皆さんこんにちは😊。
スダコフツです。
遂に夏本番になり、油セミとミンミンセミが元気に鳴いてますが、如何お過ごしでしょうか❓️。
当方ライフワークのアルフレードベッカー予備役少佐ネタを、久しぶりにやってみた。
最近はウォーサンダーとかWoWTsとかで、レァフォークマニアック車両が出て来るからでしょうか❓️、又してもベッカーブームが到来し謎の部分が解って来たんで上げてみた。

ベッカーの画像。
年まで生きてたそうです。
ドイツにアルフレードベッカーAGって会社がベッカーが戦後作った会社が現在でも存続してるらしい。
その2 エドガー・フォイヒティンガーとの関係。
ウィキペディア調べでは友人だって(笑)。
迷惑過ぎる友人ですね(笑)。
追記。当方はエドガー・フォイヒティンガーとベッカーは戦間期の間にフォイヒティンガーが予備役時代に知り合ったんぢゃないかと予想。
その3 第227歩兵師団との関係。
ベッカーと深い関係のある元隊の第227歩兵師団との1942年の裏取引は20両の装甲車両と判明(笑)。
しかも師団長との直接取引だったみたいです。内2両はロレーヌシュレッパー105mm自走砲ですが、残り18両もロレーヌシュレッパー系の自走砲辺りと妄想。
その3 自走砲の試作。
基本的にベッカー特別生産本部で、木を使ってモックアップ作って、それをアルケット社で試作試験改設計など煮詰めて発注しベッカー特別生産本部で生産するそうです。
追記。
基本的な設計とモックアップ試験はベッカーがやって、その後モックアップをアルケット社に持って行って更に煮詰めて試作したのを試験したり改良して兵器局の査察したんぢゃない❓️。
でもパリ支局でも出来そうかな❓️。
その後ベッカーの息の掛かった会社に装甲ハウジングの製品を発注納入するそうです(笑)。
収益の一部はエドガー・フォイヒティンガーの女遊び代になるみたいです(笑)。
追記。この部分は資料提供受けた専門家すら忖度してる(笑)。
その4 ベッカー特別生産本部
此方は当方的に、兵器局パリ支局と同じ場所に事務所構えてたかと思いましたが、例のストックヤードの工場に事務所を構えてたみたいです。
後は結構大物が視察に来てたみたいで、下僕と名前をモジッたカライテルで有名なOKW最高司令長官のカイテル元帥や、いつも沈着冷静で趣味が登山のOKW作戦部長のヨードル上級大将とか、あとはヒトラーともガチで喧嘩するって、機甲総監のグデーリアン上級大将もベッカー特別生産本部に来て視察してる辺り、ベッカープログラムは重要視されてたみたいです。
その5 やっぱり怪しい(笑)。
やっぱり当方睨んだ通り第1次大戦中は砲兵少尉で従軍してたみたいです。
後は1939年に召集されて(予備役少尉)で短期間で予備役大尉に昇進出来たの連隊長だったエドガー・フォイヒティンガーの推薦だったそうです(笑)。
この2人は何故か、ワンセットで移動が多いので、怪しいです(笑)。
後はリラ作戦でもフォイヒティンガーはやらかしてたみたいです(笑)。
その6 第21装甲師団
あの西方快速旅団って後似たような編成の快速旅団が後3つフランスにあったみたいでフランスの機動予備って扱いだったみたいです。
その西方快速旅団はアフリカで壊滅した第21装甲師団の再建に編入されて発展的解消されたそうです。
第21装甲師団はロンメルとの深い関係とベッカー生産本部からの装備の車両納入で捕獲兵器中心の人員を含め寄せ集めだったそうです。
まぁロンメルのB軍集団自体が編成途中+寄せ集めの資材や工夫で防御陣地構築やってましたから、どうなんだとは思いますが…(笑)。
まとめ
以外と誤解や間違いがありましたが、謎だった部分もかなり解ったから、良かったです(笑)。
でも、ウィキペディアにまで載っちゃう予備役将校ってだけでもすご過ぎですね~。