろしさんのブログを紹介していたのだった。もちろん叔母だけには、ひろしさんのブログをどうしても教えることができなかたが、そのことで、ひろしさんには申し訳ない気持ちで一杯だ。
それからひとしきり己の馬鹿さ加減を嘆きながら、なるべく丁寧に全員に返事を出した。
友達はそれぞれ勝手なことを言っていたが、広告代理店に勤めている友人と叔母は同じようなことを聞いてきた。
この2人は、以前僕がフェイスブックで重大発表してしまった時も、二人して同じようなメッセージをくれた名コンビである。
少し迷ったが、フェイスブックからのコピペで、その内容を紹介してしまおう。今年の一月に、つい耐え切れなくなって白状してしまった一節だ。

小さいながらも、ここ10年間3億~4億の年商があった私の会社

ところが去年上半期の売り上げ、約6千万。
下半期ともなると、2千万足らず・・・・・・
運など信じちゃいないが、とうとう私も悪運尽きたか・・・(笑
笑いごとじゃないんだが。

今回も、2人はこのことをとても気にしていてくれて、ブログを書くに至った経緯を、仕事が上向きになってきたからだと受け取ったようだ。
もしかしたら友人のマークさんも、そう捉えているのかもしれない。
ところが実際の僕は、今でもこの国のカントリーリスクともいえる巨大な仕掛けの中で、消されまいともがいてるだけにすぎない。
この状況は決してそう簡単には変えられないのだ。

今年五月に、初めてルソンの北を旅した。
その時寄ったヒストリカル タウンとして名だたる、ビガンという町でのことである。
僕には、その歴史的と言われる町並みや建物が、なんか作り物のハリボテのように感じられ、みんなが喜ぶ姿をみながら、ただ愛想笑いを浮かべつづけるしかなかった。
ただフィリピンで初めて乗ったカレッサのことは、一生忘れないだろう。
僕は景色を眺めることも忘れ、ただひたすらに馬にほどこされた遮断革を見つめていた。遮断革とは、落ち着きのない馬や、好奇心の強すぎる馬にする目隠しのようなものだ。でも視界を狭めるためにするだけで、目を塞ぐわけではない。
僕は思った。まさしくこれが今までの僕の姿だ。
余計な物を見ないように、余分なことを考えないように、感じないように
自らに遮断革を被せて生きてきたのだ。必要なことだけを一生懸命すればよい。全ては生活とい名のもとに。

正直言って、ブログを書こうとした動機がここにあったのかは分からない。ただ馬車馬のように働くだけでは、何も変わらない。それが今の僕の現状だと思う。


 ビガンで  娘の足と愛犬ヒメ