ビコール狂詩曲 ギョウちゃんが いく -21ページ目

ビコール狂詩曲 ギョウちゃんが いく

ビコールの魚屋のブログです。行きがかり上フィリピンに住むことになった時の所持金は、僅か7000ペソ。
その後、山あり谷ありを経て18年後の今もなんとか生きてます。

先ほど夕食が終ると沖縄にいる弟から電話がかかっきた。
つかのまの間たわいもない話をして、それが終わると弟は「じゃあ、元気でね」と一言僕に言って電話を切った。
電話を切った後、僕はなぜか納得できない気持ちに支配され、それが何かということに、しばらく考えを巡らせた。そして分かったことが、電話を切る際に元気でと弟に言われたのは、これが初めてだと言うことだ。

19年前、弟が歯科医院を沖縄で開業した時、当時鬱病にかかり、大学もやめていた引きこもりの従兄を、弟と相談して沖縄に引き取ったことがある。
僕は、その従兄をよく釣りに連れて行った。釣りのことは教えたが、それ以外は何も話さなかった。意識的にそうしてたのだと思う。
そうしていくうちに、徐々にではあるが、彼の方から口をきいてくる回数が増えだし、最後に弟も一緒に行った伊平屋島のフィッシング キャンプでは、今まで彼が生きる資格のない人間だと自分で思っていたことを泣きながら話してくれた。
そして彼は一カ月足らずの沖縄の旅を終えて東京に帰っていった。
その後、その従兄は沖縄に戻ってきて、弟の歯科医院で技工士として働くようになったのだが、10年以上沖縄で暮らした末、5年前に山原(ヤンバル)の森の中でとうとう首をつって死んでしまった。
彼は、僕に元気でねと電話で言ったあと、それから1週間後ぐらいに自殺してしまったのだ。

僕は気が付いたら、弟に電話をしていた。別に弟が自殺する何て考えてはいない。
ただ、僕も彼に元気でねと言わなければならないと思ったからだ。ただ勝負を互角に戻したかった。そうしないと何かがおかしくなる。

僕にはいろんな強迫観念がある。この強迫観念は長い間、このフィリピンで暮らしていくために自ら作り出してしまったモンスターのようなものだ。
でも、これがあったから生きてこられた。本当にそれがモンスターになる時とは、そいつを抹殺しようと思ったときである。