第一次大戦の教訓に75mm級野砲は破壊力が足らないって事で、第二次大戦前の大砲行政は各国まちまちバラバラでしたが、基本的には、野砲+重榴弾砲(イギリス)と野砲+軽榴弾砲+重榴弾砲(フランス)軽榴弾砲+重榴弾砲(ドイツ、アメリカ)野砲+中榴弾砲+重榴弾砲+重加農砲(ソ連)山砲+野砲(日本、イタリア)となってましたが、日本は大戦後にフランス式からドイツ式に改変と曖昧な軍備が仇となり結局は山砲が中心となり第二次大戦を戦いますが、第二次大戦も中盤になると75mm系の野砲が、何故かドイツで需要が増えていて対戦車砲を野砲任務に回したりソ連では野砲は師団砲として最初から重視してましたし、山砲に至っては各国共に新型を投入となりました。
結局は馬が、引くならば野砲位が限界だったのかも知れませんらね。