ビコール狂詩曲 ギョウちゃんが いく -11ページ目

ビコール狂詩曲 ギョウちゃんが いく

ビコールの魚屋のブログです。行きがかり上フィリピンに住むことになった時の所持金は、僅か7000ペソ。
その後、山あり谷ありを経て18年後の今もなんとか生きてます。

お気に入りの写真シリーズ第2弾。
娘が痩せる前なので掲載すると怒られるかな?

ひいお祖父さん(ロロバドン)は94歳。娘のココは14歳。
夏休みのある日の午後、この80歳違いの二人が繰り広げたダイアローグを僕は一生忘れない。

 

今年の夏休みになる前に、娘達にどこか行きたい所が あるか聞いた。
いつもなら大抵外国の地名を言い立てるのに、今回イロコス(ルソン島北部)に行きたいと言ったことには驚かされた。
どうしてもイロコスにいるひいお祖父さんに会いたいと言うのだ。観光はいつでもできるが、ひいお祖父さんに会うのは先送りにすることができない。とそんなことまで口にした娘たちに圧倒されて、僕は夏休みにイロコスに行くことを約束した。

実を言うと、こんなことを言いだすのではないかという予感みたいなものはあった。
最近娘達を見ていて、彼女達が漠然と抱えている不安というものに気付いていたからだ。
フィリピンで生まれ育った彼女達は、日比ハーフとは言えども本当のところは九分通りフィリピン人である。それでも日本人の血を引く彼女達は、どこかで日本人でもありたいと思っていることも事実だ。
だが彼女達が、彼女達自身の存在の根を日本に求めようとする時、そこに決定的な事実や根拠、必然性などを見つけ出すのは、父親が日本人という以外は、情報量、環境といった諸々の事情で難しい事だった。
そうして発生した曖昧なダブルスタンダードが彼女達のアイデンティティーを確立するのを妨げる要因になっていたのである。
今回のイロコス行きは、そんな彼女達にとって、もう一度フィリピン人として自分は誰なのか、何をすべきなのかを考える旅なのだ。
間違えていけないのは、これは日本を取るかフィリピンを取るかという選択ではなく、思春期の自己拡散を防ぐためには必要な行為だということだ。
そしてやがて時期が来た時に、改めて彼女達の中にある日本人というものに気付いてくれれば僕はそれで良いと思っている。
そんなことに思いをめぐらせながら、僕たちはロロバドンを訪ねた。



ロロバドンはビコールで生まれ育ったが、戦後アメリカに渡り、現在は戦争中に出会った妻の出身地であるイロコスのピリという町で隠居生活を送っている。
元軍人の彼のアイドルはマルコス元大統領で、盛んにマルコスの話を娘たちに聞かせていた。正直僕にはあまり楽しい話ではなかったが、娘たちが真剣にそれを聞いている姿を見て、やはり血は水より濃いと言うことかと僕は妙に納得していた。
マルコスの話が一段落つくと、ロロは僕の方を見て意味ありげに笑うと、今度は日本と戦争していた頃の話を始めた。
中でもおもしろかったのが、ゲリラ戦を展開していた当時の話である。
月明かりの下で夜目の利いたロロは、毎夜米兵からポーカーで金を巻き上げる日々を送っていた。もちろんイカサマである。
ある美しい満月の夜、夜とは思えぬそのあまりの明るさにイカサマが使えないと思ったロロは、しつこくポーカーに誘う米兵をよそに壕の中で狸寝入りを決めていた。そんな時、突如日本兵の奇襲を受けたのである。あっと言う間の出来事だったそうだ。
ポーカーにうつつをぬかしていた15人の小さな部隊はひとたまりもなく全滅した。ただ一人ロロを除いて。
だがそのロロも結局は日本兵に発見されることになり、死を覚悟することとなった。その時に自ずと口から出てきたのが日本統治時代に覚えた「故郷の唄」だったそうだ。
その辺りに話が来ると、娘は自分の手をそっとロロの腕に添ええて、彼女の前にいる話の主人公の行く末を心配そうな面持ちでうかがい始めた。
ロロはその娘の顔をまじまじと見つめながら
「勘違いしてくれるなよ。べつにわしは命乞いでそんなことをした訳ではないのだ。ただ遠い故郷のビコールを思い出して、つい口ずさんでしまったのだな」と言ってから僕の方に顔だけ向けると
「それに当時わしはその唄以外は何も知らんかったんじゃよ」と大笑いしたのである。

結局ロロは「故郷の唄」のお陰で日本兵の郷愁を誘い解放された。
二人の娘も、日本兵が15人のアメリカ兵を撃ち殺したことなんてすっかり忘れて「アンバエット ナマン ナン ハポン!」(なんて優しい日本人なんだろう)と言ってとても喜んでいたが、僕は正直その話をあまり信じてはいなかった。
挙句に、その時命を助けてくれた背の高い将校が僕にそっくりで、僕を最初に見た時にはその将校の子孫だと確信したなどと言っているロロに、いい加減にした方が良いと言おうと思ったが、その話に感動しきっている娘達を見て、もう放っておくことにした。

イロコスから帰る車の中で、何回も娘達から我が日本サイドの身上調査のようなものを受けた。どうしてもその将校を僕のお祖父さんか何かに仕立てあげたいようだった。
子供の夢を壊したくないのは山々なのだが、僕のお祖父さんは戦争に行ってないことを教えると、理由を聞くので祖父が役人だったので出征を免除されたことを説明した。
するともう一人のお祖父さんは?と言われて、日本橋八丁堀で材木屋を営んでいた父方の祖父のことを思い出した。博打好きだった祖父は、鉄火場に手入れがあった際に2階から飛び降り足に大怪我をして出征を免れた・・・・
説明すべきか迷った。

でもちょっと待てよ、何でこうなるの?
確かフィリピン人としてのアイデンティティーを探るはずの旅じゃ・・・と娘たちに言いかけて、それを飲み込んだ。
ロロの戯言でとんだことになったが、彼女たちはまだモラトリアム(猶予期間)にいる。