最近、SDMで勉強をしていると、アナログに手を動かすことを推奨することが多い。

・ブレストはポストイットと白板をつかってやる。

・デザインのプロトタイピングは画面の中じゃないところがミソ。

・causal loopもVensimを使うと、それらしく書けてしまうのが危険(手法習得後は使うのでしょうが)。


なんかアナログ手法回帰だなぁと思っていたのですが。


結局、人間は手を動かさないと創造力が活性化されないのだろう。と。

で、よく考えると創造力の必要な職業って、手を使う仕事が多いなぁと。

作家、芸術家、歌手(譜面や歌詞書いたり、ギター弾いたり)など。


そこで、今までのデジタル技術をふと考えると、どっちかというと「デジタルを使えばこんなことができる」という、技術の枠の中にどんな作業を詰め込めるのか?というプロダクトアウト的な構造だったのだろうと。

だから、デジタル技術でできることをデジタルに変換していった結果、いつのまにか不便や創造力欠如に慣れてたのかもしれないな、と。


でも、技術革新が進んで、例えば自動車の自動運転なんかは、運転という、創造性を必要としないけどデジタルに任せるには難しかったルーチン作業をやっとデジタルに任せられるようになってきた。

つまり、プロダクトアウト的な「デジタルで何ができるか」から、マーケットインの「デジタルに何をさせて、

人間は何に特化すべきか」という全体をデザインしないといけないのだろうと。


とした場合、やはり人間は創造性の必要な部分を担ってデジタルにはあらゆるルーチンをお任せする、

という方向になっていくのだろうと(創造性の部分もデジタルに侵食されているのでしょうけど)。


ここで怖いのは、じゃあ、日本では創造性を鍛えるような教育がされているのか?ということ。おそらくほとんどの人はされていない、と感じていると思う。

SDMに入ってその現状の教育への恐怖をすごく感じた。逆に、SDMみたいな授業を子どもの頃からやっていたらすごいことになるんじゃないか、という可能性もすごく感じた。というか、そういう教育をしないとこれからはルーチンの仕事はすべて

デジタルに任せるわけだから、コンビニの店員や、ファストフードの調理場や店員や、郵便配達などの

仕事はデジタルに任せることになるんじゃないかと。外国人に仕事を奪われるとかじゃなくて、

デジタルに仕事を奪われるんじゃないかと。


結局何が言いたいかというと、SDMみたいな教育が本当に必要な時代なんだということ。

全体を俯瞰的に捉えてデザインする、創造性を鍛える、問題解決力を鍛える。英語を使う。

こういうことを義務教育からちゃんとやって人を育てないと、本当に生きていけない時代が

すぐに来るんじゃないか、ということ。


SDM、本当に良いです。


ゴールデンウィーク中も講義や宿題にまみれるけど。本当に得るものが多い。多すぎる。ちょっと減らして、ってくらい。でも、本当にものの見方が変わる。発想力が豊かになる。


SDM、まさに時代のニーズにマッチしている学問なのだと思います。